居場所
ヴァルグラントの転移施設を抜けると、懐かしい街並みが目の前に広がった。
石畳の道を、買い物帰りの人々が笑顔で行き交う。
露店からは焼きたてのパンの香ばしい匂いが漂い、どこからともなく子ども達の笑い声が聞こえてくる。
何気ない日常。
誰もが当たり前のように過ごしている、穏やかな時間。
その光景を目にしたメルは、思わず足を止めていた。
「……平和」
ぽつりと零れた呟き。
その声はあまりにも小さかったが、隣を歩くアズールには十分届いていた。
彼もまた街並みを静かに見渡し、小さく頷く。
「ああ……」
たったそれだけの返事。
だが、その一言には様々な感情が込められていた。
つい数日前まで、二人が見てきたのは焼け落ちた故郷だった。
瓦礫と化した街。
燃え続ける王城。
悲鳴と絶望だけが響く世界。
だからこそ、この何気ない日常が眩しく見えた。
レオンは二人の様子を静かに見つめると、穏やかな声で言った。
「行こう」
二人は小さく頷き、その背中を追う。
向かう先は学園ではない。
ヴァルグラントの外れにある、一軒の木造住宅。
シンの家だった。
しばらく歩くと、見慣れた庭先が見えてくる。
そこでは一人の少年が汗を流していた。
「……っ」
ぎこちない足取り。
何度も体勢を崩しながら、それでも歯を食いしばって前へ進もうとしている。
両足には鈍く光る金属製の義足。
失った足の代わりとして取り付けられた、新たな脚だった。
その姿を少し離れた場所から腕を組んで見守っている大柄な男。
ファルガである。
「おっ」
最初に気付いたのはシンだった。
額の汗を腕で拭いながら顔を上げる。
「よぉ、レオン!」
いつもと変わらない笑顔。
その笑顔を見て、レオンの表情も自然と和らいだ。
「久しぶりだな」
「任務だったんだろ?」
「まぁな」
短い再会の挨拶。
だが、その空気は心地よかった。
そこでシンの視線がレオンの後ろへ向く。
青い髪の青年。
そして銀髪の少女。
見慣れない二人を見て首を傾げた。
「……誰だ、そいつら?」
レオンは振り返る。
「紹介する」
アズールが一歩前へ出る。
「アズールだ」
続いてメルが少し緊張した面持ちで頭を下げた。
「メルディナです。よろしくお願いします」
「へぇ」
シンは興味深そうに二人を見比べると、にっと笑った。
「よろしくな」
その気さくな笑みに、メルの強張っていた肩から少しだけ力が抜ける。
その様子を見届けたレオンは、今度はファルガへ視線を向けた。
「……なぁ、ファルガ」
「ん?」
「頼みがあるだが」
その真剣な声色に、ファルガの表情が少しだけ引き締まる。
「……中で話したい」
一瞬だけ間を置き、ファルガは静かに頷いた。
「分かった」
そして家の扉を開ける。
「立ち話もなんだ。入りな」
居間へ案内され、木製のテーブルを囲んで腰を下ろす。
やがて玄関の扉が勢いよく開いた。
「おーい! 帰ってきたって聞いたぞ!」
元気な声と共に入ってきたのはアッシュだった。
その後ろにはレイの姿もある。
そして。
アッシュの肩の上では、小さな白い魔物が元気よく鳴いていた。
「キュイ!」
「……っ!?」
アズールが思わず目を見開く。
メルも驚きのあまり固まってしまう。
「え……?」
視線を向けられたジニーは、小首を傾げた。
「キュ?」
「か、かわいい……」
思わず漏れた本音だった。
メルの視線は完全にジニーへ釘付けになっている。
両手がそわそわと落ち着かない。
触ってみたい。
でも勝手に触れていいのか分からない。
そんな葛藤がありありと表情に浮かんでいた。
それを見たアッシュが苦笑する。
「触るか?」
メルの瞳がぱっと輝いた。
「い、いいんですか!?」
「キュイ!」
ジニーも嬉しそうに鳴く。
恐る恐る伸ばした手が、ふわりと白い毛並みに触れた。
「……っ」
その瞬間、メルは目を大きく見開く。
「やわらかい……」
「キュイ~♪」
気持ち良さそうに目を細めるジニー。
その愛らしい姿に、メルの表情は自然と笑顔へ変わっていく。
アルケイアを失ってから初めて見せる、心からの笑顔だった。
その様子を見ていたアズールも、知らず知らずのうちに口元を緩めていた。
やがて全員が席につく。
賑やかだった空気は自然と静まり返り、部屋には緊張が満ちていく。
レオンが静かに口を開いた。
「まず紹介する」
全員の視線が集まる。
「アズール・ラダフット」
アズールが立ち上がり、一礼する。
「そして――」
レオンは隣に座る少女を見た。
「メルディナ・アルケイア」
その名を聞いた瞬間だった。
レイの瞳が僅かに見開かれる。
アッシュも息を呑み、ファルガは黙ったまま続きを促すように見つめていた。
レオンは静かに告げる。
「アルケイア王国の王女だ」
部屋から音が消えた。
誰も言葉を発しない。
その静寂の中、レオンはこれまでの全てを語った。
アルケイア王国の滅亡。
ヴァイス達の最期。
王女を守るための逃亡。
山賊となっていたアズールとの出会い。
グラナスとの激闘。
そして、英雄の遺産。
誰一人として口を挟む者はいなかった。
ただ黙って耳を傾け続ける。
全てを語り終えた頃には、部屋の空気は重苦しいものへと変わっていた。
長い沈黙。
それを破ったのはレオンだった。
「ファルガ」
真っ直ぐに見据える。
「この二人の面倒を見てやってくれないか」
ファルガは腕を組み、黙って続きを待つ。
「俺達は学園へ戻らなきゃならない。匿い続けるにも限界がある」
「……なるほどな」
レオンは深く頭を下げた。
「頼む」
その姿に、メルは慌てて立ち上がる。
「レオンさん……!」
アズールも目を見開いた。
しかし。
ファルガは大きく息を吐くと、呆れたように笑った。
「馬鹿野郎」
レオンが顔を上げる。
「そんなもん、頭を下げて頼むことじゃねぇ」
そう言って、メルとアズールへ優しい視線を向けた。
「困ってるガキを放っとけるほど、俺は腐っちゃいねぇよ」
その笑みは、父親そのものだった。
「好きなだけ居ろ」
たった一言。
その言葉だけで、メルの瞳には涙が滲んだ。
アズールも何も言えず、ただ拳を握り締める。
ようやく見つけた。
安心して眠れる場所を。
ようやく辿り着いた。
誰かが待っていてくれる家へ。
そんな二人を見て、ファルガは豪快に笑い飛ばした。
「ただし!」
その大声に二人は肩を震わせる。
「飯を食うならちゃんと働いてもらうぞ!」
一瞬きょとんとしたメルだったが、次の瞬間には思わず吹き出した。
部屋にも自然と笑い声が広がっていく。
張り詰めていた空気は、すっかり和らいでいた。
長く苦しい逃亡の果てに。
メルとアズールはようやく――
心から「帰れる場所」を手に入れたのだった。




