依代3
その悲痛な顔を見ていると、八木は黎に同情の念を抱いた。変わらずそこに在るだろうと思っていたものが、突然奪われる。その喪失感を、彼もまた知っているからだ。
——俺があの人を失った日と同じ思いを、彼らは今味わわされてるのか……。
その思いが、八木の判断力を狂わせる。
学園内で否応なしに注目される光彰と、その隣にいつもいた黎。心を自由にするにも、場所が限られる。
少しくらい気持ちを解き放つ時間があっても良いかもしれない……そういう脇の甘さが表れてしまった。
「——少しだけだからな」
彼は黎の手を引いた。
そして、鴇色の空の前にずっしりと立ちはだかるようにして輝いている時計塔へと連れて行く。
二人がその台座付近にたどり着き、階段室のドアが閉まる頃、その扉には、連れ立って歩く二人を追って来た、一つの影が映し出されていた。
「——君はやっぱりここへ来るんだね」
そう呟いた人物は、レモンイエローのサマードレスを手にして、遠い日々を思い出していた。
◆
夕暮れの時計塔は、吹き抜ける風と柔らかな赤みのある光に彩られ、まるで夢の中にいるように美しい景色を生み出していた。寮棟のほぼ全ての建物が二階建てだという敷地内で、唯一三階部分に当たるここからは、校内の全てのものを見下ろす事が出来る。
校庭の先には敷地の外へと向かう坂があり、それを下っていけば住宅街が広がっている。そこには、敷地面積の広い屋敷のような家ばかりが立ち並んでいた。黎は尖塔の台座に座ると、その中でも一際目を引く大きな屋敷へと目を向ける。そこは最上の本家屋敷だ。今そこにいるであろう光彰へと思いを馳せていく。
「——どう考えても、俺のせいだよなあ」
その想いが、思わず口を突いて出た。何度振り切ろうとしても、必ず頭の角に湧いてくるそれは、すぐにその全てを埋め尽くすほどに膨れ上がり、彼を暗いところへと沈めようとする。
折角気分転換にやって来たのにまた沈み込んではいけないと思い、思考を振り切ろうとして、黎は頭を振った。
ふと、校庭へと目を向ける。気分を変えようとしたその行動は裏目に出てしまい、その目には涙が浮かんだ。そこは、あの夜に温田見の霊らしきものが駆け抜けていった場所だったのだ。
あの日、黎は、校庭を小さな光彰が走って逃げていくのを、必死になって追いかけるという体験をした。
その光彰は、彼と八木の説明によると、メスカリンという薬物とホログラフィが見せた幻覚だったのだという。そう言われても黎はまだそれを信じられない。それほどに、その映像は鮮明だったのだ。
だから、彼は必死になって追いかけたのだ。助けてあげなければ、光彰がギラギラと原色に輝く変な虫に殺されてしまう——そう思っていたから、必死になって走ったのだ。
よく考えてみれば、そんな虫がいるわけは無いと分かっただろう。しかし、そう思い込んでしまうくらいに明瞭で、その存在を疑う余地はなかったのだと言う。
それでもあれが幻覚だと言うのなら、黎が小野からもらった甘味料を使わずにいれば良かったのだ。そうすれば、あれを見ることも無かっただろう。
あの時、黎が冷静でいられたなら、小野が隠れてついて来ていたとしても、温田見の霊を追いかけようとした時に、光彰と共に止められただろう。止められていれば、彼女が落ちて死ぬこともなかっただろう。そうすれば、光彰が停学になることも無かっただろう……。
そんな風にグルグルと思考を巡らせては、彼は自分を責め続けた。
「光彰、ごめんな……」
記憶の中で、光彰はいつも黎を守ってくれていた。
兄の千晃が姉の千夜へと変わり、自分の前から『消えて』しまった後も、喪失感に潰されずに済むようにと言って、ずっとそばにいてくれた。
黎の見た目が原因で、常に二人でいることで恋人疑惑を持たれた時には、二人揃って激しいいじめにも遭ったこともある。しかし、今は黎自身に攻撃を仕掛けてくる人はあまりいない。
「——そうだ、光彰が俺を人前でめちゃくちゃ甘やかすようになってから、俺に絡む人がいなくなったんだ。鬱陶しくて大変そうだなって同情されるようになって、光彰だけが悪く言われるようになって……。きっとあれも俺を守るための手段だったんだろうな……」
思い返してみると、守られていたのは黎だけだった。しかし、黎自身は彼の足を引っ張っていた記憶しか無い。
光彰に出来なくて、黎に出来ることなど一つも無いのだ。だから、与えられた分を返そうとしても、まずその機会に恵まれない。
常に甘やかされるだけであった自分に気がつくと、さらなる自責の念に駆られていく。結局、さっきまでよりも深く打ちのめされてしまうだけになってしまった。
「小野さん、なんで俺にクスリを飲ませたんだ。光彰にあのホログラフィが本物の霊だって信じ込ませたとして、それが何になるって言うんだよ……」
考えても考えても答えは出ず、ただ光彰への申し訳なさが積み重なっていく。それを実感すればするほどに、彼の心は重たくなっていった。
光彰はいつも慎重で、家族を守るために最善を尽くしていた。その姿を誰よりもそばで見ていたのは、間違いなく黎だ。これまでに見て来たあの努力を、全て壊してしまったのでは無いかと思うと、その責任の重さに彼の胸は潰れそうに痛んだ。
「もしこれがあいつの将来に響いたら……。俺、どうしたらいいんだ」
最上の家は、表向きは不動産事業を展開していることになっている。しかし、長子だけは代々霊能力者として生まれるため、先読みや占術を身につけることで、各界の有力者たちがこぞってその力を頼りにした。その中で最も重要な役目が、地縛霊を使役するというものになる。
しかし、これは表に出せない仕事だ。それを隠すためにも、表向きの仕事でそれなりの業績を保つ必要がある。つまり、後嗣となる人物は、最上の各事業で長として働ける存在でなければならない。その資質を備えるためにも、小さな頃から厳しく育てられるのだ。
光彰は、常に淡々と努力を続けた。自ら望んだ立場では無いはずなのに、それについて不満を言うこともなく、常に選ばれた人間としてあり続けるための努力を惜しま無かった。その彼の姿は、それそのものが素晴らしいものだった。
黎は光彰のその姿に憧れ、そして、隣に立ち続けるために、自らの学業にも力を入れて頑張って来た。人に理解されにくい幼馴染を守るため、それが自分にしてやれることだと信じていたから、ここまで何とか頑張って来れたのだ。
しかし、今それは彼自身の浅はかな行動のせいで、全てが壊れようとしている。思い悩む黎の背後に、あの影が迫っていた。




