魔装兵
――どことも知れぬ地下施設。
外界から完全に隔絶された巨大な研究区画には、昼も夜も存在しない。
薄暗い空間を照らすのは、床一面に刻まれた幾重もの魔法陣が放つ淡い蒼白の光だけ。
その光が、無機質な石壁へ不気味な影を揺らしていた。
室内には無数の机が並べられ、山のように積み上げられた資料、怪しく輝く薬品、見たこともない魔導器具が所狭しと並ぶ。
研究者達は一切の私語もなく、ただ黙々と手を動かしていた。
まるで命令だけを遂行する歯車のように。
その中心で、一人の男が腕を組みながら研究の様子を見つめている。
ボルナート。
かつてアルケイア王国の実権を握り、王位を簒奪した男だった。
研究者達が運び込む魔装兵器の試作品を眺めながら、満足そうに目を細める。
その時だった。
「……やぁ」
背後から、場違いなほど軽い声が響く。
「研究は順調かい?」
その口調だけで誰なのか分かった。
ボルナートは振り返ることもなく鼻を鳴らす。
「ふん……」
忌々しげに吐き捨てる。
「貴様か」
ゆっくりと振り返ると、そこには一人の青年が立っていた。
セイル。
いつものように、人を小馬鹿にしたような穏やかな笑みを浮かべている。
その笑顔だけは、どこか人間味を感じさせる。
しかし、その瞳だけは違った。
何も映していない。
誰にも興味を抱いていない。
まるで値札でも眺めるかのような冷たい眼差しだった。
ボルナートは露骨に顔をしかめる。
「それが一国の王へ向ける態度かね」
その言葉を聞いた瞬間だった。
「ふっ……」
セイルは肩を震わせる。
やがて堪え切れなくなったように笑い出した。
「ははっ……!」
「一国の王、ねぇ」
まるで幼子の見栄を聞いたような口調だった。
「今じゃ国民なんて数えるほどしか残ってないんじゃない?」
ボルナートの額へ青筋が浮かぶ。
だがセイルは気にも留めない。
むしろ、その怒りを愉しんでいるようだった。
ボルナートは研究区画へ視線を向ける。
そこには整然と並ぶ機械人形。
さらに、その奥には完成を待つ魔装兵器獣が幾体も眠っている。
「民など……」
低く呟く。
「いくらでも作ればいい」
その瞳には、もはや人間という存在への価値は残っていなかった。
「裏切らない」
「逆らわない」
「全てが思いのままだ」
口元がゆっくりと歪む。
その姿は王というより、狂気に取り憑かれた研究者そのものだった。
セイルは静かに笑う。
「へぇ」
そして、淡々と告げる。
「兄を裏切り」
「国を売り」
「民を捨てた人間の言葉とは思えないね」
その瞬間。
空気が凍り付いた。
周囲の研究者達は一斉に顔を伏せる。
誰も息をしようとしない。
「黙れッ!!」
怒号が地下施設を震わせる。
ボルナートの全身から魔力が噴き出した。
「小僧が……!」
殺気が研究室を満たす。
「舐めた口を利いていると、ただでは済まんぞ!!」
それでも。
セイルの笑みは崩れない。
恐怖など微塵も感じていない。
「失礼」
わざとらしく頭を下げる。
「冗談ですよ」
そして薄く笑った。
「今後とも、よろしくお願いします」
一拍置く。
「――国王陛下」
最後の呼び方だけが、妙に耳へ残った。
侮蔑。
嘲笑。
全てを含んだその一言に、ボルナートの表情は怒りで歪む。
しかし。
セイルは既に興味を失っていた。
踵を返し、静かに歩き出す。
重い扉が閉まり、研究室には再び静寂が訪れた。
残されたボルナートは舌打ちする。
「……ふん」
握り締めた拳が震えていた。
「薄気味悪いガキめ」
その呟きは、誰の耳にも届くことはなかった。
◇ ◇ ◇
長い地下通路。
足音だけが静かに響く。
先程まで浮かべていた笑みは、もう消えていた。
そこにあるのは、氷のように冷え切った無表情だけ。
感情はない。
慈悲もない。
ただ計算だけがある。
セイルは歩みを止める。
誰もいない廊下で、小さく呟いた。
「……愚者は使いようだな」
口元が僅かに歪む。
ボルナート。
アルケイア王国。
英雄の遺産。
全てが予定通り。
少なくとも――今のところは。
セイルは再び歩き出す。
その背中は闇の中へ静かに溶けていった。
◇ ◇ ◇
さらに地下深く。
厳重に隔離された一室。
灯りのほとんど届かない暗い部屋で、一人の女性がベッドに横たわっていた。
デミラ。
しかし、その寝顔は安らぎとは程遠い。
額からは玉のような汗が流れ落ち、身体は小刻みに震えている。
夢を見ていた。
いや――悪夢だった。
忘れられるはずのない過去。
薄汚れた部屋。
鼻を刺す酒の臭い。
耳障りな下卑た笑い声。
無数の手が伸びてくる。
逃げられない。
助けも来ない。
(嫌だ……)
(やめて……)
(触らないで……)
泣き叫ぶ声。
悲鳴。
押さえ付けられる身体。
そして。
肉へ食い込む鈍い痛み。
「――ッ!!」
デミラは勢いよく飛び起きた。
「はぁっ……!」
荒い呼吸。
肩が激しく上下する。
寝衣は汗で肌へ張り付き、指先は震えていた。
「はぁ……」
「はぁ……」
何度も息を整える。
震える瞳がゆっくりと部屋の奥へ向けられた。
壁へ静かに掛けられた一本の弓。
彼女はふらつきながら立ち上がる。
一歩。
また一歩。
吸い寄せられるように歩み寄る。
そして、両腕でそっと抱き締めた。
弓の中心には、赤黒く妖しく輝く魔石が埋め込まれている。
血液を閉じ込めたような、不気味な色彩。
人を素材として生み出された禁忌の魔石。
デミラはそれを優しく指先で撫でた。
恋人へ触れるように。
壊れ物を扱うように。
愛おしげに。
そして――。
「ふふふ……」
小さな笑みが漏れる。
肩が震える。
笑いが止まらない。
「ふふ……あはっ……」
やがて。
「あっはははははははははッ!!」
甲高い笑い声が暗い部屋中へ響き渡った。
誰も止める者はいない。
誰も慰める者はいない。
彼女はただ笑い続ける。
涙を流しながら。
壊れた人形のように。
その狂気だけが、静まり返った地下施設へいつまでも響き続けていた。




