水槍の暗殺者
洞穴の中には、焚き火の穏やかな音だけが響いていた。
ぱちり、ぱちり――。
薪が静かに爆ぜるたび、橙色の炎が揺れ、岩肌に淡い影を映し出す。
その暖かな光に照らされながら、横たわっていた少女の睫毛がかすかに震えた。
「……っ」
ゆっくりと瞼が開く。
霞んだ視界。
ぼやける天井。
そして、その向こうに立つ見知らぬ人影。
メルの身体がびくりと強張った。
「……だ、れ……?」
か細く怯えた声が、静まり返った洞穴に溶ける。
その瞬間だった。
「メル!」
洞穴の端に座っていたアズールが勢いよく立ち上がり、一目散に駆け寄る。
その姿を見た途端、メルの瞳が大きく揺れた。
「……アズール……?」
「あぁ……俺だ」
返した声は、安堵と張り詰めていた緊張が一気にほどけたように震えていた。
アズールは小さく息を吐き、そっと振り返る。
「……この人達が助けてくれたんだ」
促されるように、メルの視線がレオン、ユージン、そしてリシェルへ移る。
だが、その胸元に刻まれた紋章を見た瞬間――。
「……っ」
ルミナリアの紋章。
その印を目にしただけで、メルの肩がびくりと震えた。
そんな彼女を見て、アズールは静かに言葉を続ける。
「安心しろ。敵じゃない……少なくとも、俺達を見捨てたりはしなかった」
その言葉に、メルの強張っていた表情がほんの少しだけ和らぐ。
ユージンは安心させるように柔らかな笑みを浮かべた。
「まだ無理に起きなくていいよ。熱は下がってきたけど、身体はかなり弱ってるから」
「……ありがとう……ございます……」
消え入りそうな声。
その様子を見届け、レオンは照れ隠しのように頭を掻いた。
「まぁ……無事でよかった」
短い一言だった。
それだけで十分だった。
だが、その空気を断ち切るように、アズールが静かに口を開く。
「……レオン」
その低い声に、三人の視線が集まる。
アズールは拘束された自分の両手を見つめながら、小さく呟いた。
「……俺は、罪を償わなきゃならない」
洞穴の空気が、重く沈む。
「行商人を襲ったのは事実だ。理由があったとしても……やったことは消えない」
悔しさを押し殺すように唇を噛み締める。
「敵国のお前達に、こんなことを頼む資格なんて無いのは分かってる。でも……」
ゆっくりと顔を上げた。
その瞳は真っ直ぐレオン達を見据えている。
「……メルのことを、頼めないか」
その一言に、レオン達は顔を見合わせた。
誰もすぐには答えられない。
敵であり、罪人でもある男。
それでも、目の前にいるのは只、姫を守りたいだけの騎士だった。
重苦しい沈黙が流れる。
すると――。
「……待って……」
震える声が、その静寂を破った。
メルだった。
彼女は毛布を強く握り締めながら、涙で潤んだ瞳をアズールへ向ける。
「……アズールと一緒じゃなきゃ……やだよ……!」
「メル……」
メルの叫びに、アズールの表情が苦しげに歪む。
だがメルは首を横に振った。
「……私、分かってたの……」
ぽろり、と涙が頬を伝う。
「アズールが……何をしてたのか……薄々、気づいてた……」
声が震え、途切れる。
「……だから……私も同罪なの……」
胸元をぎゅっと掴み、必死に想いを絞り出す。
「お願い……もう……誰も失いたくないの……!」
堪えていた涙が、一気に溢れ出した。
その姿を前に、アズールも静かに顔を伏せる。
肩が、小刻みに震えていた。
洞穴の中に響くのは、二人の押し殺した嗚咽だけ。
レオン達は、何も言えなかった。
責めることもできない。
慰めることもできない。
ただ、それぞれが複雑な想いを胸に抱え、黙って二人を見つめていた。
リシェルは静かに目を伏せる。
ユージンは苦しげに息を吐き、レオンもまた、頭を掻きながら視線を落とした。
何を言えばいいのか。
どんな言葉なら、この二人を救えるのか。
その答えを、誰も持っていなかった。
重苦しい沈黙だけが流れていく。
――その時だった。
「――っ!」
メルの身体が大きく跳ねた。
瞳が恐怖に見開かれ、その焦点は誰もいない虚空を見つめている。
「メル!?」
アズールが慌てて肩を支える。
しかし、メルの意識はここにはなかった。
脳裏に蘇る光景。
森の奥から現れる人影。
その背後から迫る、無数のガロウ。
そして――。
深い蒼を纏う、一人の槍使い。
純白ではない。
夜の海のように冷たい蒼。
先頭を進むガロウを追う男は槍を構えたまま真っ直ぐこちらを見据えていた。
その瞳に宿るのは、研ぎ澄まされた殺意。
『見つけたぞ』
低く響く声。
その瞬間――。
「――来る!!」
メルが悲鳴にも似た声で叫んだ。
洞穴の空気が一瞬で凍り付く。




