赤い夜
その夜は、静かすぎた。
風が止み、木々は揺れず、空気は張り詰めている。
レオンは布の上に横になっていたが、目は閉じていなかった。
眠れるはずがない。
昼間の森。
あの足跡。
そして——夜に見た“何か”。
(……来る)
理由はない。
だが、確信だけがあった。
胸の奥で、鼓動が強くなる。
——ドクン
——ドクン
耳の奥で響く。
その時だった。
——ガタンッ!!
外から、何かが倒れる音。
レオンの体が跳ねる。
次の瞬間。
——ギャアアアアッ!!
悲鳴。
はっきりとした、人の声。
「……!」
レオンは跳ね起き、扉を開けた。
冷たい空気と同時に、光が目に飛び込んでくる。
赤い。
村の一角が、燃えていた。
「……なんだよ、これ……」
理解が追いつかない。
だが、体は勝手に動いていた。
弓を掴み、外へ飛び出す。
叫び声があちこちから上がる。
人が走る。
倒れる。
炎が家を飲み込んでいく。
そして——
“それ”は、そこにいた。
黒い影。
人の形に似ているが、歪んでいる。
腕が長い。
背が曲がっている。
顔が——ない。
「……っ!」
息が止まる。
頭が真っ白になる。
だが、その影は、すでに動いていた。
近くの男に飛びかかる。
——グシャッ
嫌な音。
血が飛び散る。
男は声も上げられずに崩れた。
「……ふざけんな」
震える手で、弓を構える。
引く。
狙う。
放つ。
矢はまっすぐ飛び、影の胴に突き刺さる。
だが——
「……え」
止まらない。
影はまるで気にした様子もなく、ゆっくりとこちらを向いた。
“顔”のない部分が、レオンを捉える。
見られている。
はっきりと、そう感じた。
足がすくむ。
逃げなければ。
わかっているのに、動けない。
影が、一歩踏み出す。
その瞬間——
——ドンッ!!
横から衝撃。
影が吹き飛んだ。
地面を転がり、家の壁に叩きつけられる。
「何やってんだ、ボケ!!」
聞き慣れた声。
カーシュだった。
大剣を片手に、レオンの前に立つ。
「さっさと下がれ!」
「で、でも——」
「邪魔だ!!」
怒鳴られる。
その一言で、レオンの体が動いた。
後ろへ下がる。
だが、視線は外せない。
カーシュが踏み込む。
一気に距離を詰め、大剣を振るう。
——ザンッ!!
影の体が裂ける。
黒いものが飛び散る。
今度は、動きが止まった。
カーシュは追撃を入れる。
迷いがない。
正確で、速い。
レオンとはまるで違う。
圧倒的な差。
影は数秒で動かなくなった。
完全に沈黙する。
「……いいか、よく聞け」
カーシュが振り返る。
その目は、今まで見たことがないほど鋭かった。
「これは“普通じゃない”」
「……」
「数も多い。質もおかしい」
短く、断言する。
その背後で、別の悲鳴が上がった。
炎がさらに広がる。
「……俺が前に出る」
カーシュはそう言って、大剣を構え直す。
「お前は後ろに回って、生きてる奴を探せ」
「……!」
「いいか、戦うな。無理だ」
はっきりと言い切る。
レオンは歯を食いしばった。
悔しさが込み上げる。
だが——反論できない。
「……わかった」
絞り出すように言う。
「行け!」
カーシュが叫び、再び前へ走る。
その背中は、大きかった。
頼もしくて——
遠かった。




