11.黒竜システィア
疲れたぞどちくしょう。
あの後、いきなり青ざめたシスティアを慌てて介抱すること暫し。悪戦苦闘の果てに出すもの出し切った彼女は現在、スッキリした表情で床に正座させられていた。
「いや〜酒なんて飲むもんじゃないわね! 失敬失敬!」
座っていても分かるスタイルの良さに、腰辺りで揺れる灰色の髪。臀部からは黒鱗に覆われた尻尾が伸び、側頭部では大ぶりな黒角が二本、シャンデリアの灯りを受けて煌めいている。不思議な装飾に彩られ、古い樹木を彷彿とさせるよう捻じくれたそれはしかし、左側だけが半ばから折れてしまっていた。
胸元の空いたドレスも絶妙に下品に至らず、彼女の美しさを妖しく引き立てている。月並みな表現になるが、ぱっと見れば万人が絶世の美女と褒めそやす容姿だった。無論、床に正座したシチュエーションでなければ、という但し書きは付くが。
「ホント、大変だったんだから……」
「まさか病み上がりで介抱する側に回されるとは……」
二人分の呆れを喰らい、身を守るようにそそくさと尻尾を抱きしめるシスティア。威厳がまるでない……偉い人の姿か? これが。
「じっ、自己弁護させてもらえないかしらっ!?」
「はぁ……聞くだけ聞こうか」
もしかしたらやむにやまれぬ事情があったのかも。とりあえず聞く姿勢を取れば、システィアはその豊かな胸部を張って、意気揚々と語りだす。
「もともと最悪に備えて動けるようにはしていたのっ! けど、夜片の活躍でその必要はなくなったじゃない? だったら貴女の快気祝いと、夜片たちの歓迎会も兼ねて、宴会の準備でもしておこうかな~、なんてね! ほら、料理も飲み物もいっぱいあるわよ~!」
「にしては……我々抜きで、随分と盛り上がっていたようだが」
あっ、一瞬で小さくなった。理論が貧弱すぎる。
テーブルには無数の空き瓶と、中途半端に手をつけられた料理の数々。主役を待てなかったのが手に取るように分かる惨状である。なんだろう、吐くまでの痴態にしろ、怒られてからの態度にしろ、師匠に近しいものを覚える。反省が浅いタイプの酒乱とみたね。
なので、仲裁してほしそうに見てきても、ダメなものはダメ。一度しっかり怒られた方が身の為だって。
「そもそも生徒の前で吐くほど飲むやつがあるか! 残ってる酒瓶も没収させてもらう!」
「ソンナ―――!!」
「おーう注文決まったか……って何やってんだお前ら」
あらまタイミングいいねぇ。
ちょうど階段を上ってきたリックが、仁王立ちのリフィルに縋り付く学園長というあんまりな構図に頬を引きつらせる。
「お説教中だよ。ほらあれ」
「おん? ……なるほどな」
テーブルの惨状を指させば、大凡を悟ったのか、リックは合点がいったと苦笑いを浮かべた。
「怒らせると怖ぇんだよリフィルの嬢ちゃんは。ありゃ長引くぜ? ブチ切れた時のウチのカミさんそっくりだ」
「リック……夜片に何を吹き込んでいる?」
「だーいや何でもねぇよ! 後ろ姿も別嬪だって話をしてたんだせなぁ坊主!?」
一拍おいて、ならいいとお説教へ戻るリフィルに、二人してこっそり冷汗を拭う。怒れる女性が恐ろしいのは、種族を問わず共通であるらしい。
ごめんシスティア、これを仲裁する勇気は僕にはない。もはや諦めムードで、叱られてはポインとケツで跳ねる学園長から加速度的に失われていく威厳や尊厳に瞑目していると、同じく処置なしといった雰囲気のリックが話を戻す。
「ま、最終的に残さなきゃ俺はそれで構わん……で、お前さんは頼むもん決まったのか?」
介抱のドタバタですっかり忘れていた。食べ物に意識がシフトした瞬間、思い出したように腹の虫が鳴いて、耳聡く聞きつけたシスティアが這々の体でこちらへやってくる。
「うぅ、お腹が空いているんでしょう夜片。何はともあれまずはご飯よご飯! こんなおめでたい日なんだから、お叱りは後にしてパーッとやろうじゃないの!」
「まだ話は終わっていないぞ学園長……しかし、ふむ。これ以上君を待たせるのも忍びないか」
いや、僕は別に構わないんだけどね? ただ、半泣きで必死に縋ってくる学園長を突っぱねるのも気が引ける。ま、お腹が減ってるのは事実だし、ここは一度宴会と洒落込もうじゃありませんの。
「僕はやっぱりハンバーグにしよっかな」
「夜片~! そうよねありがと~!」
露骨にシスティアの表情が輝く。リフィルの性格上、執行猶予が設けられただけじゃないかな……まぁ、本人がニコニコなので野暮なことは言わんけども。
リフィルもひとまず矛を収める気になったよう。ハンバーグが好きなのか……と頬を綻ばせつつ、自分の注文は慣れたものでバシバシとこなしていく。
ひとしきり注文を取り終えたリックは丸太のような腕を捲って叩き、
「任せとけ、腕によりをかけて作ってやるぜ……んで、システィア。お前さんも追加の注文はねぇのか」
「お酒をちょっぴり(小声)」
「「「それはダメ」」」
まるで成長していない、終わったら毛穴という毛穴からアルコールを垂れ流すほど絞り上げてくれる、暫くウチじゃ酒は出さんようカミさんと娘にも言っとくからな、等々散々な言われようで、注文を弾かれた学園長はアルマジロのように床で丸まるのだった。
***
テーブル上に、湯気を登らせた料理が所狭しと並んでいる。
無骨な骨が突き出したワイルドな肉塊に、香ばしい香りがたまらない飴色に焼けたパイ、瑞々しい葉物を使ったマリネらしきもの、その他見たこともない料理の数々……そして何より、正面で強烈な存在感を放つクソデカハンバーグ。
右手にフォーク。左手には赤色のジュース(魔界ではベーシックなフルーツジュースらしい)をなみなみ注いだジョッキを装備し、準備は万端だ。隣に座ったリフィルもグラスを構え、正面のシスティアが立ち上がって乾杯の音頭を取る。
「コホン、では改めて。リフィルの快気と、夜片たちのトリニティ入学を祝って! カンパ~イ!」
「「乾杯!!」」
さあさあさあ、何はともあれハンバーグですよ。少々のマナー違反には目をつむってもらい、突き刺したフォークで丸ごと持ち上げ、口に入るだけ思いっきり頬張る。こ、これは……噛んだ瞬間肉汁が一気に溢れ出して、フルーティーなソースと合わさり渾然一体となる。じゅーしーでしょぷしょぷだ。旨味の暴力もさることながら、歯ごたえも素晴らしい。柔らかい肉に混ざった軟骨のようなコリコリを楽しんでいると、それは魔法のようににほどけていき、上質な油となってハンバーグ全体の野性的な香りを包みこんでくれる。
と、ごちゃごちゃ言ったが要するに、
「う゛ま゛い゛ーーーー!!」
「ガーッハッハ、そうだろう!? 味わって食えよ坊主!!」
おっと、感想が一階まで響いていたらしい。階下から届く満足げな大声に何度も頷き、嬉々としてハンバーグを詰め込んでいく。にしても美味い……むっ、リフィルの手が動いていない。やっぱりまだ不調なのだろうか?
「大丈夫?」
「……んふ、ははっ、大丈夫だとも。ただ少し、感慨に耽っていただけだ」
そう? ならいいんだけど。
手付かずの料理を前に固まっていたリフィルは、僕の顔を見て可笑しそうに口元を抑えてから、急に真面目くさった様子でこちらへ頭を下げた。
「夜片。君には、感謝してもしきれない」
「モゴ、ごくっ、いや、いいって! 大した事してないよ僕は」
咄嗟に制止しようと肩に手を添えて、彼女が震えている事に気付き、固まってしまう。
「大したことあるさ……ご飯を……ちゃんとしたご飯の匂いを美味しそうだと思ったのは、本当に久しぶりだ……私は頑張っていたようで、心の何処かで、どうせ人には戻れないと諦めていたんだ」
ぽたりと、こぼれ落ちた雫が床を濡らす。
「ありがとう、私を人に戻してくれて。ありがとう、尊厳を守ってくれて。君にとって大した事でなかろうと、私は今日の恩を忘れない」
「……そっか。じゃあ、胸を張っておこうかな?」
「是非そうしてくれ……ぷ、ふふっ、それは反り返り過ぎだろう」
冗談めかして踏ん反り返れば、思わずといった形で泣き顔に花が咲く。
それでいい。リフィルの手前ああは言ったものの、やはり僕の力など微々たる物だ。人にしがみつき、己を諦めなかったのは、他でもない彼女自身なのだから。
「ほら、元気になったなら一緒に食べよう。正気に戻ったからって完治には程遠いんだ、僕の目が黒いうちはしっかり食べて寝て、回復に努めてもらうからね」
「んっ……そ、そうだな! 私も食べるとしよう! うん!」
大事な事なので真正面から言い含めれば、リフィルは泣き笑いから一転、ぎこちなく頷いて、唇で食むように料理を食べだした。よし、いっぱい食べて元気になるんだよ。なんなら僕のハンバーグも一口あげちゃう。
……んで、正面のシスティアさんや。青息吐息でソファにもたれ掛かってどうしたの。エラいもん見せられて、酒でもないとやってられんみたいな顔してるけど?
「酒でもないとやってられん」
まるっと言っちゃったよ。一言一句違わない辺り、教育者として最高にロックなんだよなぁ……。
七星山では本当に猫を被っていたんだと感心しつつ、ふと気になっていた疑問を投げかけてみる。
「そう言えば、システィアとリフィルってどういう関係なの? やたら仲がいいというか、互いに遠慮なく見えるけど」
「一応は、学園長と学生の関係よ? 個人的な友誼は多少あるけれど……あら、そのリアクションだと聞いてなかったのかしら。貴方の一年先輩よ、彼女」
「聞いてないよ……リフィル、今からでもセンパイって呼んだ方がいい?」
「ん、げほ、ごほっ! 勘弁してくれ、今更他人行儀なのはショックが……んん? いやでもキミから先輩と呼ばれるのも……」
そこは悩ましいらしい。謎に考え込んでしまったリフィルの隣で、推定後輩となった僕は回答を待ちながら、ハンバーグの続きを口へ運んだ。




