8.アイスブレイク
その原因となったナインスは一歩、二歩と距離を取り、敵意はないと証明するように肩の上で両手を振った。
「やめ、お開きや。もう危害は加えんから、あんたらも気ィ抜いとき」
「……いいんでござるか? 色々と」
真意を問えば、ナインスは煤けた雰囲気を取り戻して肩を竦める。
「いいもなにも、ウチの仕事は異形化した超越者の処分や。それがおらんってんなら、これ以上敵対する必要もない。せやろ?」
「……筋は通ってるでござるけど。ふむ、リベンジはまたの機会でござるか」
挑発的な切子の態度に取り合わず、いけずなやっちゃなと溜息をつくナインス。
とりあえず、見逃してくれるという認識でいいのだろうか? ……というか、もう無理だぁ。
一度緊張の糸が切れてしまえば、途端にどっと力が抜けていく。後ろ向きにひっくり返ろうとして―――
そうだ、後ろに少女がいるんだった。どういうわけか待っていましたとばかりにすっぽり抱きとめられるが、流石に申し訳ないので自力で立とうと……いや、力強っ!? ちょい待って、イヤだから暴れてるわけじゃないのよ? だからそんな悲しそうな顔せんで……はぁ、もういいか。
正直しんどいのは本当だ、この際甘えてしまおう。
アークに転移してからここまで息継ぐ暇もなし。正直な話、これ以上のトラブルは御免被りたい。
後はトリニティで温かいお湯につかって、美味しいものをお腹いっぱい食べられれば言う事なしだ。
僕は溶けるように脱力し、打って変わって上機嫌で抱えなおそうとしてくる少女を首を反らして見上げる。
「キミもそう思うでしょ」
「ヴ!? ウゥ~!」
「ん? そうね。うぅ~だわ。うぅ~」
何が琴線に触れたのか髪をさわさわされるが、抵抗する気力も残ってない。
因みに竜化していた腕は、ナインスから戦意が消えたと同時にヒトの物へと回帰していた。ので、髪を梳かれようと痛みはなく、どちらかと言えばくすぐったい。そうやって、要領を得ない少女の唸りに付き合っていると、
切子と二言三言話し終えたナインスが、僕の前にしゃがみ込んでくる。
「よいしょ、怖い思いさせて済まんかったなぁ少年。ウチの圧にあてられて疲れたやろ?」
「ホントにねぇ……けど、そっちから見てイレギュラーなのは僕らの方だし。切子じゃないけど、本当に手を引いて大丈夫?」
ナインスには立場があるはずだ。少女を見逃して後に再び異形化した場合、真っ先に責任を問われるのは間違いない。
そんな僕の心配をよそに、ナインスは朗らかに笑う。
「気にせんでええよ。ウチが始末書ウン十枚と書いて、それで済むならナンボでもやったるわ。まぁ道中、得体の知れん女に邪魔された時は頭の血管ブチ切れるか思ったけどな? ……なんや少年、ぽけっとして。ウチ今、めっちゃ感謝してんねんで?」
今の話の一体どこに感謝する要素が……?
というかナインス、話の腰を折るようだけどウチの忍者が物凄く睨んでる。あっこら、二人とも中指立てあわないの。止めなさい切子、お下品だから。
足止めに送り出した僕の台詞ではないが、二人ともすっかり犬猿の仲といった様子。渋々中指を引っ込めたかと思えば、ダブル中指に移行しただけの切子を華麗にスルーし、ナインスは僕に向きなおる。
「なぁ少年。ヒトを殺したくて殺してる奴なんぞおらん。綺麗事や言われても、ウチの中では絶対の真実や。……から、今日はちょっと幸せに帰れる。キミのお陰でな」
たまにはそんな日があってもええやろ? と戯けて見せる銀色の騎士は、対峙していた時とは似ても似つかないほど小さく見えた。
優しい人だ。そして、傷みやすい人だと思う。
向いてない―――なんて余計なお世話が、喉元まで上がるほどに。
幸い、それを飲み込める程度の分別はあったが。
人の数だけ事情があり、それは余人の触れていいものではない。
なので僕は口角を上げ、あえてからかうような口調で気楽な言葉を返した。
「どういたしまして。どうせなら貸し一つってことにしちゃおっかな」
「ふ、ふふっ、ははは、貸し一つか! しゃ~ないな、ここはオネーサンが借りといたる。あんま無茶なのとえっちなのはナシやで?」
ありゃ、場を和ませるジョークのつもりだったけれど……この程度で貸しなどと一ミリも思ってないし、取り立てる予定もないが、ナインスほどの超越者に伝手が出来たのはありがたい。
ついでにオネーサン発言から察するに、ナインスは女性であるらしい。
妙なことなんてしないよと目線を逸らせば、ほんまにか~? と鼻先を突いてからかわれてしまう。
ぐえ……なんだか首元が苦しい。ヘイ、ドラゴンガール? 無意識かも知れないけど首に手を回したまま引っ張るはの止めて、窒息しちゃうから。
あと切子、なんか発砲音みたいなの聞こえたんだけど、まさか今のって舌打ち? だとしたらヤバすぎだろウチの忍者、とてもじゃないけどヒトの口から出る音じゃなかったぞ。
四人揃ってやいのと騒ぎ、ややあって事態が沈静化(主に僕の精神的体力と引き換えに)した後、腹を抱えていたナインスが改めて尋ねてくる。
「くく、仕事でこんな笑ったん初めてや……少年、名前聞いてもええかな? キミとは……今後も縁ありそうやし」
「ん? そういえば自己紹介してなかった」
言われてみれば。まぁ、初対面はそれどころじゃなかったのでご愛嬌だ。
切子が拾ってくれた傘を差し直し、軽く咳払いを一つ。
「七星夜片。ごらんの通り魂癒士で……もう知ってるだろうけど、隣で百面相してるのが護衛役の七星切子」
「アルティメット美少女くのいちが抜けてるでござるよ」
やかましいな~。また喧嘩になるから、あっちで草むしりでもして遊んでなさい。
構ってほしそうな切子をステイさせ、ナインスにも自己紹介を促す。なんならナインスという名前も又聞きでしかなく、僕は彼女について何も知らないと言っていい。
水を向けられたナインスは鷹揚に頷き、
「ナインスは仕事のコードネームみたいなもんやし……キミらになら教えてもええかな。他の連中と違って隠してるつもりもないから」
ざらついた機械音声で名乗りを挙げた。
「ウチの名前は芦屋梅干。梅干って書いてばいかんって読むんや、可愛いやろ? 改めてよろしゅうな、御三方」




