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武術大会、決勝戦。
闘技場を包む空気は、もはや学生行事の域を超えていた。
対峙するのは、噂でついた異名、銀髪の死神ことヴァン・ルースター。
そして対するは、第一王子ライナルトの右腕であり、学園最強の呼び声高い騎士科三年、エドワード・ド・ヴァレンタイン。
観客席の最前列で、聖女セフィリアが両手を組み、祈るように胸元に当てているのが見える。彼女の周囲には、彼女を支持する生徒たちの「正義」を信じる熱気が渦巻いていた。
「……あんな悲しい決着、認めたくありませんわ。私が、ヴァンさんを救ってみせます」
セフィリアの呟きが、風に乗って私の耳に届く。
私は豪華な観覧席の肘掛けを、指先でトントンと叩いた。
(……救う? 笑わせないで。あなたが救おうとしているのは、自分の理想に都合のいい『清らかな青年』でしょう?)
審判の合図と共に、決勝戦の火蓋が切って落とされた。
────
エドワードの剣は、まさに王道を往く剛剣だった。
一撃ごとに石畳が砕け、衝撃波が観客席まで伝わってくる。だが、ヴァンはその猛攻を、まるで柳の枝のように受け流していた。
ヴァンの動きは、以前よりもさらに「エルフレイダ(私)」の影に近くなっている。
無駄がなく、冷徹で、そして一瞬の隙も逃さない。
「――くっ、なぜだ! なぜ平民の貴様に、これほどの力が……!?」
エドワードが焦燥に駆られて放った大振りの一撃。
ヴァンはそれを最小限の動きで回避し、エドワードの懐へと滑り込んだ。
「……私は、影を愛しているからです」
ヴァンの静かな声が響いた瞬間、彼の剣先がエドワードの喉元で止まった。
勝負あり。
会場が、一瞬の静寂の後に爆発的な歓声に包まれようとした、その時だった。
「――っ! いけません! ヴァンさん、その心に染み付いた闇を、私が今すぐ浄化します!」
セフィリアが立ち上がり、その手から目も眩むような黄金の光を放った。
聖女の高等術――『魂の浄化』
本来は魔物に憑依された者を救うための術だが、彼女はそれを、ヴァンと私との「絆(執着)」を強制的に断ち切るために放ったのだ。
「ヴァ、ヴァン!?」
私は観覧席の手すりを乗り出し、絶叫した。
黄金の光がヴァンを飲み込む。セフィリアの「善意」という名の暴力が、ヴァンの記憶と感情を塗り潰そうとしていた。
「ああ……これで、彼は自由になれる。私の光の中で、安らかな眠りを得るのです……」
恍惚とした表情を浮かべるセフィリア。
光の中で、ヴァンが苦しげに膝をつく。
(嘘……。こんなの、あんまりじゃない。私が、ようやく……ようやく見つけた、私の推しの『心』を……!)
だが、次の瞬間。
黄金の光に、ピキッ、とひび割れるような音が混ざった。
光の中心から、ドロリとした「漆黒の魔力」が溢れ出し、聖女の光を内側から侵食し始めたのだ。
「なっ……!? わ、私の光が、弾かれる……!? そんな、彼の心にはどれほどの闇が……!?」
セフィリアが驚愕に目を見開く。
光を切り裂いて立ち上がったのは、瞳を不気味な銀色に輝かせたヴァンだった。
「……聖女様。あなたは、何も分かっていない」
ヴァンの声は、もはや人のそれではなく、深淵の底から響く地鳴りのようだった。
「お嬢様が私に与えたのは、闇などではない。……それは、私がこの世で唯一『自分』として存在するための、呪いという名の居場所なのです」
ヴァンが自らの剣を天に掲げる。
私と彼の間に結ばれた、歪で、血生臭く、そして何よりも強固な「主従の絆」。それが、聖女の浅薄な光を完全に打ち砕いた。
「――エルフレイダ様。……見ていてください」
ヴァンはセフィリアを一瞥もせず、観覧席にいる私だけを見つめた。
彼はそのまま、エドワードの胸元にある『学園の紋章』を、剣先で冷酷に削り取った。
「勝利を。……私を飼い慣らした、唯一の主人へ捧げます」
審判の宣告。
会場は、もはや歓声ではなく、恐怖にも似た沈黙に支配された。
そこに立っていたのは、救われるべき青年ではなく、この悪役令嬢の私が作り上げた、世界で最も美しく、最も忠実な「魔女の騎士」だった。
────
試合後。
私は控え室へと続く廊下で、息を切らして待っていた。
扉が開き、ヴァンが姿を現す。
彼は私の顔を見るなり、先ほどまでの冷酷な表情を崩し、その場に崩れ落ちるように跪いた。
「エルフレイダ様……。……私は、や、やりました……」
ヴァンの手は、激しく震えていた。
聖女の術を無理やり跳ね返した反動か、その目からは一筋の血の涙が流れている。
「ヴァン! 馬鹿……馬鹿なことしないで! あんな光、まともに食らうなんて……!」
私はなりふり構わず、彼の体を抱きしめた。
汗と、鉄の匂い。そして、彼という存在の確かな重み。
「……怖かったのです。あの方の光に触れて、もし……エルフレイダ様を憎んでいた頃の自分に戻ってしまったら、と思うと。……私は、今の、あなたに支配されている自分が……何よりも愛おしいのです」
ヴァンの言葉に、私の視界が涙で滲む。
(尊すぎて……もう心臓が持たないわ……)
私は彼の耳元で、自分でも驚くほど甘い、そして呪いのような言葉を囁いた。
「いいのよ、ヴァン。……あなたは一生、私の影から逃げられない。……もしあなたが忘れても、私が、何度でもあなたを絶望の淵から救い出し、私の鎖で繋ぎ直してあげるから」
ヴァンの唇が、微かに微笑みの形を作った。
その時、廊下の向こうから、激しい足音が近づいてきた。
ライナルト王子と、ショックで意識が朦朧としているセフィリアを支えた近衛兵たちだ。
「エルフレイダ……! 君は、君という女は! ついに取り返しのつかない罪を犯した! 聖女に牙を剥き、学生を暗黒に引きずり込むなど……!」
王子の定例糾弾。
だが今の私には、そんな言葉は何の価値も持たない。
私はヴァンを抱きしめたまま、王子に向かって、最高の「悪役令嬢スマイル」を向けてやった。
「罪? ……ええ、そうかもしれませんわね、殿下。……ですが、この『最高の結果』をご覧になって? ……私の騎士は、あなたの聖女様よりも、ずっと強くて美しい。……それ以上の正義が、この世にありますの?」
学園は、今、本来のシナリオでは最悪の結末を迎えようとしていた。
いや、私とヴァンにとっては、これこそが真の「ハッピーエンド」への序曲。
ここから先は、ゲームのシナリオにもない、誰も見たことのない「悪役令嬢」としての反逆が始まるのだ。




