13.朝は来て雨は上がり
「ところで夜片」
「んっ、どしたの?」
システィアの隣に座ってから暫し。
他愛ない会話を交わして料理を摘んでいた矢先、思い出したように彼女がこちらを覗き込んでくる。
「アークへ来てから、体調に変わりはないかしら。いきなり無理をさせてしまったから」
「へーきへーき、むしろ調子いいぐらいだよ」
正式に仕事を受けるにあたって、僕の抱える『事情』はシスティアにも共有してある。色々あって万全とは言い難い体調を心配してくれているのだろう。
もっとも、調子がいいという発言に偽りナシ。巨大転移門を通ってからこっち、症状が出る気配もなく、物心ついてからの悩みの種もすっかり小康状態といった具合だ。
水があってるのかも、と述べる僕に、システィアが今日一真剣な眼差しを見せる。
「あまり油断しないように。私は〝四門〟から貴方を預かっているのだから……何かあったら結女たちに顔向けできないの。ちょっとでも症状が出たらすぐ報告すること、いいわね?」
「了解……けど、うーん。そしたら師匠たちが飛んできて、それこそ連れ戻されるんじゃ」
「実際そうなるわよ? 彼女たちに書かされた分厚い契約書に明記されてるもの。アークが原因で貴方の症状が悪化した場合、以降の契約を破棄して連れ戻すって」
「うっ、やっぱり」
やや冷えてしまったオードブルを口に放り込み、参ったもんだと頬杖をつく。
心配はありがたいけど、それだと困るんだよねぇ、僕としては。
師匠やシスティアにも思惑はあるのだろうが、僕も僕なりにアークへ来た目的がある。それを達成するまで、連れ戻されるのはなんとしても避けたい。まぁ、魂癒士の不足に手を貸したいって大義名分も、決して嘘じゃないんだけどね。
ともあれ僕にとっては避けたい話題なので、それとなく話題転換を試みる。
「にしても、分厚い契約書ねぇ……師匠たちの相手は大変だったでしょ。正直、七星も含めて、四門全体を納得させたのは未だに信じられないんだけど……」
「ふふっ、そこはオトナの交渉術よ夜片。色々な譲歩に始まり、譲歩からの譲歩があって、海よりも深く山よりも高い譲歩があったの」
「譲歩に次ぐ譲歩じゃねぇか」
譲りすぎだろ。僕一人獲るのにどんだけ譲歩したんだよ。
ちなみに詳しい内容は秘密とのこと。一応当事者なのに……と唇を尖らせつつも、それ以上追求するのは止しておく。別に僕は四門の主体者ではないし、彼女たちが納得したのであればさほど不都合はないだろう、うん……ないといいなぁ。
閑話休題。
聞きたかったのは体調だけだったようで、そこからは益体もない話で盛り上がること暫し。
頼んだら案外あっさり触らせてくれたシスティアの尻尾を撫でていると、一階に降りていた二人がやたら上機嫌で戻ってきた。かと思えば、僕の膝に乗った黒い尻尾を見たリフィルが、真っ赤になって怒り出す。
「ハァア!? ちょっと目を離した隙に、年端もいかない少年へ尻尾撫でを強要!? 来てくれ教育委員会ィーッ!」
「学園長バリアーッ! 夜片から触りたがったの! よって教育委員会は無効化! なんなら角も隅々まで撫で回して貰ったわ!」
「角までも――ッ!?」
がくーっと両手をついて項垂れるリフィル。
いや言い方よ。そりゃ角もどうぞと言われるがままたくさん触ったけど。というか失念していた、種族が違うのだから、もしや触れたり撫でたりにはデリケートな部分だったのではなかろうか。
咄嗟に確認の意を込めてシスティアを見上げると、彼女はいたずらっぽく角飾りを指で鳴らす。
「まぁ、竜族にとっては力の根源だから……少なくとも気心知れない相手に好き勝手触らせる部位ではないわね」
「やっぱり……」
そういう重要な話は先に……まったく、文化の違いは侮ってはいけないものだ。眉の下がった僕に対し、システィアは堪えきれないとばかりに吹き出して、
「バカね、私がいいと言ったのよ。それとも触れられている最中、嫌がっている気配でもした? 魂癒士ならその辺りの機微には敏いでしょう?」
「そりゃ、そういう感じはしなかったけど……」
「ならいいじゃない。私は綺麗って言ってもらえて、嬉しかったけれど?」
「……そっか!」
優しく微笑まれ、どうにも気恥ずかしく目を逸らす。
酔っている時はあんなに情けなかったのに。システィアの見せるギャップに風邪を引きそうになっていると、横合いから少女二人が割って入ってくる。
「待て待て待ってくれ!!」
「ソコがいい雰囲気になるのは話が違うでござるよ!?」
なってないよ……むしろ雰囲気が変わったのは君たちの方では?
一体どんな話し合いをしてきたのやら……行きは一触即発だったのに、息のあった連携で僕を引き剥がす二人にジト目を向ける。明らかに打ち解けるまでが早すぎる……切子に妙な事を吹き込まれていないといいのだけれど。
(心外でござるなぁ。ちょっと協力関係を結んだだけでござるよっ)
……あぁ、足先がそれとなく影に沈んでいる。
頭に響いてくる悪どい声に、さぞ楽しい会話だったんでしょうね、と僕は直近の未来を憂いた。
こういうテンションの切子は大抵ロクでもない事を企んでいる。そして巻き込まれず済む確立など、ウミガメが成体になるよりも期待できない。
(いちおう、会話の内容を伺っても?)
(いやん乙女の秘密をほじくりほじくり。お館様はえっちでござるなぁ)
ヨシ! 考えるのやーめた、まともに取り合ってたら七星から新しい護衛を呼ぶハメになる。
隣でクネクネする切子の脇腹を肘で突き、何も分かっていなさそうなリフィルには強く生きるんだよと内心でエールを送った。
そこからは四人で騒いで―――テーブルの上も粗方片付いたタイミングで、宴も酣とシスティアが解散の合図をする。
「え~もうお開きにござるか? 結局ほとんど食べられなかったでござる……」
「なに、また来ればいいさ。その時は二人とも私がご馳走しよう、個人的な恩も返しきれてないことだしな」
「……ねぇ夜片、もしや私だけハブられてないかしら?」
「……大人なんだから自分で出せってことじゃない?」
「ばぶ~!!!」
あぁ~バブり出しちゃった。大人って大変なんだねぇ。
いい加減扱いが分かってきたので適当に流し、ばぶばぶ泣く学園長の背を押して一階へ。
階下ではリックが磨き上げたグラスとにらめっこの最中で、僕らに気づくと破顔して手を振ってきた。
「お帰りか。満足いったか坊主?」
「そりゃもう! 絶対にまた来るよ。食べれるメニューは全制覇するまで世話になるから、そのつもりで」
「うはは、何よりの褒め言葉だ。ご愛顧頂くために、もっとレパートリーを増やさねぇとな」
身体だけじゃなくて向上心もデカ過ぎる。
てか、先頭でオギャってる学園長をガン無視とは恐れ入った。普段からどんだけ暴れてるのさシスティア……大人の赤ちゃんプレイが流されるって相当なことよ?
「ほれシスティア、バブってねぇでシャンとしろ。お会計だ」
「ばぶ……ってちょ、高くないかしらっ!?」
「たりめえだろ、俺が奢んのは坊主と嬢ちゃんらの分だけだ。いい酒ばっか浴びるように飲みやがって、そっちはしっかり請求させてもらうからな」
「ソンナ――――!?」
伝票片手にイヤイヤする姿は可哀想だが、完全に自業自得である。これで少しは酒を控える習慣が付くといいんだけど――えっ、無理? 期待できない?
後からやってきたリフィルに無の表情で諭され、リックにもう一度挨拶してから、ひとまず店を出た。
時刻は早朝の四時。雨はいつの間にやら上がっていたらしい。
路地裏から見上げる空は雲一つなく、切り取られた薄明が建物沿いに細長く伸びている。
「んーっ! 朝の空気も七星山とは一味違うねぇ」
「土の匂いが薄いでござるな~」
まだ湿っぽい空気を胸いっぱいに吸い込み、味わって吐き出す。深山幽谷だった七星の朝は、土と緑の香りに満ちていたが――こちらは澄んだ空気に、人工的な香りが混じっている。
濡れた石畳の香り。料理の豊かで豊満な香り。ヒトが住んでいる証、営みの香りだ。これはこれで、なんとも嫌いではない。
水を切った傘を影に放り込み、二人でふんふん鼻を鳴らす。はたと気付けば、隣にやってきたリフィルが、声もなく空を見上げていた。
もう頬は濡れていない。ただ大きく開かれた瞳が、見上げた世界を掬い取り、薄明を湛えて輝いていた。
「結局……捉え方一つなのだろうな」
「なんて?」
「おセンチでござるか?」
ふはは、僕らが揃ったタイミングでしんみりしようなど、片腹痛し。
切子と手を繋いで周囲をぐるぐる回れば、数度瞬いてから、理解が追い付いたのか赤面し手をバタつかせる。
「からかわないでくれもう! 色々あったんだからちょっとくらい浸ってもいいだろう!?」
「させんよリフィルパイセン」
「捉え方一つでござるよパイセン」
「悪い意味で息ピッタリだなキミら!? しかもちゃんと聞こえてるんじゃないかっ!」
そりゃ付き合い長いですし。示し合わせたようなパイセン呼びに悲鳴を上げ、ライン超えだった切子の両頬をリフィルが半泣きで挟み込む。抗議のレベルが愛らしい、ウチの師匠なら顔がまんじゅうになるレベルで殴ってる。
「貴方たち元気ねぇ……」
そうこうしている内、やたら精気のないシスティアがベッと店から吐き出されてきた。ぺしょぺしょの財布を力なく胸元にしまい込んだ辺り、相当持ってかれたらしい。重ね重ね自業自得なのに、なんとも憎めないヒトである。
「とりあえず、学生寮に向かいましょうか。夜片と切子には部屋も用意しないといけないし」
おお、学生寮ですってよ。
わちゃわちゃと押し合っていた僕らもひとまず散開。のんびり歩き出した学園長に付いていきながら、個人的に期待していたワードに胸を躍らせる。
引きこもりの反動……ではないが、創作物でしか知らない寮生活には憧れていた。仕事を受ける段階でトリニティは寮制だと聞いていたので、実は密かに期待していたのだ。
(楽しみだねぇ)
アーク。トリニティ。学園生活に学生寮。
閉じた世界から一歩踏み出しただけで、世界は未知に溢れている。
開幕からトラブルに見舞われたものの、お陰でリフィルや梅干のような知己も得られた。
始まりとしては結構結構、体調も悪くない―――願わくばこの調子で、ここに来た目的も遂げてしまいたいものだが。
「……っと」
考え事をしていたら、歩調が遅れていたらしい。
なんとか三人で相部屋にしてくれと無茶を言うコンビに苦笑しつつ、出遅れた僕も小走りで集団を追いかけるのだった。




