手紙
ルミナリア王宮――。
静寂に包まれた長い回廊を、一人の男がゆっくりと歩いていた。
ディルク。
その後ろに付き人の姿はない。
だが、彼の歩みを止める者もまた誰一人としていなかった。
廊下に立つ衛兵達は、その姿を見るや道を開き、静かに頭を垂れる。
それは彼が王立学園の教官という肩書だけではなく、ルミナリア国王ルークから絶大な信頼を寄せられる人物であることを示していた。
「……」
歩きながら、ディルクは懐から一通の封書を取り出す。
赤い封蝋には、ゼルガリア王家の紋章が刻まれていた。
レオンがセリス王女から託された手紙である。
無論、中身には目を通していない。
しかし、一国の王女が直々に託した以上、単なる礼状では済まないだろう。
国家間でしか語れぬ密談か。
あるいは――。
(……嫌な予感がするな)
ディルクは小さく目を細めた。
アルケイアの一件が終わった今だからこそ、その胸騒ぎは妙に現実味を帯びていた。
やがて足を止めた先は、謁見の間ではない。
ルミナリア国王、ルークの私室。
ディルクは扉の前に立つと、二度だけ静かに扉を叩いた。
コン、コン。
しばしの沈黙。
やがて部屋の奥から、低く落ち着いた声が返ってくる。
「……誰だ」
「ディルクです。失礼します」
扉を開ける。
室内は王の私室に相応しく、豪奢な造りだった。
精巧な彫刻が施された調度品。
高価な絨毯。
壁を飾る数々の美術品。
どれも王族の威厳を感じさせる一級品ばかり。
――だが。
部屋の中央に置かれた執務机だけは、その雰囲気から完全に浮いていた。
山のように積まれた報告書。
広げられた各国の地図。
厚い資料の束。
読みかけの書物。
机の上を埋め尽くすそれらは、整理する時間すら与えられていない現状を物語っていた。
「ディルクか……」
執務机の向こうでルークが顔を上げる。
「すまぬ。少々散らかっていてな」
「お気になさらず」
ディルクは静かに首を振った。
そして王の顔を見つめる。
「……かなりお疲れのようですね」
ルークの顔色は優れなかった。
髪は僅かに乱れ、目の下には深い隈が刻まれている。
ここ数日、まともに眠れていないことは一目で分かった。
「少しお休みになられた方がよろしいかと」
そう勧めると、ルークは苦笑を浮かべ、小さく肩を竦めた。
「そうも言っていられんさ……」
深く椅子へ腰掛け、夕日に染まる窓の外へ目を向ける。
「ファルガから報告は受けた」
静かな声だった。
「アルケイアの件もな」
部屋の空気が僅かに重くなる。
「報復とはいえ……エルナディアのやり方には到底共感できん」
ルークは膝の上で拳を握り締めた。
「そして何より……」
「魔装兵器獣、ですな」
ディルクが静かに言葉を継ぐ。
ルークはゆっくり頷いた。
「あれほど各国から警告を受けていたというのに……」
視線を落とす。
「なぜ最後まで投入しなかった」
ぽつりと漏れた疑問。
「国が滅び、民が殺され、王が討たれてなお……一体も姿を現さなかった」
沈黙が落ちる。
誰にも答えは分からない。
「……私も、ずっと引っ掛かっております」
ディルクが低く呟く。
「あまり考えたくはありませんが……」
一度言葉を切る。
「チャルナー王だけではない。我々もまた……何者かの思惑に乗せられていたのではないかと」
その言葉に、ルークはゆっくりと両手で顔を覆った。
「……やはり、お前もそう思うか」
掠れた声だった。
危険な兵器を排除する。
その判断自体は間違っていなかった。
しかし結果として、一つの国は滅び、多くの命が失われた。
そして自分達も、その引き金を引いた一人になってしまった。
王として、その重みは計り知れない。
「……王」
沈黙を破るように、ディルクが口を開く。
「お疲れのところ恐縮ですが、お渡ししたい物がございます」
ルークはゆっくり顔を上げた。
ディルクは懐から封書を取り出し、静かに差し出す。
「これは?」
ルークは封蝋を見つめる。
そこには見慣れた紋章が刻まれていた。
「ゼルガリア王家の紋章か」
「はい。学園の生徒が、事情あってセリス殿下より預かったそうです」
「ほう……」
ルークは封を切り、ゆっくりと手紙を開く。
視線を走らせる。
そこにはゼルガリア復興への協力に対する感謝。
ルミナリアへの変わらぬ友好。
そして今後も両国の絆を深めたいという、誠実な言葉が綴られていた。
「……ふっ」
自然と口元が緩む。
「実にセリス嬢らしい文だ」
だが。
読み進めるにつれ、その表情から笑みは消えていった。
目が細まり。
眉間に皺が寄る。
部屋の空気が再び張り詰める。
その変化を、ディルクは見逃さなかった。
「……何かございましたか」
静かに問い掛ける。
「手紙には、何と?」
ルークはしばらく黙ったまま手紙を見つめていた。
やがてゆっくりと紙を畳み、机の上へ置く。
そして、低く重い声で告げた。
「……ゼルガリアの鬼人が、行方不明らしい」
その一言に、部屋の空気が凍り付いた。




