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 学園の華、新入生歓迎の夜会。

 大広間は幾千もの魔石灯の光で埋め尽くされ、貴族たちの纏う宝石と香水の匂いが、目も眩むような熱気となって渦巻いていた。

 

 私は鏡の中に映る自分を冷ややかに見つめていた。

 今夜の私のドレスは、ランヴォール公爵家の威信をかけた漆黒のシルク。裾には銀の刺繍が施され、デコルテには呪いかと思うほど巨大な魔石のペンダントが鎮座している。

 

(……完璧だわ。今夜の私は、誰が見ても『性格の悪い最強の悪役令嬢』にしか見えない)


 よし、と心の中で拳を握る。

 前世の知識によれば、この夜会でセフィリアは第一王子と出会い、その慈愛で周囲を魅了し、嫉妬した私は反対に「傲慢すぎる」として疎まれる。……上等だ。疎まれて結構。私の目的は社交界のトップに君臨することではなく、隣に立つ「最推し」を、誰にも文句を言わせない高さまで引き上げることなのだから。


「……ヴァン、準備はいいかしら?」


 扉の向こうに声をかけると、控えめにノックの音が響き、彼が入ってきた。


「っ……!」


 本日、三度目の心臓発作。

 正装を纏ったヴァンは、もはや「モブ」などという言葉では形容しきれない輝きを放っていた。

 磨き上げられた革のブーツ、体のラインに完璧にフィットした白銀の騎士服。そして、彼の無造作な銀髪は、公爵家お抱えのスタイリストの手によって、知的で凛々しいスタイルへと整えられていた。

 

 彼はまだ、自分のかっこよさに気づいていない。

 鏡を見ては「自分には不相応だ」と肩をすくめている。……その、自信のなさから来る陰りのある色気が、どれほど周囲を狂わせるか分かっていないのだ。


「お嬢様……。その、やはり、私が隣にいては、皆様が……」

「ヴァン、今夜だけは『皆様』なんて言葉、ゴミ箱に捨てていきなさい。あなたの目の前には、私しかいない。……いいわね?」


 私は彼の手を取り、強引にエスコートの形を組ませた。

 彼の腕が、筋肉で以前より逞しくなっているのを感じる。

 私たちは、獲物を狙う獣のような足取りで、大広間へと続く大階段に姿を現した。


────


 喧騒が一瞬にして静まり返った。

 

 大階段の頂点に立つ、漆黒の令嬢と白銀の騎士。

 その対比はあまりに鮮烈で、まるで破滅的な美しさを持つ一枚の絵画のようだった。

 

「あれが……ランヴォール家の。……隣にいるのは、例の『拾われた庭師』?」

「信じられない。平民のはずなのに、あの立ち振る舞い……」

「令嬢が魔法薬で化けさせたという噂は本当だったのね」


 囁かれる無責任な噂。私はそれを、最高の賛辞として受け流す。

 

 会場に足を踏み入れると、すぐに人混みが割れた。

 そこへ、一人の男が優雅に、けれど明らかに不敵な笑みを浮かべて近づいてきた。

 ――ギルバルト・ド・カステルベール侯爵。

 私の(元)婚約者候補であり、ゲームではエルフレイダを最も激しく断罪した男だ。


「やあ、麗しきエルフレイダ。今夜の君は、いつにも増して……『攻撃的』な美しさだね」


 ギルバートは私の手を取ろうとしたが、私はわざとらしく扇を広げてそれを遮った。

 彼の視線は、私の隣で直立不動を貫くヴァンへと向けられる。


「ところで、その隣にいる……『置物』は何だい? 公爵家も随分と物好きになったものだ。由緒正しき夜会に、ペットの匂いが混じると、ワインが不味くなってしまうのだが」


 ヴァンの指先が、ぴくりと跳ねた。

 彼の表情は崩れない。けれど、握りしめられた拳が、震えているのを私は知っている。

 ギルバルトはさらに言葉を重ねた。


「おい、そこの平民。自分がどこに立っているか分かっているのか? ここは君のような者が、公爵令嬢の隣を汚していい場所ではない。……さあ、今すぐ跪いて、私の靴でも磨いてはどうだい? それが君に相応しい『騎士道』だろう?」


 周囲から失笑が漏れる。

 ヴァンは、ゆっくりと、視線を地面に落とそうとした。

 過去の記憶が、私に刺し殺されたあの絶望が、彼を再び跪かせようとしていた。

 

 私はヴァンの肩を強く抱き寄せた。

 

「……いいえ、ギルバルト。膝をつくのは、あなたのほうよ」


 私の氷点下の声に、ギルバルトの笑顔が凍りつく。


「なんだと……?」


「この方は、我がランヴォール公爵家が正式に叙任を約束した、私の『守護騎士』候補、ヴァン・ルースターです。……彼への侮辱は、公爵家、そして私個人への宣戦布告と受け取ります。……カステルベール侯爵家は、我が家との全面的な経済戦争を望んでいる、ということでよろしいかしら?」


 会場が、今度こそ凍りついた。

 経済戦争。ランヴォール家がその気になれば、侯爵家の一つや二つ、一年以内に路頭に迷わせることなど容易い。

 

「エ、エルフレイダ……正気か!? これは君のいつもの趣味の悪いお遊びだろ? 皮肉を込めて茶番に付き合ったに過ぎない。それにたかが平民一人のために――」


「たかが、ではないわ。……彼は、私の、命なのよ」


 私はギルバルトの目の前で、ヴァンの腰に差された儀礼用の剣の柄に、自分の手を重ねた。


「ヴァン。聞きなさい。あなたは今、私を守る盾なのよ。……盾が、敵の暴言に屈してどうするの? 立ちなさい。そして、私への忠誠を見せなさい」


 ヴァンが、ゆっくりと顔を上げた。

 その瞳には、今までの「怯え」ではない、別の何かが宿っていた。

 彼は私の手をそっと離し、一歩前に出た。

 そして、流れるような動作で剣を抜き放ち、それを逆手に持ち替えて、ギルバルトの足元の床に突き立てた。

 

 ――カラン、という硬質な音が響く。


「……侯爵閣下。私は、お嬢様に拾われた、名もなき土くれです」


 ヴァンの声は、驚くほど低く、凛としていた。


「ですが、今、私の魂はお嬢様の持ち物です。……お嬢様の誇りを傷つける者であれば、たとえそれが貴族であっても、私はこの命を賭して、道を拓く。……それが、私の選んだ、唯一の騎士道です」


 ヴァンの背中に、かつての「推し」の勇姿が重なった。

 セリフが重すぎる。

 尊すぎて、今すぐ彼を羽交い締めにして王都を三周くらい走り抜けたい。

 

 ギルバルトは顔を赤らめ、絶句した。

 平民の分際で侯爵に剣先を向けるなど、本来なら即座に処刑されるべき不敬だ。

 だが、その背後には「私」がいる。公爵令嬢がそれを許している以上、この場にいる誰も、彼を咎めることはできない。


「……ふ、ふん。ペットを飼い慣らしたつもりか。……興が削がれたよ」


 ギルバルトは吐き捨てるように去っていった。

 嵐が去った後のような静寂の中、私はヴァンの元へ駆け寄った。


「ヴァン! 今の、今の見た!? すごかったわ! かっこよすぎて、私、死ぬかと思ったわ!」


「……エルフレイダ様、すみません。また、勝手な真似を……」


 途端に、いつもの「卑屈なヴァン」に戻り、うなだれる彼。

 私は彼の頬を両手で挟み込み、上を向かせた。


「いいえ、最高よ! あなたはもう、私の完璧なヒーローだわ。……さあ、ダンスを踊りましょう。私という名の勝利を、この会場中に見せつけてあげるの」


 私は彼の手を引き、ダンスフロアの中央へと向かった。

 

 楽団の演奏が始まる。

 ヴァンは戸惑いながらも、特訓で叩き込まれたダンスのステップを、忠実になぞり始めた。

 

 見つめ合う瞳。

 銀色と漆黒が、光の中で混ざり合う。

 

「……お嬢様。なぜ、あそこまでして、私を守ってくださるのですか?」


 踊りながら、彼が小さく囁いた。


「私は、あなたをひどく傷つけた。あなたの人生を、一度は終わらせてしまった人間なのよ。……お嬢様は、私のことを……愛してなど、いないのではないですか? これは、ただの……罪悪感の裏返しなのでは……」


 ヴァンの問いは、鋭い針のように私の胸を刺した。

 そう。彼にとって、私は「加害者」なのだ。

 急に優しくなり、富を与え、守ってくれる今の私は、彼にとっては「不気味な気まぐれ」にしか見えないのかもしれない。


 私は彼の耳元に顔を寄せた。

 

「……そうね。罪悪感かもしれない。……でも、ヴァン。罪悪感が、一生消えないほどの執着に変わったら、それはもう『愛』と呼んでもいいと思わない?」


 私は彼の背中に回した手に力を込め、彼を逃がさないように引き寄せた。


「私は、あなたを一生、私への『許し』という名の鎖で縛り付けるつもりよ。……あなたが私を憎んでいても構わない。……でも、私の愛からは、もう一歩も逃げられないと思ってちょうだい」


 ヴァンの呼吸が止まる。

 

 その時。

 会場の入り口から、再び「光」が溢れた。

 

「あら……エルフレイダ様。素晴らしいダンスですわね」

 

 セフィリアだった。

 彼女は今夜、純白のドレスを纏い、まるで女神のような姿でそこに立っていた。

 彼女の隣には、この国の第一王子、ライナルトが付き添っている。

 

 セフィリアの瞳が、ヴァンを捉える。

 

「でも、あなたの騎士様……少し、苦しそうに見えます。……エルフレイダ様、その鎖は、あまりに重すぎるのではありませんか?」

 

 聖女の、容赦のない「指摘」

 

 私の腕の中で、ヴァンの体が微かに強張った。

 

 ゲームのシナリオが、再び動き出す。

 聖女の救済と、悪役令嬢の執着。

 ヴァンの心という名の戦場に、ついに「本来の物語」の牙が剥かれた予感がした。

 

(……負けない。絶対に)

 

 私はヴァンの手を、さらに強く握りしめた。

 

「重くて結構。……この重さこそが、彼が生きている証なのだから」

 

 夜会はまだまだ終わらない。

 私たちの、狂った恋のワルツも、まだ始まったばかりだ。

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