封書
――シークナス王国、王宮。
白亜の城は青空の下で静かな威厳を放ち、その最奥に位置する謁見の間には、張り詰めた空気が漂っていた。
高い天井。
左右に並ぶ白い柱。
赤い絨毯の先には、一国の王妃だけが座ることを許された玉座がある。
その玉座の前で、一人の男が静かに膝をついていた。
ディルクである。
その視線の先。
玉座へ腰掛ける一人の女性が、一通の封書を静かに読み進めていた。
シークナス王国王妃――エレノア。
端正な顔立ちに宿る眼差しは鋭く、それでいて冷静さを失ってはいない。
彼女は手紙の一文一文を噛み締めるように目で追い、やがて静かに息を吐いた。
「なるほど……」
小さな呟きが静寂に溶ける。
「英雄の遺産……ですか」
先程まで浮かんでいた穏やかな表情は消え、代わりに思索の色が宿る。
顎へそっと手を添え、目を伏せた。
王妃として数え切れないほどの政務を裁き、幾度となく国難を乗り越えてきた彼女だからこそ理解できる。
これは、一国だけで収まる問題ではない。
英雄の遺産。
そして、その裏で暗躍する者達もまた動き出すだろう。
静かな沈黙が流れる。
ディルクは何も口を挟まない。
ただ膝をついたまま、王妃の判断を待っていた。
やがてエレノアはゆっくりと顔を上げる。
「ルーク王へお伝えください」
凛とした声が広い謁見の間へ響いた。
「今回の情報共有、深く感謝すると」
その後、僅かに表情を和らげる。
「そして――」
真っ直ぐディルクを見つめた。
「貴方も気を付けなさい、ディルク殿」
その言葉には、一人の王妃としてだけでなく、同盟国の仲間を案じる気持ちも込められていた。
ディルクは深々と頭を垂れる。
「承知致しました」
ゆっくりと顔を上げると、静かに言葉を返す。
「王妃殿下にも、御武運をお祈り申し上げます」
エレノアは静かに微笑み、小さく頷いた。
「ありがとう」
それだけで十分だった。
ディルクは立ち上がり、最後にもう一度深く一礼すると踵を返す。
重厚な大扉がゆっくりと閉まり、その音が謁見の間へ響き渡った。
再び訪れる静寂。
誰もいなくなった広間で、エレノアは独り静かに呟く。
「……そうなると、敵はやはり」
脳裏に浮かぶのは、一つの存在。
長きにわたり世界の裏側で暗躍し続けてきた謎の組織。
各地で起きた不可解な事件。
英雄の遺産。
そして今回のアルケイア王国滅亡。
点と点だった出来事が、一本の線として繋がり始めていた。
エレノアは静かに立ち上がる。
その瞳には、一切の迷いはない。
「誰か!」
凛とした声が王宮へ響き渡る。
間もなく一人の兵士が駆け込んできた。
「はっ!」
膝をつき、頭を垂れる。
エレノアは迷うことなく命じた。
「海洋兵団を招集せよ」
その一言に、兵士の肩が僅かに震える。
海洋兵団。
シークナス王国が誇る最強戦力。
その全軍を動かすという意味を理解したからだ。
「方々へ散っている者達も含め、全団だ」
王妃の声には絶対の意思が宿っていた。
「急げ」
「はっ!!」
兵士は勢いよく敬礼すると、そのまま謁見の間を飛び出していく。
静かだった王宮が、一斉に慌ただしく動き始めた。
シークナス王国もまた、迫り来る嵐へ備え始める。
その時は、もう遠くなかった。
◇ ◇ ◇
一方その頃。
王宮の外では、二人がディルクの帰りを待っていた。
燃えるような長い赤髪を揺らす少年――ニクス。
そして、落ち着いた眼差しを持つ少女――ミレア。
やがて王宮の大扉が開き、ディルクが姿を現す。
その姿を見つけたミレアが静かに歩み寄った。
「お疲れ様です」
柔らかな声だった。
「謁見の方は如何でしたか?」
ディルクは軽く頷く。
「うむ」
一度だけ王宮を振り返る。
「彼女は聡明な方だ」
短い言葉。
しかし、それだけで十分だった。
「この情報の重みを理解し、早急に動くだろう」
ミレアも安心したように小さく頷く。
すると、王宮の壁へ寄り掛かっていたニクスが口を開いた。
「……で?」
相変わらずぶっきらぼうな声音。
「俺達はどうするんだ?」
鋭い視線がディルクへ向けられる。
「教官」
ディルクは腕を組み、少しだけ考え込む。
しばしの沈黙。
王都を吹き抜ける風だけが三人の間を通り過ぎていく。
やがて。
「そうだな」
ディルクは静かに口を開いた。
「ここへ長居する理由も無い」
ニクスとミレアは黙って続きを待つ。
「ルミナリアへ戻ろうと思う」
その言葉に二人は顔を見合わせた。
異論はない。
むしろ予想していた答えだった。
ディルクは二人を見回す。
「何か意見はあるか?」
返ってくる言葉はない。
だが、その沈黙こそが答えだった。
ニクスは肩を竦める。
ミレアも静かに頷く。
その様子を見て、ディルクは穏やかに微笑んだ。
「なら決まりだ」
外套を翻し、歩き出す。
「すぐに出立する」
二人もその背中を追う。
三人が向かう先は転移施設。
そして――ルミナリア王国。
まだ誰も知らない。
静かに。
だが、確実に。
世界は今、新たな局面へと歩み始めていた。




