10.レストラン【グランエール】
「ここが……」
氷鳥に案内されてたどり着いたのは、路地裏に建つ小さなレストランだった。
木造の二階建てはこじんまりとしつつも洒落た雰囲気で、窓から漏れ出す暖色の明かりが水たまりに反射して揺れている。
看板に記された店名は、
「レストラン・グランエールだってさ。いい名前だねホーク君……あれ、ホーク君?」
店を眺めていた僅かな隙に、氷鳥は姿を消していた。溶けてしまったのか、あるいは何処かへ飛び去ったのか、いずれにせよ案内は果たしたということなのだろう。機会があれば自分も創造魔法なる魔法に触れてみたいものだ……さて。
気を取り直し、傘は傘立てへ。
空いた両手で少女を背負い直し、そっとドアを押し開ける。
「おじゃましま~す……」
備え付けのベルが鳴って、視界が一気に明るくなる。
外観のイメージをそのままに、木の温もりが活かされた素敵なフロアだ。四人がけのテーブル席がいくつかと、奥にはカウンター席も用意されている。が、そこに客が座っている様子はなく、吹き抜けの天井から吊られたシャンデリアが、店内を寡黙に照らしていた。
誰も居ないのだろうか? 入る店を間違えた?
あまりの静けさに焦りを覚えたタイミングで、カウンターの奥から熊のような大男がのそりと顔を覗かせる。
「あん、客か? 悪いが今晩は貸し切りなんだ。夜食が食いたいってんなら他を当たって……ってオイ、リフィルの嬢ちゃんじゃねぇか!?」
「リフィルの嬢ちゃん?」
僕が背負っている少女のことだろうか。
気だるそうに断りの文言を並べていた大男は、大いに慌てた様子でカウンターへ身を乗り出す。
「おうよ、嬢ちゃんを背負ってきたなら、お前さんが夜片だろ? システィアから事情は聞いてるぜ」
どうやら話は通っているらしい。僕が近寄ると、赤い短髪をオールバックにした男は相好を崩し、ガッシリした手をカウンター越しに差し出してきた。
「この店のオーナーシェフ、リックだ。よろしくな坊主」
「よろしく、うわ、手ぇ大っきいね! 僕の倍以上あるかも」
「ぐはは、俺は赤熊の獣人だからな。そこらの魔族と比べても色々でけぇのよ」
満更でもなさそうに胸を張るリック。
いいな~、羨ましいな~。ぶっちゃけ男なんてデカいほどカッコイイ(暴論)のに、僕と来たら七星で拾われてから一生チビのまんまだ。牛乳やら背伸び運動やら、色々頑張ってるんだけど……実る気配は今のところ無い。
閑話休題。握手を終えた僕は、早速で申し訳ないんだけど……とリックに事情を説明する。
「タオルか何か、拭く物があれば借りていい? 魂は治療したけど、このままじゃ身体の方が参っちゃうから」
人間濡れたままだとそれだけで消耗するものだ。可能なら女性の手を借りて丸ごと着替えさせるのが手っ取り早いが、ひとまず髪や手足を拭くだけでも違うだろう。
それを聞いたリックも「気が利かなくていけねぇや」と頭をガシガシ掻き、裏に引っ込んですぐ山盛りのタオルを抱えて戻ってくる。
「ウチのカミさんか娘が起きてれば良かったんだがな。とりあえず俺じゃ務まらねぇから坊主、お前がある程度拭いてやって――ん? あぁ?」
「了解……あれ、どったのリック?」
カウンターにドカンとタオルを乗せたリックが、訝しげな目つきでリフィルを注視し、ややあってからニヤッと口元を歪ませる。
「なぁ……リフィルの嬢ちゃんよ。狸寝入りは良くねぇや。起きてんだろ? ぶっちゃけよ」
「えっ!! マジで!?」
ビックリして真横を見ると、うすーく細められた黄金の瞳とばっちり目があった。
はわ……とあくびが首筋を湿らせ、回された腕がなんだか言い訳がましく締まる。
「い……今起きたばかりだ。ほんとうだぞ」
翡翠色の角に勝るとも劣らない、凛として透き通る声が耳朶を打つ。
にしたって、とんでもない回復力だ。一度異形化寸前までいったことを思えば、この短時間で意識を取り戻したのは驚嘆に値する。それこそ師匠や切子に匹敵するほどの……魂の規模を見て薄々察してはいたが、彼女は恐らく天才の部類だ。ともあれ、早く回復する分にはめでたいことである。
実質的には初対面。まずは調子を尋ねようとしたものの、ニヤニヤしたリックがその前に口を開く。
「嘘つけ、どうせアレだろ? 途中で起きてたのに、好みのオスがおぶってくれてるもんだから寝たフリを……」
「わー! わーっ!? どうしてそうデリカシーがないんだリック! 私は別にそういうつもりでは、」
そこまで言って固まったリフィルは、油切れの機械じみた挙動で僕の背中から降りる。いや、本当に大丈夫かコレ? 顔は赤いし、視線はまるで定まっていない。
咄嗟に彼女の額へ手を伸ばし、
「まだ背中で休んでていいのに」
「わ~~~~~~~~~~ッ!?◯✕△☆※@ッ!!」
えっ、どういうコト!? 嫌だった!?
頭から蒸気を登らせたリフィルは勢いよくタオルの山を引っ掴み、椅子につまずきながらリックを睨みつける。
「わ、私は先に学園長に会ってくる! どうせいつもの二階席だろう!?」
「おう。あいつも今回はかなり気ィ揉んでたからな……さっさと元気なツラ見せてやんな」
「そうさせてもらおうっ!」
店の入口から見て右手、二階へ続く階段を怒り肩で登っていったリフィルは――すぐドタドタと降りてきて、手すりから真っ赤な顔だけを乗り出してくる。
「その、ありがとうを言い忘れていた! キミも後から来てくれ、伝えたいことが沢山あるんだ!」
律儀にまぁ。大した事なんてしてないのに。
気にしないでと手を振ると、リフィルははにかんで手を振り返し、今度こそ二階へと上がっていった。
暫しの沈黙。
「……どうよリフィルの嬢ちゃんは。優良物件だろうが」
「リック~?」
「ぐはは、スマン調子に乗りすぎた! ……けどまぁ、俺も浮かれてんのよ。分かってくれや坊主」
悪ノリに釘を刺そうとした矢先、リックは思いの外神妙な表情で顎髭を撫でていた。ので僕もそれ以上は追求せず、向かい合ってカウンター席に腰掛ける。
「最後に嬢ちゃんがウチへ寄ったのは、三ヶ月前だ。ひでぇ顔だったよ。もう来ねぇんじゃねぇかって……俺もほら、元超越者だから、末期なのはわかってたんだ。けど、なんもできんかった」
束の間、堪えるように目蓋を固くして、次の瞬間には何もかも吹っ切るように深く笑う。
「俺からも礼を言わせてくれ。リフィルの嬢ちゃんはお得意様だからな。今後も贔屓にして貰えるなら、ウチの店も末永く繁盛ってもんさ。だろう?」
茶化して片目を瞑るリックに、僕もにへらと口角を上げる。
「つーわけで、お前さんの分は俺の奢りだ」
「えっ、いいの!?」
「おうよ、こんな路地裏で潰れずやってんだ、味は保証するぜ。ここに載ってるモンならなんでも作ってやる……よっ!」
そう言ってリックが持ち出したのは、辞典と見紛うような分厚いメニュー表だった。重厚な音で着地したそれを捲ってみれば、並ぶは壮観異界の料理、未知なるメニューのオンパレード。手始めに気になった紫色のスープを指さすと、どれどれと覗き込んだリックが渋面をつくる。
「あー、そいつは駄目だな。一部の魔族向けに用意したスペシャルメニューだ。特殊な酵素を持ってないヤツが飲めばケツの穴が二つに増える」
「内側から溶けるってコト……!?」
恐ろしくも好奇心が刺激される話だ。他の料理にもそういった注釈はあったりするのだろうか。
それからは二人、夢中で質問する僕を面倒くさがる様子もなく、逐一説明を入れてくれるリックと共に、メニュー首っ引きでああでもないこうでもないと話し合うのだった。
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「でな、この溶岩蛇の肉が曲者なわけよ。生半可な刃物じゃ切れねぇし、当然噛み切れるわきゃねぇんだが、アングールって火山の溶岩に通してやるとブリンブリンの霜降りに変身する。これを肉ダネにハンバーグでも作りゃ坊主、理解るか? 美味すぎて宇宙だ」
「美味そ~! マジでどうしよっかな」
「遅いと思えば何をやっているんだ男二人で……」
リックの料理解説を聴くこと十分ほど。やたらイメージを掻き立てる食レポまで付いてくるせいで注文を決めかねていた折、吹き抜けの二階から呆れ顔のリフィルが身を乗り出してきた。
「夢中のところすまないが夜片、二階へ上がってきてくれないか。その、ちょっと私一人では手に負えない事態になった」
はて、手に負えない事態とな?
見上げた先のリフィルは、背後が気になるようで頻りに振り向いている。二階にはシスティア様が待っているという話で、もしやトラブルでもあったのだろうか。
「とりあえず行ってやんな。注文は後で取りに行ってやるよ」
「おっけ、後でねリック」
ひとまず重たいメニュー表を返し、僕も階段を登ることに。
システィア様か……紆余曲折あったけれど、そもそも彼女に会うのが当初の目的だったのだ。師匠がさんざ遅延した件をどう謝ったものか……考えるだけで空腹とは別ベクトルで胃が縮む。
「そも、手に負えない事態って何があったんだろ?」
覚えている限り、システィア=ゼノラギアの人物像は、涼やかで美しく、理路整然とした大人だ。
一方のリフィルからも、接した時間は少ないがしっかり者、常識人寄りの印象を受ける。
あの二人が揃って面倒事なんて起こるのかね?
「あぁ、来てくれたか」
階段の終端で、やたら疲弊した様子のリフィルが半笑いで出迎えてくれる。やはり無理しているのではと心配するも、どうやらそうではないらしい。
「参考までに聞くんだが夜片……学園長との面識は?」
「一回だけ。その時はあんまり会話出来なかったけど、しっかりした、大人の女性だなって」
「……そうきたか。さては外面だけ取り繕ったなあの飲んだくれめ。夜片、その第一印象は捨てたほうがいい。きっとショックを受けるだろうから」
メチャクチャな言い草である。
今ひとつ要領を得ないが、何があっても驚かないよう心臓は叩いておこう。さて、鬼が出るか蛇が出るか――リフィルに手を引かれてやってきたフロアで僕の目に飛び込んできたのは、
「む、むほーっ! あまずっぺー! 手なんか繋いじゃって。こういうのが見たくて今日も仕事を頑張った! ぐへへ、ここに来るまでにちゅーくらいは済ませたんですかねェ~ッ!? はーうらやまし! あれ、なんだろっ? なんか嫌になってきちゃったな! 私だってまだ千歳ちょっとだし? 地位もお金もあるしっ! 連盟のジジィと学生の板挟みに耐えて、毎日がんばってるのにな! なーんで私には出会いがないのかなっ? あークソクソクソ、イライラしすぎて眼がチカチカする……えッ、妖精さん(幻覚)じゃんッ!? チンクルホィっ★運命の王子様、でてこいやっ……でろやッ、ちくしょうっ、うおおおお、死ねーーーっ!」
「よし、見なかった事にしよう。ばいちゃ」
「そ、そうはいかないぞ! 私一人では抱えきれんっ!」
くっそ逃げそこなった、やたら深く手を握られると思ったらそういう事かよ! 助けてリック、一階に帰らせてくれーっ!?




