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 静寂の庭園に凍りついたような沈黙が流れる。

 私の腕の中で、ヴァンが静かに、けれど確かに私の体温を確かめるように力を込める。

 その光景を見つめるセフィリアの瞳は、絶望と、そして「理解不能なもの」を見る困惑に揺れていた。


「……信じられません。ヴァンさん、あなたは、自分をあんなに惨い目に遭わせた人を、選ぶというのですか……?」


 セフィリアの声は震えていた。彼女にとって、この世界は「善意」が「悪意」に勝つべき場所なのだ。虐げられた者は救われるべきであり、救済の手を拒むなどあってはならない。


「セフィリア、もういい。彼女は……エルフレイダは、禁忌の魔術か何かで彼の精神を書き換えたに違いない。そうでなければ説明がつかないだろう」


 ライナルト王子の言葉に、私は鼻で笑った。


精神の書き換え? 殿下、それは少々想像力が豊かすぎますね。……私が行ったのは、ただの『真実の共有』。彼が地獄にいた時、私は隣にいた。彼が泥を舐めていた時、その味を知っていたのは私だけ。……上辺だけの光を振りまくあなた方に、私たちの絆を理解しろと言う方が酷。


 私はヴァンの手を引き、二人を無視して歩き出す。

 背後でセフィリアが何かを言いかけたが、私は二度と振り返らなかった。


────


 翌日から学園内の空気は一変した。

 「悪役令嬢が、貧しい平民の青年を洗脳し、聖女の救済すら拒絶させた」という噂は、光の速さで広まった。

 セフィリアを支持する生徒たちは、ヴァンを「憐れな犠牲者」として、私を「まがつの魔女」ようだと白眼視し始めた。


 だが、そんなことは計算内だ。

 まがつの魔女がなんだか知らない(ゲームに登場しなかった)けれど、そう思われて恐れられるのなら、むしろ好都合ですらある。


「……お嬢様。学園の食堂で、また私の席に嫌がらせが……」


 昼休み、ヴァンが困ったように報告してくる。彼の机に「魔女の飼い犬」と落書きされたり、教科書が隠されたりしているらしい。聖女派の生徒たちによる、自分勝手で幼稚な「正義の鉄槌」というわけだ。


「あら、そうなの? ドルシュ(学園の経理担当)、今すぐ学園の理事長を呼びなさい。それから、この学園の食堂の資本と運営権を公爵家で買い取る手続きを進めるわ」


「は、はいっ!? か、買い取るのですか!?」


 ドルシュが目を剥くが、私は当然のように頷く。


「ええ。ヴァンが不快な思いをする場所なんて、存在価値がないわ。今日から食堂は『ランヴォール公爵家専属の最高級レストラン』に改装します。一般生徒の利用は、私の許可制。もちろん、ヴァンに無礼を働いた者は出入り禁止よ」


「あ、あの……そこまでしなくても……」


 ヴァンが頬を引き攣らせる。尊い。その困惑顔さえも、私の独占欲を刺激する。


「いいのよ、ヴァン。これは『包囲網』よ。……あなたが私以外の場所で安らぎを感じられないように、私がこの世界のすべてを塗り替えてあげるの」


 私の「令嬢パワー」は止まらせない。

 ヴァンのために、王宮騎士団でも使われないような最高級の訓練機材を学園の訓練場に寄贈し、彼を中傷するビラを配った生徒の家系図を洗い出し、その実家の商売に「健全な市場競争(という名の徹底的圧殺)」を仕掛けた。


 数日のうちに、学園からヴァンへの直接的な嫌がらせは、すっかり消え失せた。私の気まぐれではなく、本気度を大袈裟にかつ、正確に披露した。

 代わりに、私とヴァンが歩くたびに、周囲は静まり返り、生徒たちは道端の石像のように硬直して頭を下げるようになった。


(ふふっ……完璧だわ。誰も彼に近づけない。彼に触れられるのは、私だけ)


────


 しかし、当然。こんな悪役紛いな行いを、聖女セフィリアもただ黙って見ているだけではなかった。

 

 ある日の放課後。

 私が図書館でヴァンの勉強(という名の鑑賞会)に付き合っていると、セフィリアが数人の騎士科の男子生徒を引き連れて現れた。


「エルフレイダ様。これ以上、彼を孤立させるのはお止めください! あなたのやり方は、愛ではなく、ただの支配です!」


 セフィリアの声が静かな図書館に響く。

 彼女の背後には、第一王子派の有力貴族の息子たちが、正義感に燃えた瞳で控えている。


「支配? ええ、そうよ。それが何か? 私は彼を支配するために、私のすべてを賭けているの。……あなたのように、タダ同然の優しさを安売りしているわけではないわ。盲目的な信者もお互いの足を引っ張っている存在よ? 私に説教しに来る暇があったら、まず彼らを救済なさったら? 聖女様♪」


「それはあなたの恐喝行為で正されました。いいですか、彼は……ヴァンさんは、騎士になりたいのでしょう!? あなたの影の中にいては、彼は本当の騎士にはなれません。……ヴァンさん! 今度の『学園武術大会』に出場してください! もしあなたが勝ち進めば、殿下があなたを正式に『王宮騎士見習い』として推薦してくださると約束しました! これはあなたにとって、自立する為の将来への希望です!」


 ヴァンの瞳が、一瞬、鋭く光った。

 「騎士」。

 それは、彼が人生のどん底にいた時も、密かに抱き続けていた夢。

 私の影の中にいるだけでは、決して届かない、公式な「光」の舞台。


「……王宮への、推薦……」


 ヴァンが呟く。

 セフィリアは勝ち誇ったように、悪役令嬢の私を睨みつけた。


「エルフレイダ様。もしあなたが本当に彼を思っているのなら、彼の才能を世界に示す機会を奪わないはずです。……それとも、自分の籠から逃げ出されるのが、そんなに怖いのですか?」


(……やるわね、聖女様。私の唯一の弱点を突いてくるなんて。でもあんたの事は、誰よりも知っているのよ)


 私が最も恐れていること。

 それは、ヴァンが自分の力で羽ばたき、私という存在を必要としなくなること。

 「王宮騎士」になれば、彼は公爵家の私兵ではなく、国の守護者になる。そうなれば、私の手は届かなくなる。


 ヴァンの視線が、私に向けられる。

 迷い。期待。そして、どこか申し訳なさそうな色。


(ああ、もう……そんな顔をされたら、断れるわけないじゃない)


 私は深くため息をつき、扇でヴァンの額を軽く小突いた。


「いいわ。出場なさい、ヴァン」


「えっ……お嬢様、いいのですか?」


「もちろん。これはあなたが出たいか、出たくないかの問題ですもの。ただし。条件があるわ」


 私はセフィリアに向き直り、不敵に微笑んだ。


「ヴァンが優勝したら、殿下の推薦なんて無粋なものは辞退させていただきます。代わりに、王家が所有する『伝説の白銀の鎧』を彼に下賜するよう、殿下に約束させてちょうだい。……そして、彼は生涯、王宮ではなく『ランヴォール公爵家』のみに忠誠を誓う騎士となる。……それでいいわね?」


「……っ! 優勝することが前提なのですか? 相手は上級生もいるのですよ! 自身の保身の為に危険をさせるおつもりですか!?」


「さっきも言ったけれど、これは私でもあなたでもなく、ヴァンが決めること。それに、私のヴァンが、その辺の有象無象に負けるはずがないでしょう? ……さあ、もう決まりね。大会まで、地獄の特訓をさらに強化しますわよ、ヴァン。……ライナスが待ってるわよ」


 ヴァンの顔がみるみる青ざめていく。

 だが、その瞳には隠しきれない闘志が燃えていた。


「……はい。謹んで、お受けいたします。……お嬢様の誇りを、汚すわけにはいきませんから」


 ヴァンの決意に、私の胸は再び歓喜で震える。

 

(そうよ。あなたは自分の意志と私の手で、世界で一番強く、美しく、気高くなる。……そして、その強さで私を一生、その腕の中に閉じ込めてちょうだい!)


 聖女の「救済」を、逆に「ヴァンの神格化」のチャンスへと変えてやる。

 学園中が目撃することになるわ。

 悪役令嬢に愛されたモブが、いかにして伝説を塗り替えるかをね。

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