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 学園の巨大な円形闘技場。

その熱気は、春の陽気を通り越して真夏のような焦燥感に満ちていた。

 観客席を埋め尽くすのは、色とりどりの制服を着た生徒たちと、その家族である貴族たち。彼らの関心事はただ一つ。


「例の『公爵令嬢の飼い犬』が、どれほど無様に散るか」だ。


 私は闘技場の一角に特別に設置させた『ランヴォール公爵家専用・観覧デッキ』の最前列にいた。もはやデッキというよりは、豪華な応接間である。

 最高級の氷魔法石で冷やされた空気の中、私は扇を優雅に揺らしながら、眼下の舞台を見下ろしていた。


「お嬢様、ヴァンの第一試合が始まります。……対戦相手は、騎士科二年、バルトロ・ド・ベルガ準男爵。先日の夜会で彼を侮辱したギルバート侯爵の取り巻きの一人です」


 シニエの報告に私は鼻で笑う。


「あら、ちょうどいいサンドバッグじゃない。ヴァンが公爵家の騎士として相応しいか、その身を持って証明させてあげるわ」


 ファンファーレが鳴り響き、選手が入場する。

 重厚な鎧に身を包み、周囲の歓声に手を振って応えるバルトロに対し、反対側のゲートから現れたヴァンは、あまりに静かだった。


 彼は鎧を着ていない。

 私が贈った、銀糸の刺繍が施された濃紺の戦闘衣のみ。腰には、あの夜会で見せた儀礼用ではない、本物の鋼の剣が差されている。


 一瞬、会場が静まり返った。

 泥にまみれた庭師の面影はどこにもない。

 陽光を浴びて輝く銀髪、迷いのない足取り、そして何より、周囲の嘲笑を一切関知しないその孤高な佇まい。

 それは、獲物を仕留める直前の狼のようだった。


(……ああ。尊い。尊すぎて、私の心臓がオーバーヒートしそう。あの無表情な顔で、心の中では私のために戦おうとしてくれているなんて、前世の徳を全部使い果たしても足りないわ)


 私の内側のオタクがのたうち回る中、審判の声が響いた。


「試合開始!」


 バルトロが、雄叫びと共に剣を振り上げた。

「死ね、薄汚い平民が! お前のようなゴミが、貴族の隣に立つなど万死に値する!」


 バルトロの剣が、空気を切り裂いてヴァンへと振り下ろされる。

 重戦士としての圧倒的なパワー。並の相手なら、防いでも腕の骨を叩き折られるような一撃だ。


 だがヴァンは動かなかった。

 剣が彼の額に届く寸前、彼はわずかに半身をずらした。


 ――カンッ、という、耳に心地よい金属音。


 次の瞬間、バルトロの剣が宙を舞い、石畳の床に突き刺さった。

 観客席から、悲鳴に近い驚愕の声が上がる。


「な……何が起きた!?」


 誰の目にも見えなかった。

 ヴァンがいつ剣を抜き、どの角度で弾き飛ばしたのか。

 バルトロは呆然と自分の空になった手を見つめ、次の瞬間、首筋に冷たい鋼の感触を覚えた。


「……終わりだ」


 ヴァンの声は、低く、冷徹だった。

 彼はバルトロの目を見ることすらなく、ただ無機質な事実として勝利を告げた。


「ひ……ひぃ……っ!」


 バルトロが腰を抜かして座り込む。

 一分、いや、数秒。

 圧倒的な実力差。それは「努力」や「才能」といった言葉では片付けられない、ライナスの地獄の特訓と、私の執念(という名のドーピング並みの栄養管理)が作り上げた怪物の誕生だった。


 審判が震える声でヴァンの勝利を宣言する。

 静まり返っていた会場が、次の瞬間、割れんばかりのどよめきに包まれた。


「……あんな動き、学生のレベルじゃない」

「あの銀髪の青年、本当にただの平民なのか?」


 ざわつく観衆の中で、ヴァンはゆっくりと顔を上げた。

 彼は歓声に応えることも、倒れた相手を嘲笑うこともしない。

 ただ真っ直ぐに、空中に浮く私の観覧デッキを見つめた。


 目が合う。

 彼は胸に手を当て、深く、深く頭を下げた。


『私は、あなたの期待に応えました、お嬢様』


 その声が風に乗って聞こえてきた気がした。

 私は震える指先で扇を開き、最高の傲慢さを装って微笑んだ。


「当然よ。私の選んだ男が、あのような有象無象に後れを取るはずがないわ」


 心の中では「ぎゃあああああ! ヴァン様ぁぁぁ! 結婚してぇぇぇ!」と絶叫しているが、外見はあくまで冷酷な公爵令嬢である。


 その時。

 対角線上の貴賓席に座っていたセフィリアとライナルト王子の姿が目に入った。

 セフィリアは青ざめた顔でヴァンを見つめ、ライナルト王子は忌々しげに手すりを握りしめている。


 彼らにとって、ヴァンの勝利は「救済のチャンス」ではなく、「悪役令嬢の手駒が牙を剥いた」という最悪の展開に映っているに違いない。


(いい気味だわ。聖女様。あなたが彼を『かわいそうな犠牲者』として同情している間に、彼は私の腕の中で『最強の剣』に脱皮したのよ)


 大会はまだ一回戦が終わったばかり。

 だがこの瞬間、学園の序列は完全に崩壊した。


 ヴァンが次のゲートへと消えていく。

 その背中を眺めながら、私はこれからの展開をシミュレートする。

 ゲームのシナリオでは、この後、敗北した貴族の男子生徒たちが逆上し、ヴァンに卑怯な闇討ちを仕掛けるイベントもあったはずだ。


(……やらせないわよ。私の推しの初勝利に泥を塗る不届き者は、ランヴォール家の権力で、存在そのものを歴史シナリオから抹消してあげるわ)


 私の瞳に、暗い、けれど歓喜に満ちた炎が灯る。

 

 ヴァンの快進撃。

 それは、私という「悪役」が、この世界で最も美しく、最も残酷な『騎士の物語』を書き換えるための序曲だった。

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