最初の異変
更新は遅めです。
ガタンッ
不規則な揺れの中でひときわ大きい縦揺れに、半ば意識の飛んでいた俺は、はっと目を覚ました。
見知らぬ景色に少し不安になる。ここはどこだ? ガタン、ガタタン、と不規則に揺れる小部屋とも呼べない畳四畳の休憩所が乱雑している。部屋と部屋の壁の区切りは無く、せいぜい通路を挟むくらいだ。そして、はめ込まれた窓から見える、空との境界をなくすような「赤い」海。
―――ああ、そうか、思い出した。俺はフェリーに乗っていたんだっけ。
うーむ。俺はまどろんでいたらしい。妙に体がだるいのは船の上で寝ていたからか。携帯をの電源を入れて、時間を確認する。午後の五時少し前。到着時間は五時半だから、丁度三十分くらい前、だろうか。
うーんと体を伸ばして、凝り固まった体を解す。
携帯は着メロは鳴らないが、振動してメールの受信を告げた。
俺は大抵どんな時でもマナーモードのままだ。単純に使い分けるのがめんどくさいだけだが。
母と義妹からだった。全部で四通。三通は母。空港にはちゃんと着陸したのか、船には乗れたのか、 何故連絡を返さないのか、といった具合のメール。
そう云えば、飛行機に乗る前に電源を切ってしまっていたので忘れていた。申し訳ない、と謝罪を添付して今は特に問題ない、と送っておく。
そして義妹のメール。正直、一瞬空けるのを躊躇う。
要約する必要もなく『向こうでも頑張ってください』と書かれているだけ。
簡単な文に、いまどきの中学生にしては淡々とした文章。そっけなさ過ぎるとでも思ったのか、文末に付いた顔文字も妙に余所余所しく感じてしまう。しょうがないとは思うが。
ありがとうと、こちらも送っておく。返信はこないだろう。母はこのやり取りに慣れているし、義妹は、まぁ最低限のマナーとして送ったのだろうから、意図的に返信は要らないようなメールにしといた。その方が向こうは気楽だろう。
ごろん、と畳の上に寝そべった。
見知らぬ天井と、白色の光が起き抜けの目にはキツイので手で隠す。ああ、俺は知らない場所に来たんだな、という実感が湧き上がる。寂しい気もするが、楽しみだ、という気持ちも大きい。
羽田から鹿児島まで一時間半。飛行機で行き、電車とバスを乗り継いでその港から定期船に乗った。 俺は不幸体質なのでどこかで事故が起こるかもしれないと思うと緊張で寝れなかったが、逆に鹿児島から五時間の船旅では、それが祟って寝こけてしまった。
ブラリ一人旅、ではない。俺の通う高校に行く為だ。
日本領土の南端、離島、『役ノ島』。本島から航空機で約一時間、船では五時間かかるだけあって、問題ないように医療施設や生活用品の類には十分な施設がある。事前に俺が調べた話しだと、直径六十キロの円形に近い五角形の、日本では九番目に面積がある島で、それだけ物品の需要もあるかららしい。
だが、そこを端的に表すなら『ド田舎』、だ。
コンビニはないし、電車やタクシーの類すらない。典型的な田舎だ。周りが海なのもそのイメージに拍車をかけている。まぁ、大の大人なら島の端から端まで徒歩一日で到達出来るので、必要がない現実なのだが。
俺はその島に一度だけ行ったことがある。
といってもガキの頃、十年近く前で、それも一週間程度の滞在で当時の様子なんか結構うろ覚えだし、 実際島の名前や地理に関してはここ半月で覚えた事だ。俺が役ノ島学園に入学する談で、色々調べてる内にそのことを知ったに過ぎない。
覚えている事もある。あそこのミカンが美味しいとか、トビウオが新鮮で美味しかったとかそういう記憶や、森ばっかで驚いた記憶、地元の子と遊んだ記憶。でもそれもここ数年思い出さなかっただけあって、どこをどう俺が好き勝手に思い込んでいるかなんか分からない。実際の道なんかは全然分からないだろうな、きっと。
「よっと」
体を起こした。ちょっと頭が揺れる感じがして気持ち悪いが、平気だ。昔から乗り物酔いだけはしたことがない。どうでもいいが。
到着まで時間が少しある。体を解す意味を込めて、俺は休憩所から降りて移動することにした。
フェリーの五時間は相当長い。ちょっとした娯楽、小さいゲームセンターなどもあるのは幸いだ。
俺は近くの食堂の入り口の自動販売機でお茶を購入、風に当たりに外に出た。
船の外は閑散としていて、人気は殆どなかった。船の前方には島がはっきりと見えた。役ノ島はもう目の前だった。
「綺麗だね」
「?」
聞きなれない声が、右から聞こえて、俺は横を向いた。
いつの間にか、人が一人、横に立っていた。手すりに体を預けながら、真っ直ぐ俺を見ていた。
いつから居たのだろうか、それは金色の髪をした青年だった。年齢は、二十半ばだろうと思うが自信はない。
碧い不思議な深みのある瞳に何となく吸い込まれそうな気がした。俺と同じ程度の身長と、日本人では有り得ない形で整った線の細い顔。一瞬、同性かどうか疑った。
青年はにっこりと笑った。
誰に? というよりも俺しかいない。
「島を、見ていたんだろうと思っていたんだけど、違った?」
あまりに流暢な日本だった。
俺は驚きながら、どこか安心した。理由は明確過ぎる。英語は得意じゃないからだ。
「ええ、綺麗です。こんな綺麗な景色、初めて見たかも。パンフレットとか写真で見るのとはまた違う感じで」
「ああそう? でも僕は――――君に言っているんだけどな」
「は?」
今物凄い事言わなかったかこいつ。
「いやいや、なんでもない」
誤魔化すかのように青年は手を振った。そして俺にじろじろと遠慮のない視線を向けてきた
値踏みされているようで、正直気分良くない。
「君の両親、親戚でもいいんだけどさ、何か宗教とかやってる?」
「はあ? いや、やってないですけど。根っからの無宗教ですうちは」
突飛な質問だった。新手の宗教団体の誘い、の訳ないだろうし。どこか胡散臭いような気が。返事を返すんじゃなかったな。それにしても両親か。正直、今一番聞きたくなかった話題だった。もしかしたら、妹や「その父親」は何か宗教信仰があったかもしれないな。
青年は感心したような声を上げた。
「へぇ、それにしては………なかなか。ああ、お腹空いちゃうなぁ、今なら誰も居ないし」
ブツブツと呟きながら青年はどこか軽薄な動作でお腹に手を当てた。そして俺の方をちらりと見た。
何故か俺はその動作に鳥肌が立った。
「ん、おおっ?」
………ずずん。絶えず聞こえていた波の中でも、一際大きい音がして、船が一瞬グラついた。
俺は転ばないよう慌てて手すりをしっかりと握った。一瞬、体が海に投げ出されそうになって冷やりとした。
だというのに。
青年はまるで何事も無かったかのように、手すりから手を離したまま、微動にせずに立っていた。まるで揺れが無かったかのように平然と。気が付いた様子も無く。
俺は突然、衝動的に違和感を覚えた。この青年に対して。僅かに。しかし確かに。
「あああ、もう我慢が出来そうにないよ」
すっと青年がこちらを向いた。その瞳はまるで熱に浮かされた子供のような目だった。
欲望に従順そうな意味で。
「だ、大丈夫っすか………」
「平気さ。ただちょっと興奮しちゃってね。僕、こんなに喜ばしい日は中々ないよ。こんな事なら、本島に戻った意味、無かったかも。でもそうしたら船に乗る機会も無かったかな?」
「へ?」
「ほら、あれ見える?」
青年がまたもや唐突に船の外、役ノ島、その先の水平線にそって横に指を滑らせた。丁度島の東のあたりに。
「何か、って鯨、ですか。いや、でもあんな大型なんてこんな島の近くに来る筈が………」
「ああ、あれは鯨なんかじゃない。―――龍だ。暑い日はああやって海で水浴びしているのさ。この辺りの海の神、恵比寿に許可を取ってね」
「はい?」
突然ワケの分からない事を青年が微笑みながら囁いて来た。龍なんているわけがない。そう思ったが、青年がこっちをじっと見つめていた。
「君、すっごく綺麗だ………」
ぐっと、青年は何時の間にか俺と距離を詰めていた。
どこか、色っぽいような? というかこいつ近くないか。気が付くと、腰に手を当てられていた。
至近距離で紺碧の瞳が俺の瞳を覗きこんでくる。物凄い嫌悪感を感じて、俺は体を引き剥がそうと思った。しかし、思うように体が動かなかった。それに、どこかぼんやりするよう、な………。
そういえば、俺、何しようとしてたんだっけ。あれ、何でこんな近い場所に男の顔が。男の顔?
っていうかこいつ、俺の首筋に顔埋めてないだろうか。じゃあ、首に当たってるのは吐息か。ってことは――――これは野郎の髪か! ぞわっと、嫌悪感が再び巻き上がる。
「な」
「ああ、いい香りだ。………ん?」
「何してんだてめえええ!!」
「あべしっ!」
思わず、ぶん殴って男を引き剥がした。もんどり打って転げまわる男。青年、って呼び方はいいイメージあるからこの男。むしろ野郎。
変態ってマジでいるんだなぁオイ! 生涯初めて痴漢にあった俺はしかし怯える少女ではない。ぶん殴ったし、直ぐにでも船員にでも突き出してやる。
「な、なんで、僕の瞳が、き、聞かないワケがない!」
殴られたショックか意味不明の事を口走る男。顔面を押さえながらわめき散らす姿は怖気が走る。やべえ、マジでヤバイ奴だ。さっき体が痺れたように動かなかった。こいつ薬か何か持ち歩いている可能性もある。とはいえ、本気で殴ったので鼻がへし折れていたら可哀想な気も…………
「あは、あははははははははははははははは!!」
しねえ! そんな気全然しないよコイツには!
そして、優雅に、そう場違いな程優雅な動作で、芝生で寝転んでいた紳士が身を上げるようにゆっくりと起き上がった。
「君、面白いなあ」
俺が殴った顔を抑えながら青年は低い声で言った。
正直、ヤバイ雰囲気しかしない。
ずずん。そして運悪く、波に揺られて、船が大きく揺れた。俺はバランスを崩して転んだ。看板から足が滑って腰と手を打ち付けた。
「痛てっ」
かなり痛い。だがこの体勢は危険な気がした。俺は急いで顔を上げる。さっきと同じように、男は全く動じずに立っていた。
しかし男は、無言で直立したまま船の外を向いていた。
「……………………」
てっきり襲い掛かって来ると思ったが、どうやら意識が反れたらしい。
その時、俺は逃げよう、と思った。こんな奴、相手にしてられない。
そしてそれを実行に移そうと思った瞬間に、男はぼそりと呟いた。
「………「わだつみ」め。何のつもりだ」
ワダツミ?
そして俺が逃げ出すよりも早く、それは起こった。
俺は、自分自身の目を疑った。
海水が、いきなり、手すりに打ち付けるような高さで、巻き上がった。さらに船を飛び越え、高く空中へ突き抜けていった。そして落下する、どこかって? 船に決まっていた。
金属の塊が激突したかのような鈍い音がして、水は看板に叩きつけられた。
俺は、恐怖に取り付かれて走って逃げた。マジで怖かった。こんな恐怖を現実で感じた事はなかった。俺は無我夢中で走って逃げた。
気が付いた時、船はもう止まっていて、後ろにも誰も追っては来て居なかった。俺は船の看板からずっと離れた場所でヘタリ込んでいた。
「…………何なんだよあいつは」
これが、俺の初めの異変。
この時、俺が取れた最善の策はただ一つ。このまま船に留まって誰にも会わずに家に帰る。ただそれだけだった。だけど、そうはしなかった。それが日常に戻れる最終切符だと気が付いたのはもうすぐだ。
だから、これが俺の日常の『最初』の異変。




