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 ランヴォール公爵領の国境線――「嘆きの平原」は、今や鉄と血、そして狂信的な光に埋め尽くされようとしていた。


 地平線を埋め尽くすのは、王都から派兵された二万の軍勢。

 中央に鎮座するのは、白銀の甲冑を纏い、背に純白の翼を模したマントを翻す「王宮近衛兵軍」。そしてその先陣を切るのは、法衣の上に白金のプレートアーマーを重ね、祈りという名の殺意を研ぎ澄ませた「聖騎士団」。彼らが掲げる黄金の太陽旗は、雲の間から差し込む陽光を受けて眩いばかりに輝いている。


 対するは、我がランヴォール公爵領の防衛軍。

 父が長年鍛え上げた精鋭「黒鴉従士団」が中央を固め、その両翼には、私がこの数ヶ月で急ぎ徴兵し、洗脳……もとい、徹底的な「愛領教育」を施した「領民徴兵軍」が陣取っている。


 私は戦場全体を見渡す丘の上に設営された本陣で、黒い軍服に身を包み、采配を握っていた。


「……壮観ね。ゲームのシナリオでは、ここが私の哀れな幕引きになるはずだったけれど。……生憎、私は地獄の沙汰も金と権力と推しへの愛で引っくり返す主義なの」


 私の背後には、重装備を固めた父と、冷静に戦況を分析するライナスが控えている。


「お嬢様、敵軍が動きます。……『聖女の加護』を受けた歩兵隊による中央突破……来るぞ!」


 ライナスの叫びと同時に、王都軍の法術師たちが一斉に詠唱を開始した。

 空を覆うような光の障壁が展開され、王宮近衛兵たちの武器が黄金に発光する。それは物理的な攻撃力を倍増させるだけでなく、兵士たちの恐怖を麻痺させ、狂戦士へと変える聖女の魔力。


「……全軍、盾を構えろ! 第一列、魔法障壁、展開!」


 父の号令。

 徴兵されたばかりの農夫や職人たちが、震える手で公爵家特製の「対法術魔石盾」を掲げる。彼らにとってこれは、単なる義務ではない。王都が彼らを「異端」として切り捨てたあの日、パンと家を与えた私への、執念の報恩だ。


「撃てぇッ!!」


 地響きと共に、両軍が激突した。


────


「うおおおおおっ! 公爵家を守れ! 我々の領地を、俺たちの故郷を守るんだ!」


「異端を討て! 聖女様の御名の下に、不浄を焼き払え!」


 平原は一瞬にして阿鼻叫喚の坩堝と化した。

 聖騎士団の重騎兵隊の突撃は凄まじかった。彼らの一振りは、一兵卒の盾を容易く両断し、その肉体を光の爆発と共に消し飛ばす。


 だが、我が軍の「領民徴兵軍」も一歩も引かなかった。

 彼らは戦う術こそ未熟だが、私が領内の鉱山から掘り出させた不安定な魔石を詰め込んだ「自爆型魔石筒」を抱え、聖騎士たちの馬の足元へと飛び込んでいく。


「何だ、この連中は……!? 死を恐れていないのか!?」


「当たり前よ。あなたたちが守っている『神』よりも、私が与えた『今日を生きるための現実』の方が、彼らにとっては重いの」


力も数も上のはずの敵軍は、執拗な抵抗に合い、士気が下がっているのが目に見えてとれる。


 私は冷徹に戦況を見つめ、シナリオを逆手に取り、次々と父にアドバイスを飛ばす。それはまるで、予言のように、敵の動きを封じ込めていく。

 黒鴉従士団が、乱れた敵の隙間に鴉のような素早さで潜り込み、喉元を切り裂いていく。泥を跳ね上げ、血飛沫が舞う中、戦局は数で勝る王都軍を、地の利と狂気で勝る公爵軍が押し留めるという、異常な膠着状態に陥っていた。次第に両翼から戦線が崩れ始め、敵が引き始めた。中央の精鋭軍は側面、背後が手薄になっていき、混乱し始めていた。


 そんな乱戦の最中。

 戦場の中央に、ひときわ眩い、凍りつくような白光が走った。


「――道を空けよ。汚れた魂を、我が剣が清めて遣わそう」


 その声が響いた瞬間、周囲の兵士たちは、味方であるはずの王宮近衛兵ですら、その威圧感に膝をついた。

 聖騎士団長、ガブリエル・ド・フォンテーヌ。

 彼は血に汚れた戦場を、まるで聖堂の回廊でも歩くかのような優雅さで進んでくる。その手にある大剣「アスカロン」は、触れるものすべてを蒸発させるような純白の熱気を放っていた。


「……出たわね、ラスボス級の舞台装置」


 私は呼吸を整え、横に立つ「彼」を見上げた。

 

 ヴァン・ルースター。

 彼は一言も発さず、私の隣で、ただ静かにガブリエルを見据えていた。

 彼の纏う漆黒の騎士服は、周囲の光をすべて吸い込むように深く、暗い。


「……ヴァン。分かっているわね?」


「……はい、お嬢様」


私たちは互いに見つめ合い、頷く。声は届かずとも、心と意志は繋がっている。


 ヴァンは一歩、前へ出た。

 

「私があなたの盾であり、剣である限り。……あの男に、あなたの視界すら汚させはしません」


 彼の体が、宙を舞う黒い霧へと溶け込み、次の瞬間には、ガブリエルの目の前に現れていた。


────


 戦場の喧騒が、この二人を中心に遠のいていく。

 

「……ほう。貴様が、セフィリア様を泣かせた背教者か」


 ガブリエルは剣を構え、冷笑を浮かべた。

 

「聖女様の慈愛を拒み、魔女の毒に自ら浸かるとは。……救いようのない魂だ。その首を跳ね、聖堂の門に吊るすことで、せめてもの贖罪とさせてやろう」


「……言葉は不要だ」


 ヴァンは、私が贈った黒鋼の剣を低く構えた。

 

「お前が信じる神がどれほど偉大か知らないが。……俺にとっては、あの上に立つあの方の微笑みこそが、唯一の法だ。……彼女が望まない光は、すべて俺が切り裂く」


「抜かせっ!!」


 ガブリエルが踏み込んだ。

 大地が爆ぜ、黄金の衝撃波がヴァンを襲う。

 対するヴァンは、周囲の影を自身の剣に収束させ、迎え撃つ。


 カンッ!!!


 鼓膜を突き破るような金属音が響き、二人を中心に暴風が吹き荒れた。

 光と影。正義と執着。

 全く正反対の力が激突し、周囲の地面は瞬時に溶岩のように溶け出し、あるいは氷のように凍りついた。


 ガブリエルの剣は、一撃一撃が天災のような質量を持っている。

 対してヴァンの動きは、実体のない幽霊のようだった。影に沈み、ガブリエルの死角から音もなく刃を突き立てる。


「小賢しい! 『聖域展開』!」


 ガブリエルが吠えると、彼の周囲半径十メートルが絶対的な光の領域に変わった。影を封じ、ヴァンの移動を制限する対・魔物用の法術だ。


「これで逃げ場はあるまい! 浄化されよ、罪人め!」


 黄金の光に焼かれ、ヴァンの腕から血が吹き出す。

 私は丘の上で、思わず手綱を握りしめた。


(……ヴァン! ダメ、あんなのまともに食らったら……!)


 だが、ヴァンは止まらなかった。

 血を流しながら、彼はあえてその光の渦中へと一歩踏み出した。


「……熱いな。……だが、お嬢様に冷たく突き放されたあの冬の夜に比べれば、……こんな光、微温湯にもならない」


 ヴァンの瞳が、どろりとした深銀色に濁る。

 

「俺を焼きたければ、もっと深い地獄を連れてこい。……お嬢様の愛という名の地獄をな!」


 ヴァンが、自身の傷口から溢れる血を剣に塗りつけた。

 その血が、ヴァンの持つ「執着」の魔力と反応し、黒い炎となって燃え上がる。


 ヴァンの剣が、ガブリエルの絶対的な光の領域を、内側からバリバリと喰らい始めた。

 それは浄化ではなく、侵食。

 聖なる力を、より深い情念の力で塗り潰していくという、神への冒涜そのものの技。


「な……馬鹿な! 我が光を……喰らっているというのか!? まさか貴様……」


 ガブリエルの余裕は、一瞬にして消え去った。

 彼はなりふり構わず剣を振り回すが、ヴァンはその刃を素手――魔力で強化された手甲――で受け流し、至近距離からガブリエルの鎧の隙間に、呪いの刃を叩き込む。


「ぐっ……ああああああっ!!」


 白金の鎧が黒く腐食し、ガブリエルの肉体を直接苛む。

 その光景は、周囲で戦っていた両軍の兵士たちにも衝撃を与えた。


「団長が……! 不敗のガブリエル様が、押されている……!?」

「見ろ! ヴァンの殿が、卑しい神の使いを切り刻んでいるぞ!!」


 公爵軍の士気が爆発的に跳ね上がる。

 徴兵された領民たちは、憧れの英雄の背中を見て、もはや恐怖を忘れた。彼らは捨て身の突撃で、混乱する王宮近衛兵の陣形を次々と粉砕していく。


「……お父様今よ、小詰の兵を出し、敵の左翼を包囲させて!」


「行け、ライナス」


「へっ、待ってましたよ」


 ライナスが兜のバイザーを降ろし、予備の重騎兵隊と共に戦場へと飛び込んでいく。

 戦場はもはや「戦争」ではなく、ランヴォール公爵家による「王権への反逆」という名の処刑場に変貌しつつあった。またあの得も知れぬ、不快な金属音が聞こえてくる。


────


 ヴァンとガブリエルの戦いは、ついに終局を迎える。

 満身創痍のガブリエルは、膝をつき、剣を支えにして辛うじて立っていた。


「……し、信じられん。……平民が……なぜ、神に背くお前が、これほどの力を……いや、そんな事はあり得ん 神は見てくださっているはずだ」


 ヴァンは、ガブリエルの首筋に剣を添え、冷たく言い放った。


「神は……遠すぎる。……だが、お嬢様は、すぐそこにいて俺を見てくださっている。……その視線こそが、俺にこの腕を振るわせる唯一の奇跡だ」


 ヴァンが剣を振り抜こうとした、その時。


「――お止めなさい!!!」


 戦場を貫くような、悲痛な叫び声。

 崩壊した王都軍の奥から、セフィリアが、泥に汚れ、髪を振り乱した姿で走り寄ってきた。

 彼女の周りでは、敗北した兵士たちが次々と敗走して逃げ惑っている。


「もう……もう止めてください! ガブリエル! ヴァンさん! これ以上、血を流してはいけません!」


 セフィリアはヴァンの前に立ちはだかり、その両手を広げた。

 彼女の瞳には、かつての「聖女」としての誇りはなく、ただ一人の女性としての、剥き出しの執着と嫉妬が渦巻いている。


「ヴァンさん……。分かりました。……あなたがそこまで彼女を愛しているのなら……私が、私があなたをその手で殺してあげます。……そうすれば、あなたの魂は、永遠に彼女の毒から解放され、私の元で清らかになれるから……!」


 セフィリアが、自らの命を削るような、赤黒い光の魔力を練り始めた。


(……っ! あの方、ついに狂ったわね。……『救えないなら殺して救う』なんて、それ、もうヒロインの台詞じゃないわよ!)


 私は丘の上から、全力で叫んだ。


「ヴァン! 彼女を甘やかす必要はないわ! ……あなたの『主人』が誰なのか、その魂に刻みつけて差し上げなさい!」


 ヴァンは、セフィリアの絶望的な視線を正面から受け止め、ふっと口角を上げた。


「……言われなくとも。……俺を殺せるのは、お嬢様だけだ」


 ガブリエルの首から血が噴き出し、地面へぐったりと倒れた。激しいほどに、金属の擦れ合う音が聞こえたはずだったのに、今の私はもう、まったく気にならなかった。


────


 平原を覆った巨大な影の波が、聖女の赤黒い光を飲み込み、王都軍の残党をすべて戦場の外へと追いやっていく。

 

 静寂が訪れる。

 

 立ち尽くすセフィリア。血に染まった剣を握りしめるヴァン。返り血で黒く染まった姿で、ゆっくりとこちらを振り返るヴァン。


 彼は、遠く離れた私に向かって、いつものように優雅な、けれどどこか狂ったような騎士の礼をした。


『勝利を、……我が唯一の神へ』


 その声は届かなかったはずだが、私の心にははっきりと響いた。

 

 私は震える手で扇を開き、自らの顔を半分隠した。

 こみ上げる歓喜。

 私の推しが、世界で一番強く、一番美しく、そして一番「救いようがないほど私だけのもの」になった。


(……ああ。最高よ。これからの歴史、どうなっても知らないわ。……私は、この愛という名の戦場を、どこまでも突き進んであげる!)


 ランヴォール公爵領の戦いは、王家側の完全なる敗北、そして「悪役令嬢による革命」の幕開けとなったのである。

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