夜襲の守り人⑥
両腕を拘束されたまま、アズールはレオンたちを洞穴の奥へと案内していた。
洞穴の中は昼間だというのに薄暗く、岩肌から滴る雫が静かな音を立てている。
湿り気を帯びた冷たい空気が肌を撫で、足元には砂利が敷き詰められていた。
道中には袋や木箱が無造作に積まれている。
干し肉。
黒パン。
果物。
どれも保存の利く食料ばかりだった。
おそらく、これまで行商人たちから奪ってきたものなのだろう。
だが、そんな物よりも――。
「……!」
三人の視線は、洞穴の最奥で止まった。
薄い布を何枚も重ねるように掛けられ、一人の少女が静かに横たわっていた。
淡い金髪には銀色が混じり、痩せ細った身体は布の上からでも分かるほど細い。
肩で荒く息を繰り返し、苦しそうに眉を寄せている。
「メル……!」
アズールが震える声でその名を呼ぶ。
次の瞬間だった。
「どいて!!」
ユージンがレオンとアズールの間をすり抜けるように駆け出した。
少女の傍へ膝をつき、迷うことなく額へ手を当てる。
「……っ!」
触れた瞬間、その表情が険しく変わる。
「酷い熱だ……!」
額だけではない。
身体中が異常な熱を帯びている。
ユージンは即座に杖を構えた。
「――癒術!」
柔らかな緑色の光が洞穴の中を照らし出す。
優しい光がメルの身体を包み込み、乱れていた呼吸を少しでも落ち着かせようと魔力が静かに流れ込んでいく。
額にはすぐに汗が滲み始めた。
癒術だけで治る症状ではない。
それでも、今できることは全力でやるしかない。
魔力を送り続けながら、ユージンは周囲へ視線を巡らせる。
「……っ」
そして、あることに気付いた。
洞穴の中には焚き火の跡がない。
煤も灰も見当たらない。
火を焚いた形跡が、一切なかった。
ユージンは勢いよく振り返る。
「どうして身体を温めてあげないんだ!!」
洞穴の中へ、鋭い声が響いた。
普段穏やかな彼からは想像もできないほど感情を露わにした声だった。
アズールは肩を震わせ、小さく俯く。
「……すまない」
掠れた声が漏れる。
「どうすればいいのか……分からなかったんだ」
「……」
ユージンは言葉を失う。
その手を見る。
剣だこだらけの掌。
薪を割った跡ではない。
火を扱ってきた者の手でもない。
剣だけを握り続けてきた少年の手だった。
王都で騎士として育ち、生活の術を学ぶこともなく、すべてを失って逃亡者となった少年。
その現実が胸へ重くのしかかる。
ユージンは唇を強く噛み締めた。
「レオン!!」
「っ、あぁ!!」
「急いで焚き火を!」
「任せろ!」
レオンは踵を返し、すぐさま洞穴の外へ飛び出す。
乾いた枝を集め、火打石を取り出し、手早く火を起こしていく。
その間にも、一歩遅れることなくリシェルが周囲を見渡していた。
「……水」
短く呟く。
「取ってくる」
それだけ言い残すと、迷いなく洞穴を飛び出していった。
誰一人として迷わなかった。
目の前にいるのが敵なのか味方なのか。
そんなことを考えている余裕は、誰にもなかった。
今、救える命がある。
ただ、それだけだった。
「お願いだから……持ち直して……!」
ユージンは額に汗を浮かべながら魔力を送り続ける。
やがて洞穴の入口から暖かな光が差し込んだ。
レオンが起こした焚き火だった。
冷え切っていた空気が、少しずつ和らいでいく。
そこへリシェルも戻って来る。
冷たい水を汲んだ器を持ち、布を浸して軽く絞る。
そして無言のまま、メルの額へそっと乗せた。
洞穴の中に広がるのは、誰かを責める空気ではなかった。
ただ一人の少女を救おうとする、必死な想いだけだった。
その光景を見つめながら、アズールの瞳から涙が溢れる。
「……っ……」
守ると言いながら。
自分は何をしていたのだろう。
火も起こせない。
薬も手に入れられない。
病を治す術も知らない。
ただ剣を握り、人を襲うことしかできなかった。
そんな自分とは対照的に、目の前の三人は迷いなくメルを助けようとしている。
敵国の人間であるはずなのに。
命を奪い合うはずだった相手なのに。
誰一人として見捨てようとはしなかった。
リーブなら。
バルロなら。
そして父なら。
今の自分を見て、何と言うだろう。
「……ぁ……」
情けなさと後悔で胸が締めつけられる。
それでも。
今だけは。
この温もりに縋っていたかった。
アズールは震える唇を開く。
「……ありがとう」
その小さな感謝の言葉だけが、静かな洞穴の中へ、そっと溶けていった。




