水槍の暗殺者⑤
片腕を失ったキラーマンティスに、もはや先程までの勢いはなかった。
怒りに任せ、残された鎌を無秩序に振り回す。
だが――。
ギィンッ!!
アズールが冷静に剣を滑らせ、その軌道を逸らした。
真正面からは受け止めない。
力を受け流し、ほんの僅かな隙を作る。
その一瞬を、レオンは見逃さない。
「そこだぁぁ!!」
白い軌跡が森を裂く。
渾身の一閃がキラーマンティスの外殻を深々と切り裂いた。
緑色の体液が激しく噴き出す。
ギャァァァァッ!!
苦悶の絶叫を上げながら、キラーマンティスは大きく後退した。
その姿は既に満身創痍。
勝敗は誰の目にも明らかだった。
アズールが隙を作る。
レオンが叩き込む。
二人の息は完全に噛み合っていた。
片腕を失った魔装兵器獣では、その連携を崩す術はない。
倒されるのは時間の問題だった。
一方――。
ガロウ種達もまた、リシェルの前で足止めを食らっていた。
目の前に立ちはだかる分厚い氷壁。
以前とは比べ物にならないほど強固な氷の防壁だった。
ガロウが牙を突き立てる。
鋭い爪で何度も引き裂こうとする。
しかし。
ビクともしない。
それどころか、氷壁から溢れ出す冷気がガロウの前脚を侵食し始める。
白い霜が瞬く間に広がり、爪先を凍り付かせた。
防壁の向こう側。
リシェルは静かに杖を掲げる。
「……穿て」
淡い青白い魔法陣が空中へ展開された。
次の瞬間。
無数の氷槍が宙を埋め尽くす。
そして一斉に放たれた。
ズドドドドドドッ!!
雨のように降り注ぐ氷槍。
ガロウ達の身体を容赦なく貫いていく。
悲鳴。
血飛沫。
一体はその場で力尽き、崩れ落ちた。
残る一体も全身を氷槍に貫かれ、もはや虫の息だった。
――長くは保たない。
グラナスは一瞬で戦況を見切る。
「……チッ」
小さな舌打ち。
次の瞬間、長槍を両手で握り直した。
槍が低く唸る。
埋め込まれた青い魔石が、先程とは比較にならないほど眩く輝き始めた。
ギィィィィィィン――!!
耳障りな共鳴音。
大気そのものが震え始める。
木々がざわめき、地面に落ちた水滴までもが宙へ浮かび上がる。
周囲の水分が槍へ吸い寄せられていく。
異変に最初に気付いたのはユージンだった。
「レオン!!」
鋭い声が飛ぶ。
「何か仕掛ける気だ!!」
レオンが反射的に振り向く。
その瞬間。
グラナスは長槍を大きく引き絞り、全力で横薙ぎに振り抜いた。
ゴォォォォォォッ!!
轟音が森を揺らす。
空中へ膨大な水が出現した。
激流。
濁流。
まるで一本の大河が、そのまま牙を剥いて襲い掛かってきたかのようだった。
「――っ!?」
レオンの顔色が変わる。
危険だ。
本能が激しく警鐘を鳴らす。
迎撃しようと踏み込んだ、その瞬間――。
ギシャァァァッ!!
瀕死のキラーマンティスが最後の力を振り絞り、狂気のように飛び掛かってきた。
「邪魔だぁぁ!!」
レオンは咄嗟に剣で鎌を受け止める。
凄まじい衝撃。
押し返そうと力を込める。
しかし、その一瞬を稼ぐことこそがキラーマンティスの役目だった。
その背後では、濁流が凄まじい轟音を上げながら、すぐそこまで迫っていた。
逃げ場はない。
飲み込まれる――。
轟音を響かせながら、濁流が迫る。
押し流されれば終わりだ。
レオンだけではない。
その後方にいるメルやユージン、リシェルまでもが一瞬で飲み込まれる。
その光景を想像した瞬間だった。
アズールの身体は、考えるより早く動いていた。
「アズール!!」
メルの悲鳴が森へ響く。
「馬鹿! よせ!!」
レオンも叫ぶ。
しかしアズールは止まらない。
濁流の真正面へ立つ。
剣を両手で握り締め、静かに正眼へ構えた。
――今度こそ。
――今度こそ、守る。
メルを。
もう誰も失わない。
その想いだけが胸を満たしていく。
静かに息を吸う。
一呼吸。
そして――。
カッ!!
アズールの瞳が鋭く見開かれた。
こめかみに血管が浮き出る。
全身を巡るマナが一気に沸騰する。
筋肉が膨れ上がり、肉体そのものが悲鳴を上げる。
武技。
肉体を極限まで引き上げる、武人達だけが辿り着く領域。
迫る濁流。
アズールは剣をゆっくりと振り上げ――。
「うおぉぉぉぉぉッ!!」
渾身の力で振り下ろした。
ズガァァァァァァッ!!!
凄まじい轟音。
剣圧が激流へ叩き込まれる。
濁流は中央から真っ二つに裂け、そのまま左右へ逸れていく。
大量の水がレオン達の脇を駆け抜け、木々を薙ぎ倒しながら森の奥へ消えていった。
「なっ……」
レオンが息を呑む。
ユージンも目を見開いた。
「アズール……君、武技使いだったのか……!」
しかし、その代償はあまりにも大きかった。
全身はずぶ濡れ。
荒い呼吸。
膨れ上がっていた筋肉は元へ戻り、限界を超えた身体が悲鳴を上げる。
長期間の疲労。
栄養不足。
その状態で武技を放った反動だった。
アズールは膝をつく。
それでも倒れない。
剣を地面へ突き立て、必死に身体を支えていた。
「アズール!!」
レオンはキラーマンティスへ一閃を叩き込む。
白刃が外殻を深々と断ち切り、魔装兵器獣は断末魔を上げながら崩れ落ちた。
そのまま一直線にアズールの元へ駆ける。
一方、グラナスは静かにその光景を見つめていた。
「……見事だ」
低く漏らす。
「だが……ここまでだ」
長槍を構える。
青い魔石が再び眩く輝いた。
ギィィィィン――。
耳障りな共鳴音。
激流が槍先へ集束していく。
アズールは顔を上げた。
立て。
まだ終われない。
そう念じても、身体は思うように動かない。
死。
その言葉が脳裏を過る。
――その時だった。
ふわり、と身体が淡い光に包まれる。
「……っ?」
重かった身体が軽くなる。
削られていた力が、少しずつ戻ってくる。
振り返る。
そこにはユージンがいた。
額に汗を浮かべ、震える腕を伸ばしている。
「立って……アズール!!」
回復魔法。
万全ではない。
それでも、もう一度剣を振るうには十分だった。
グラナスが踏み込む。
地面が爆ぜた。
激流を纏った槍が一直線に迫る。
速い。
だが、見える。
アズールはギリギリまで引き付ける。
そして身体を捻った。
槍先が左肩を掠める。
鮮血が舞う。
それでも止まらない。
そのまま懐へ潜り込む。
「はぁぁぁッ!!」
斬り上げようとした、その瞬間。
グラナスは咄嗟に槍の石突きを肩へ押し当て、その反動を利用して宙へ跳び上がった。
体勢を崩されたアズールは前方へ倒れ込む。
「……無駄だったな」
空中から冷たい声が落ちる。
――だが。
「無駄じゃねぇさ!!」
横合いから黒い影が飛び込んだ。
レオンだった。
その剣には限界までマナが流し込まれている。
刀身は眩い白光を放っていた。
グラナスは即座に槍を盾のように構える。
しかし、間に合わない。
「ぶっ飛べぇぇぇぇぇッ!!」
渾身の一撃が炸裂する。
ズバァァァァァァッ!!!
長槍が真っ二つに断ち切られる。
さらに斬撃はグラナスの胸当てを深く裂き、そのまま身体ごと吹き飛ばした。
轟音とともに数本の木をへし折りながら、グラナスは森の奥へと叩き飛ばされていった。




