6.魂の治療包帯
「はっ、はっ……これは」
魂の気配を頼りに駆けてきた僕の前に現れたのは、重厚で高い白亜の壁だった。延々と伸び、街を囲むように緩やかな曲線を描いていることから、恐らく市街を守る防壁なのだろう。
お目当ての気配は壁の向こう、もう目と鼻の先だ。
正規の出入口を悠長に探している暇はない。ということで、
「―――シッ!」
近場にあった一番高い建物を足蹴に跳躍し、大壁の縁へ捕まって一気に身体を引き上げる。
重厚なイメージに違わず幅五メートルはありそうな壁上で、呼吸を整えるついでに目に入ってくる雨水をぐいと拭う。
雨足は強まり、すっかり本降りの様相だ。折しも真夜中、巨大な壁が街の光を遮ることで、見下ろす向こう側は深淵のような闇がどっぷり広がっている。
人ひとり探すのも容易ではない状況だが、それはあくまで一般的な話。
魂癒士や超越者は、魂を視認することができる。ましてや対象は、離れた場所でも感知に引っ掛かる訳アリだ。
目視できる距離まで近づけば当然、
「……よし、間に合った!」
見逃す方が難しい。
目線の先、横たわった少女を中心に、数メートル規模まで肥大化した魂が翠色の燐光を放っている。
エメラルドを彷彿とさせる輝きは、彼女本来の魂の色だと思われる。一方でよく観察すれば、そこには無数の亀裂が走り―――割れた部分からは膿のような汁が吹き出していた。
まるで孵化寸前の卵だが、何が入っているのかは知らないし、知る必要もない。
肝心なのは、彼女がまだヒトであるという一点のみ。
よく耐えた、まだ間に合う、壁上から一目散に飛び降りる、アレが彼女の魂を砕いて外へ出る前に
―――徹底的に治療してみせる。
「魂の治療包帯」
空中で柏手を打ち、魂を体外に溢れ出すまで活性化。
全身から湧き出してきた輝きの色は、純白。それを右手で物理的に掴み、帯状になるよう薄く長く引き延ばす。
存在の設計図である魂を、このように曲げたり伸ばしたりは本来危険極まりないのだが、僕に限っては問題ない。魂が柔軟でなければ―――他人の魂を受け入れられる余地がなければ、魂癒士は務まらない。
複数回引くことで肘と手を何周もした、魂の帯。それを肘から抜くことで渦状に宙へ放ち、肥大化した少女の魂へと巻き付けていく。
「大きい、けどっ」
腕を振り上げて一気に引き絞れば、渦を巻いていた魂の治療包帯は瞬く間に締め上がり―――五点接地の要領で草地に転がる頃には、純白の包帯が少女の魂をガッチリと巻き固めていた。
「ッどうだ……?」
草原を駆け、宙に伸ばされていた少女の手を掬い取る。
冷え切った指先を強く握ると……少ししてから握り返すような弱々しい反応があり、思わず顔が綻んでしまう。
良かった、これならひとまず間に合ったと考えていい。
脈と呼吸を確かめ、血色を伺い、最後に魂を検分して巻き漏らしがないか確かめる。
それら一連の診察を迅速にこなし、峠を超えたと確信した途端、どっと力が抜けて地べたにへたり込んでしまう。
「良かった……間に合って」
症状が進行していたので寛解には時間がかかるだろうが、異能を使わず適切な治療を続けていれば、いずれ正常な形まで魂は回復するだろう。
担当する魂癒士が居ないなら、僕が完治まで受け持つ。もともとこのような事態に対応すべく呼ばれているのだ、クライアントだってとやかくは言うまい。
「ん、ぅ」
「大丈夫? ……って、病人を雨晒しに何やってんのかね僕は」
寒そうに身じろぎする姿でハッと思い至り、慌てて背負っていた傘を差してやる。
不徳の致す限りだ、肉体の健康も魂の回復に無関係ではないというのに。
どうも師匠や切子を筆頭に、これまで担当してきた超越者が軒並み頑丈だったせいで感覚が麻痺している。彼女たちなら嵐の中ほっぽった所でピンピンしているだろうが、まさかこの子にそれを期待する訳にもいくまい。
直近では師匠の二日酔いを介抱した程度の記憶しかない己に呆れつつ、彼女こそは丁重に扱わねばと改めて気合を入れなおす。
「とりあえず、清潔な場所でしっかり休んで、温かいものをを身体に入れないと」
温かい寝床と美味しいご飯。これを疎かにして快癒など夢のまた夢だ。とにかく彼女には睡眠と栄養をぶち込めるだけぶち込み、話はそれからということになる。
(……よし、当面の方向性は定まった。一度トリニティに戻ろう)
市街へ連れていくにあたってネックだった食人衝動も、これだけ魂の治療包帯で固めてしまえば問題ない。アレはあくまで異形化に伴う一過性の衝動に過ぎず、治療の間に合った今、目覚める頃には自覚できないレベルまで沈静化していると断言できる。
「とりあえず、おんぶでもなんでもして……むっ」
近くでまじまじと見れば、少女は竜族であるらしい。
怜悧で整った顔には淡い翠色の髪が張り付き、額からはエメラルドのような美しい双角が伸びている。ターミナルでも見たが、宝石質な角は竜族の特徴だ。腰にはこれまた竜族の特徴である尻尾も見られたが、そちらは力なく垂れ下がり、雨に濡れた白い長毛に草の切れ端やら泥が絡まってしまっている。
「ド、ドラゴンだ……ごくり」
うむむ、角か尻尾、どっちかだけでも触ってみたいのが男心。だって竜族、だってドラゴン。宝石みたいな角やデカい尻尾に触ってみたいと思うのは人族男子共通のロマンだ―――けれど、流石に今じゃない。
やっと血色の戻ってきた少女の寝顔を一瞥し、自重を取り戻す。
弱っている超越者の、それも女性の一部位へ勝手に触れるなど、魂癒士の風上にも置けないことだ。
……いやその、ちょっとだけ迷ったのは許してほしい、だってドラゴンなんだもの……。
などと誰にでもなく言い訳を垂れ、いざ少女を背負おうとしたその時。
「うわっ! 何!?」
人間サイズの何かが、砲弾のような速度で僕の真横を吹き飛んでいった。
目で捉えることは叶わずとも、慣れ親しんだ魂を間違えるわけもない―――切子だ。
勢いのまま後方へ消えていった護衛役を追いかけようとして、ぐっとブレーキを踏む。
冷静になれ、明らか自発的な移動じゃない。誰かに飛ばされてきたんだ。
意識を警戒状態に入れて、切子が飛ばされてきた方向を振り返れば、
「……あー、そりゃ、そうなるよねぇ。正直助けようばっかで、後のことは考えてなかったんだけど」
切子に頼んだのは足止めまで。よって時間が立てば、こうなるのは必然だった。
視線の先、茫漠と広がる闇のベールを掻き分けて。
トリニティの威容を背に、雨粒を灼くほど強大な魂を纏った、銀色の騎士がやってくる。




