手紙②
ゼルガリアの鬼人――。
その名を知らぬ者は、大陸広しといえど、ほとんど存在しない。
戦場を鬼神の如く駆け抜け、敵陣を力尽くで踏み砕く。
血煙の中で豪快に笑い、幾万の兵を相手にしてなお一歩も退かぬ姿から、人々は畏怖を込めて彼をそう呼んだ。
――鬼人。
それは異名であると同時に、恐怖そのものを意味する称号だった。
そして何より。
彼はゼルガリア王国最強の戦士である。
ゴールドランク冒険者。
国家級戦力。
その実力を、ディルクは誰よりも理解していた。
「……」
自然と、遠い昔の記憶が蘇る。
まだ互いに名を上げる以前。
若き日のディルクは、ファルガと共に一度だけアルベルへ挑んだことがあった。
結果は――惨敗。
いや。
"戦いとして成立した"だけでも誇るべきだったのかもしれない。
当時のファルガが武技を惜しみなく使い、命懸けで食らいつき。
ディルクも全力で魔法を織り交ぜながら援護した。
それでも届かなかった。
技量。
膂力。
戦闘勘。
経験。
その全てが、自分達の遥か先にあった。
まさしく規格外。
だからこそディルクは知っている。
あの男が、そう容易く誰かに敗れるような戦士ではないことを。
そして――。
祖国を裏切るような男では、決してないことも。
「……王都襲撃の時に、ですか?」
静かに問い掛ける。
ルークは重々しく頷いた。
「恐らく……な」
その短い返答だけで、部屋の空気はさらに重く沈んだ。
ルークは椅子へ深く身を預けたまま、ゆっくりと言葉を続ける。
「本来であれば、この件は他国へ漏らせるような情報ではない」
国家最強戦力の失踪。
それだけで国の抑止力は大きく揺らぐ。
周辺諸国に隙を見せることにも繋がりかねない。
ゆえに本来ならば、極秘中の極秘。
それでも――。
ルークは静かにディルクを見据えた。
「これは恐らく……セリス嬢からの"警告"なのだろう」
「……警告?」
ディルクの眉が僅かに動く。
「どういう意味でしょうか」
ルークは一度だけ深く息を吐いた。
そして静かに口を開く。
「鬼人――アルベルは、"遺産"の所有者だ」
「……っ!」
ディルクの瞳が大きく見開かれる。
室内の空気が一瞬にして凍り付いた。
遺産。
古の英雄達が後世へ残した超常の力。
一つ存在するだけで国家の均衡すら覆しかねないと言われる、人智を超えた秘宝。
各国が厳重に秘匿し、ときに血を流してまで奪い合ってきた禁忌。
そして近頃、その遺産を巡って世界各地で不可解な事件が相次いでいる。
「まさか……」
ディルクの声が低くなる。
「アルケイアの件も、それと繋がっていると?」
「断定はできん」
ルークはゆっくり首を横へ振った。
「だが、タイミングが出来過ぎている」
アルケイア王国の滅亡。
最後まで姿を見せなかった魔装兵器獣。
各地で起こり始めた異変。
そして。
ゼルガリア最強の戦士、アルベルの失踪。
一つ一つは独立した出来事に見える。
だが、それらを結ぶ一本の糸が確かに存在するようにも思えた。
「もし本当に"何者か"が裏で糸を引いているのだとすれば……」
ルークの眼光が鋭さを増す。
「奴らの狙いは、我々が想像しているよりも遥かに大きいのかもしれん」
「…………」
ディルクは何も答えなかった。
ただ静かに机上の手紙へ視線を落とす。
レオン。
セイル。
魔装兵器獣。
そして、遺産。
これまで点でしか存在しなかった情報が、少しずつ一本の線となり始めている。
しかし、その線がどこへ続き、何を示しているのか――。
その答えは、まだ誰にも見えてはいなかった。




