ゼルガリア 無力感
日が暮れた。
空は鈍く赤く染まり、その色がゆっくりと闇に沈んでいく。
昼間、絶え間なく響いていた怒号や金属音は、いつの間にか止んでいた。
だが――静かになったわけではない。
むしろ逆だった。
押し潰されるような緊張が、場に張り付いている。
遠くで、かすかに聞こえる呻き声。
風に乗って漂う血の匂い。
それらが、途切れることなく続いていた。
レオンは水桶を両手で抱え、ゆっくりと歩いていた。
中の水が揺れ、ちゃぷん、と鈍い音を立てる。
その単調な音だけが、妙に耳に残る。
治療区画の一角。
ユージンが壁にもたれるように座り込んでいた。
呼吸が荒い。
額には汗が滲み、顔色も明らかに悪い。
「……おい」
レオンが声をかける。
ユージンはゆっくりと顔を上げた。
「ああ……レオンか」
力の抜けた声。
普段の余裕は、ほとんど残っていない。
レオンは水桶を置き、その隣にしゃがみ込む。
「大丈夫か」
「大丈夫、とは言い難いね……」
苦笑にもならない表情で答える。
「魔力の消耗が、想定以上だ。回復しても回復しても、追いつかない」
視線が、ぼんやりと前を向く。
その先には、まだ横たわる兵士たち。
「……分かってたつもりだったけど」
ぽつりと、ユージンが言う。
「現実は、理屈よりずっと重い」
レオンは何も返さなかった。
言葉が見つからない。
代わりに、拳を強く握る。
「俺は……」
自分でも驚くほど、声が低かった。
「何も出来てない」
水を運ぶ。
雑用をこなす。
それだけだ。
目の前で人が死にかけているのに――
「何も、変えられてない」
ユージンがわずかに目を細める。
「……それは違うよ」
かすれた声で言う。
「君が運んだ水で助かってる人もいる。補助だって立派な役割だ」
「でも――」
言いかけて、言葉が詰まる。
納得できない。
頭では理解しても、感情が追いつかない。
そのとき。
「……そこまでだ」
低い声が割り込んだ。
振り向くと、ディルクが立っていた。
二人の様子を一目見て、小さく息を吐く。
「限界だな」
否定はできない。
「これ以上は逆に効率が落ちる。休め」
「まだ動けます」
レオンが即座に言う。
だが、
「命令だ」
短く、切り捨てられる。
有無を言わせない声音。
ユージンも小さく息を吐いた。
「……分かりました」
立ち上がろうとするが、足元がわずかによろける。
レオンが支える。
「無理するな」
「君に言われたくないね……」
弱々しく笑う。
ディルクは背を向けたまま言った。
「急務室を使え。数時間でもいい、体を休めろ」
それだけ言うと、再び現場の方へ戻っていく。
残された二人は、しばらくその場に立ち尽くした。
---
急務室は簡素な造りだった。
簡易ベッドが並び、薄い布が掛けられているだけの空間。
外の喧騒が嘘のように、静かだった。
レオンとユージンは、それぞれ空いているベッドに腰を下ろす。
そのまま、ゆっくりと横になった。
天井を見上げる。
何もない、白い板。
目を閉じる。
――眠れない。
頭の中に浮かぶのは、昼間の光景ばかりだった。
血。
叫び。
伸ばされた手。
「……寝れないな」
レオンがぽつりと呟く。
少し間を置いて、
「奇遇だね。僕もだ」
ユージンの声が返ってくる。
静かなやり取り。
それ以上、言葉は続かない。
だが――
沈黙が、重い。
「……なぁ」
レオンが天井を見たまま言う。
「助けられなかった奴、何人いたと思う」
問いというより、独り言に近い。
ユージンは答えなかった。
答えられなかった。
代わりに、小さく息を吐く音だけが聞こえる。
「数える余裕、なかったよ」
それが、精一杯の返答だった。
再び、沈黙。
外から、かすかに足音が聞こえる。
誰かが運ばれているのかもしれない。
夜になっても、それは終わらない。
レオンは目を閉じたまま、ゆっくりと拳を握る。
(……これが、戦争か)
胸の奥に、重い何かが沈んでいく。
悔しさとも違う。
怒りとも違う。
ただ――
どうしようもない現実だけが、そこにあった。




