4.緊急事態
(甘くて辛くて苦くてしょっぱい……けど不味くもない。よくわかんないなこれ)
結局買ってしまったトリニティキャンディーの袋を片手に、夜の広場を目移りしながら歩く。
我ながら自制心がない……けれど気になってしまったものはしょうがない。口内で転がす飴の味わいは複雑怪奇だが、必ずしも美味に当たるとは限らないのも旅の醍醐味だ。
(お館様、拙者も拙者も!)
(いいけど人を選ぶ味だよ?)
(出先ならびみょ~なのも楽しいでござる)
分かってるじゃん。ならばとしゃがみ込めば、街灯に照らされた僕の影から、白磁のような手がぬるりと這い出してくる。袋ごと渡してやると子供のようにガシャガシャ振って、腕は沈むように影へと帰っていった。
後に残ったのは硬質な地面だけ。試しに叩いても、帰ってくるのはペチペチと硬い石畳の感触だけだ。
しっかし、流石は超越者の総本山というべきか。影から腕が生えてくるのをそこそこの人数に見られたはずだが、驚く気配はあっても足を止める者はいない。魔法やドラゴンが平然と共存する昨今、ともすればこの程度の異常は日常茶飯時なのかも知れない。
そんな感想を抱いて再び歩き出すと、早速キャンディーを口に入れたらしい切子から、くぐもった感想が届く。
(……マジでびみょ~、アレだ、ウチで作ってる兵糧丸に似てるでござるな)
(それだ。覚えのある味だと思ったんだよねぇ)
七星山で修行をしていた頃はよく食べさせられたものだ。携帯性と栄養だけを重視して様々な物を混ぜ込んでいるので、意味のわからん味がするんだよなアレ。
嗚呼、思い出されるシゴキの日々よ……僕は才能がなかったから、師匠には入念にボコられたものだ。自ら望んだ修練とはいえ、ほろ苦い思い出の味である。もっともこのキャンディーは名前から察するに、三界の食材をひたすら混ぜて味が迷子になっただけだろうが。
(にしても、いろんな物が売ってるね。魔法薬に、雑多な貴石、怪しい本にカップメン……ほへぇ、一通り落ち着いたらまた来よっかな)
(いいけど、おすすめしないでござるよ? ここのマーケット観光地価格で普通にボッてるでござるし)
(えっ、じゃあトリニティキャンディーが飴にしては高いな~って思ったのも)
(お勉強になったでござるね~)
先に言えバカタレ! 少ないおこづかいで背伸びして買ったのに!
学生証にチャージした分で支払ったので重さは変わらないが、なんとなく軽くなったような気がして腕飾りを胸に抱える。
というかそれ知ってて買い食い勧めてくんなよ! 社会勉強にはなったけどさぁ!
(飴返せこのやろー!)
(ぬはは、もう一個食べちゃうでござる……おや?)
(うぉ、ちべたっ!?)
一人で百面相していた矢先、鼻先に冷たいものが当たってとっさに仰け反ってしまう。
見上げれば、街明かりを受けた雲は低く垂れ込めていて、今にも崩れそうな空模様だった。七星山が快晴だっただけに違和感が凄い……けれど、それこそ異世界で何をいわんやだ。
(大雨の気配でござるな。傘は?)
(貰っとこうかな。向こうに着くまでに降られそうだし……っと、ありがと)
言うが早いか、影から飛び出してきた傘をはっしと掴み、閉じたまま肩に預ける。
落ち着いた藍色に金の飾りが映える、趣味のいい和傘だった。身に覚えのない品なれど、いつものことなので深く考えない。
僕の影は切子の能力によって限定的な異界と化しており、その全容は僕も把握しきれていない。何せ切子が私物のみならず、気まぐれに収集した品を好き勝手に放り込んでくるのだ。
反面、困った時に差し出される品は良質な事が多く、こういう場面では、日頃のおふざけに隠れた彼女の趣味の良さを再認識させられる。
(センスがあって気遣いもできる美少女くのいちを褒めてもいいんでござるよ? 日頃から! もっと! たっぷりと!)
(称賛の在庫が切れてるね、残念なことに)
(くぬーっ! ぬーっ!)
(こら、人の影で暴るんじゃない、腹いせに飴をむさぼるな、僕まだ一粒しか食べてないのにーっ!?)
ガリゴリと、買ったばかりのキャンディーが八つ当たりで浪費されていく音がする。微妙な味だったとはいえふてぇ野郎だ、クライアントに挨拶が終わったら覚えてろよ……と内心で復讐を誓い、足早に目的地へ向かおうとして―――
ぞわりと悪寒を感じ、足が止まる。
降雨を前に空気が冷えているだけではない。前触れもなく現れた強烈な気配に、全身が総毛立っているのだ。この感覚は間違いなく、
(超越者だ。遠くに一人、近くに一人)
(本当でござるな。どちらも上位の超越者とお見受けいたすが……これ、遠い方はもう)
一拍遅れて気づいた切子が、尻すぼみに言葉を濁す。
切子も感じ取っているのだろう。近くの超越者が放つ気配が炎のような熱気であるならば―――遠くの超越者からやってくる気配はまるで腐敗した風。
魂の傷んだ臭い。正常でなくなる寸前の超越者が放つ独特な香りが、湿った夜気に乗って流れてくる。
(魂の状態が悪いね。放っておいたら長く持たないと思う)
(ふむ、お館様の見立てなら間違いないでござろう。魂癒士の不足は耳にしていたでござるが……こうも早く異形化寸前の超越者と出くわすとは)
苦々しい声に頷きを返す。
超越者の行使する異能は多岐に渡るが、その根幹に通ずるのは魂を消費した現実の改変だ。
魂とはあらゆるモノを存在させている力であり、同時に、その人をその人たらしめる設計図の役割も果たしている。
つまり超越者は、己を存在させるリソースを削り、別のカタチへと変換することで、この世ならざる事象を引き起こしているわけだ。しかし、超常的な力には往々にしてリスクが伴う。
異能で消耗した魂は、自然には回復しない。
……否、この言い方は正確ではないか。
放っておいても、削れた魂は再生する―――ただしそれは、不自然な形でだ。
肉体の傷が痕になって残るように。一度削れてしまった魂は自然治癒の過程で変質する。
一度なら無視できる程度の変化で済むだろう。しかし、二度三度と異能を使っていけば、魂はベースからどんどん乖離していく。
前述の通り、魂は人の設計図だ。設計図が歪めば、出力される結果も相応に歪んでいく。
ヒトの形を保てなくなった魂から、ヒトが形成されることはない。
そこから産まれてくるのは―――異形と同じ、人食いの化物に他ならず。
故に、異形化。
正しい治療を受けられず、されど戦いから降りることを許されないほど優れた超越者に待ち受ける、最悪な結末の一つである。
(一応聞くけど、異形化した超越者の扱いって……)
(無論、即殺でござるよ。世界を守ってきた超越者とて、異形化すればただの人食いでござるからな。それに、異形化は不可逆とされているでござる。発症した超越者が正気を取り戻した例は一件もない……この辺りも、厳しく処分される理由の一つでござる)
(だよねぇ……ってことは、さ)
程遠くない距離。
それこそ一キロも離れていないもう一人の超越者がいる方角を向いて、僕はガリッっと頭を掻く。
(こっちは例の裁定者機関……ってやつだったり?)
(恐らく。これほど強力な魂、在野にはまず転がっていないでござる。隠密を解いたタイミングから考えても、連中の一人で間違いないかと)
さして楽しくもなさそうに、切子が嫌な予感を肯定する。まぁ、ちょっと考えれば分かる話だ。
裁定者機関が超越者の問題に対処する組織ならば、その職務にこういったモノまで含まれているのは想像に難くない。
……真っ当に生きていれば縁がない、だったか。
切子の言葉は正しい。なにも見なかったことにすれば、それだけでこの縁は切れる。
異形化そのものは今回の依頼とも無関係ではないが、流石にこれはイレギュラーだ。アークにはアークのやり方があるし、異形化した超越者が人を喰らう前に処分するのも、理屈の上では納得できる――しかし。
(切子さんや)
(むふふ、嫌な予感。なんでござるかな~?)
にしては打って変わって楽しそうじゃんね。なんせ長い付き合いだ、こっちの言いたいことなど察しているに違いない。けど、こういうのは言葉にするのが大事だからね。
(裁定者機関の足止めをお願い。僕ならまだ、助けられるかもしれない)
何を隠そう、僕は魂癒士。
超越者の魂を癒し、正しいカタチへ調律する治療職である。超越者のように異能を用いて戦うことはできないが、その超越者が戦い続けるためには僕のような存在が必要だ。
見れば、件の超越者は完全な異形化に至っていない。
が、それは今にも起こりうる。人という存在の縁に、指一本で耐えているような状況だ。予断は許されず、動くなら速攻が求められる。
(見ず知らずの超越者でござるのに。ま、お館様らしいでござるけど)
(頼める?)
(ふふん。苦戦するとは申したが、負けるとは一言も言ってないでござるよ)
(そりゃ重畳。ちなみに、向こうだって仕事なんだから殺すのはナシね。怪我も極力しない、させないように)
(んちょ、注文多いでござるな~!? このレベル相手に縛りプレイは拙者でも骨が折れるでござるよ!? 一本くらい!)
いや一本で済むんかい。だとしたら望外だけども……溢れんばかりに撒き散らされている威圧感は、紛れもない強者のそれだ。切子の強さは知っていても、この領域まで至った超越者の力量はまさしく人外。僕程度では、どちらが優れているのか推し量ることは難しい。
(っと、ぐだぐだ言ってる場合ではないでござるな)
話している間にも推定裁定者機関の気配が動きだし、切子の声音から遊びが消える。
かなりの速度だ、放っておけば数分も待たずたどり着かれるだろう。
が、幸いにも今は真夜中。加えて星明りすら雨雲に遮られた状況だ。これほど闇が充満していれば、切子の速度域からは逃れられない。
(んじゃボチボチ足止めしてくるでござる、お館様もご武運を!)
(切子も! 言うだけ言ったけど無理しないように!)
直後、街灯に照らされていた影が大きくズレて、すぐに収まる。
頭の中にもう声は聞こえない。闇を渡りながら相手を追っていったのだろう。
「さて、僕も急がないと」
ぐっと踏み込んで跳躍。
露天の屋根から街灯の頭へと次々に飛び移り、一際高い建物の屋根へ着地する。周囲の人々が驚いたように見上げているが、面白半分に手を振り返す余裕はない。
勝利条件は異形化寸前の超越者の治療。
死神に先行されないのは前提として、僕がたどり着く前に異形化しても作戦は失敗だ。切子の言った通り、一度異形化した超越者は元に戻らない。僕に救えるのはヒトだけだ。その領分を離れられたら、本当に殺すしかなくなってしまう。
(こうも気配が強いと狼煙みたいだね。ここからでもハッキリと位置が分かる)
腐敗した魂の気配は、北西の空を舐めるようにおどろしく立ち昇っている。
目標の位置が掴めている以上、わざわざ土地勘のない街を走り回る必要はない。建物の上を渡っていけば一直線で済むからだ。彼我の距離は二十キロ程度、僕の足なら十分もあればたどり着ける。
「踏ん張れよ、すぐに行くか……らっ!!」
ぽつりと降り出した雨を額で弾き飛ばし、石組みの屋根を蹴って一気に加速する。
彼か彼女か―――まだ見ぬ超越者が正気を保てるよう祈りつつ。
いくつもの建物を幅跳びして、僕はマーケットを後にした。




