アルケイア王女
――アルケイア王国陥落より、数日前。
夜の森を、必死に駆ける影があった。
「姫様! こちらです!」
鎧を血で染めた騎士が叫ぶ。
その後ろを走るのは、一人の少女。
銀混じりの淡い金髪。
泥と血に汚れながらも、なお気品を失わぬ少女――
メルディナ・アルケイア。
アルケイア王国、最後の王女だった。
「はぁ……っ……はぁ……っ……!」
息が苦しい。
足が震える。
何度も転びそうになる。
だが止まれない。
背後から聞こえるのは――
獣の咆哮。
『ガァァァァアアアアアッ!!』
森を揺らす咆哮と共に、無数の紅い眼光が木々の間に灯る。
ガロウ種。
黒い外殻に覆われた狼型魔装兵器獣。
その群れが、執拗にメル達を追跡していた。
「くっ……追いつかれるぞ!」
一人の騎士が足を止める。
「先へ行け!! ここは俺が抑える!!」
「待ってください!!」
メルが振り返る。
だが騎士は笑った。
「姫様が生きねば……アルケイアは、本当に終わる……!」
次の瞬間。
飛び掛かったガロウが騎士を押し倒した。
肉を裂く音。
悲鳴。
鮮血。
「いやぁぁぁぁぁっ!!」
メルの叫びが森に響く。
それでも。
誰も立ち止まらなかった。
いや――立ち止まれなかった。
「メル様!!」
少年が彼女の手を掴む。
蒼髪の青年。
鋭い目を持つ騎士。
アズール・ラダフット。
幼き頃よりメルを守り続けてきた護衛騎士だった。
「前を見てください!!」
「でも……! でもぉ……!」
「今は生き延びる事だけを考えてください!!」
悔しさを滲ませながらアズールは叫ぶ。
その背後でも、また一人。
騎士がしんがりとして飲み込まれていった。
獣の咆哮。
断末魔。
鉄の砕ける音。
アルケイアは、もう終わっていた。
◇
やがて森を抜けた先。
霧深い湖畔へと辿り着く。
「見えた!!」
風魔法使いの青年――バルロが叫ぶ。
岸辺には、小型の脱出艇。
予定通りならば、ここから湖を渡り国外へ脱出する手筈だった。
だが。
その場にいた全員が凍り付く。
「……そんな」
小舟の側。
護衛兵達が、血塗れで倒れていた。
誰一人、生きていない。
そして。
その死体の中央に、一人の男が立っていた。
長槍を携えた男。
深い蒼色の外套。
静かな殺気。
「……グラナス」
アズールが低く呟く。
水の槍使い。
王都襲撃に現れた敵幹部の一人。
グラナスは静かに槍を構えた。
「逃亡劇も終わりだ、王女」
背後からはガロウの群れ。
前にはグラナス。
完全な挟み撃ちだった。
「っ……!」
アズールが剣を抜く。
だがその前へ、一人の男が出る。
「……リーブ」
土魔法使いの青年が静かに前へ出た。
「バルロ、合わせろ」
「ああ、分かってる」
二人が同時に魔力を解放する。
『土壁陣!!』
轟音と共に巨大な土壁がグラナスとの間に隆起する。
さらに――
『風壁陣!!』
暴風が吹き荒れ、ガロウ達の進行を押し留める。
一時的な防壁。
だが長くは持たない。
「今のうちに行け!!」
リーブが叫ぶ。
「馬鹿言うな!! 全員で逃げるぞ!!」
アズールが怒鳴る。
だがバルロは苦笑した。
「無理だっての……見りゃ分かるだろ」
風壁の向こうで、無数の紅眼が揺れている。
数が多すぎた。
「お前が守れよ」
バルロが言う。
真っ直ぐにアズールを見る。
「お前は……姫様の騎士だろ」
「っ……!」
「泣かせるなよ、絶対に」
リーブも静かに続ける。
「アズール」
「……」
「お前なら出来る」
土壁の向こうから、水流がぶつかる轟音が響く。
グラナスが攻撃を始めたのだ。
壁が軋む。
「早く行けぇぇぇぇッ!!」
バルロの怒号。
アズールは歯を食いしばった。
拳が震える。
だが――
「……行きます」
絞り出すように言った。
そしてメルの手を掴む。
「メル様!!」
「いや……っ!! 嫌ぁ!!」
「お願いします!!」
半ば抱えるように舟へ飛び乗る。
その直後だった。
轟音。
水圧によって脆くなった土壁が――
槍の一撃で粉砕された。
霧の中から、グラナスが現れる。
「見事だ」
静かな声。
次の瞬間。
リーブとバルロが同時に飛び掛かった。
「今だァァァァァッ!!」
二人がグラナスへしがみつく。
槍を抑え。
腕を掴み。
命を懸けて動きを止める。
「離せ」
グラナスの冷たい声。
「誰が……っ!!」
バルロが笑う。
口から血を流しながら。
「いけぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!!!」
アズールが全力で舟を押し出した。
水面を滑る小舟。
岸が離れていく。
「やだぁぁぁぁぁぁぁ!!」
メルは泣き叫んだ。
伸ばした手は届かない。
そして――
グラナスの槍が閃く。
鮮血。
二人の身体が宙を舞った。
「あ……」
声が出ない。
ただ見えた。
友人達が殺される瞬間だけが、
焼き付くように。
やがて湖を覆う深い霧が、小舟を包み込む。
岸辺の景色が消えていく。
アルケイアも。
仲間達も。
全部。
霧の向こうへ消えていった。




