教会
夕暮れのゼルガリアを、レオンは一人ゆっくりと歩いていた。
港から少し離れた通りは、昼間の喧騒が嘘のように穏やかだった。
石畳の道を踏みしめるたび、小さく靴音が響く。
道沿いには、修復途中の建物が並んでいる。
積み上げられた木材、足場を組む職人達、壁を塗り直す人々。
どこからか木の香りが漂い、金槌の音が規則正しく街に響いていた。
まだ傷跡は残っている。
それでも、この街には以前とは比べものにならないほど明るい空気が満ちていた。
「おぉ! レオン殿!」
不意に通りの向こうから大きな声が飛ぶ。
顔を上げると、作業着姿の男が満面の笑みで手を振っていた。
「あっ! レオンだー!」
「ほんとだ!」
今度は遊んでいた子供達が我先にと駆け寄ってくる。
「戻って来たのね!」
「うちの店にも寄っていきなよ! ご馳走するからさ!」
露店の女店主まで顔を出し、元気よく声を張り上げる。
次々とかけられる歓迎の言葉。
レオンは少し照れくさそうに笑いながら、一人一人へ軽く手を振り返した。
「あぁ。ただいま」
たったそれだけの言葉。
けれど、それだけで十分だった。
この街の人々は覚えていてくれた。
共に戦ったことを。
守ろうと剣を振るったことを。
その事実が胸の奥を静かに温めていく。
やがてレオンは、街の中央広場へと辿り着いた。
かつて魔物襲来の際、多くの市民が身を寄せ合い、恐怖に震えながら夜を明かした避難所。
そこには今、一棟の新しい建物が建っていた。
「……教会か」
白い石壁が夕日に照らされ、淡い橙色に染まっている。
まだ建てられて間もないのだろう。
窓も屋根も真新しく、どこか希望そのものを形にしたような建物だった。
その周囲では、大勢の子供達が忙しそうに動き回っている。
「こっち洗ったー!」
「薪もっと持ってきたぞ!」
「うわっ、水つめたっ!」
野菜を洗う子。
薪を抱えて走る子。
水を掛け合って笑う子。
夕暮れの広場には、子供達の明るい笑い声が絶え間なく響いていた。
「こらっ! ちゃんと手伝わないと、ご飯抜きにするよ!」
少しだけ厳しい声が飛ぶ。
その声の主を見た瞬間、レオンは思わず目を瞬かせた。
「……ロップ?」
そこに立っていたのは、修道女姿のロップだった。
白を基調とした修道服。
頭を覆うヴェール。
以前とは装いも立ち振る舞いも違う。
それでも、穏やかで優しい笑顔だけは何一つ変わっていなかった。
レオンが静かに声を掛ける。
「ロップ」
「……っ!」
ロップが勢いよく振り返る。
そして、その瞳がレオンを映した瞬間――。
「レオンさん!」
花が咲くように表情を明るくし、頬をほんのり赤く染めながら駆け寄ってきた。
その様子に気付いた子供達も興味津々で顔を覗かせる。
「誰ー?」
「ロップ先生のお友達?」
「なんか強そう!」
「カッコいい!」
ひそひそと囁き合う声が広場に広がる。
ロップは少し照れたように子供達を見やり、それから嬉しそうにレオンを見上げた。
「お……おかえりなさい、レオンさん」
「あぁ。ただいま」
短い言葉。
しかし互いに浮かべた笑みが、それ以上の再会の喜びを物語っていた。
レオンはふと修道服へ視線を向ける。
「その格好は?」
「あっ……」
ロップは照れくさそうに自分の袖を見下ろした。
「私、今はここで働いているんです」
そう言って、優しく教会を振り返る。
「あの事件で家族を亡くした子供達の面倒を見させてもらっています」
視線の先では、子供達が無邪気に笑い合っていた。
その笑顔を見守るロップの横顔は、とても穏やかだった。
「レオンさんは? お目当ての物は見つかりましたか?」
「あぁ。なんとか手に入った」
レオンは静かに頷く。
「それにイレーネにも会ってな。ラヴィーナのことも少しだけ聞いた」
「……っ」
ロップは驚いたように目を見開いた。
「イレーネさんですか……懐かしいです」
その瞳は遠い日々を映していた。
「昔は、よく姉に稽古をつけてくれていたんですよ」
自然と頬が緩む。
「私は、そんな二人を見ているのが大好きでした」
「ロップは教わらなかったのか?」
そう尋ねられると、ロップは少しだけ視線を落とした。
「私は昔から臆病で……」
小さく苦笑する。
「姉がいつも、私を守ってくれていたんです」
その言葉を聞き、レオンはゆっくり首を横に振った。
「お前は臆病なんかじゃない」
「……え?」
思わずロップは顔を上げる。
「あの時だって、俺を助けるために駆けつけてくれただろ」
ロップの瞳が揺れる。
「船の件だってそうだ。ウェルフ達に声を掛けてくれたのは、お前なんだろ?」
真っ直ぐな視線。
そこには嘘も、お世辞もなかった。
「俺は、お前に助けられてばかりだ」
「――っ!?」
その一言だけで、ロップの顔は一気に真っ赤に染まった。
「そ、そんなことありません!」
慌てて両手をぶんぶん振る。
「私なんて全然……! 私達を救ってくれたのは、レオンさんやニクスさん達じゃないですか!」
必死に否定する姿に、レオンは思わず苦笑を漏らした。
そんな穏やかな空気を切り裂くように、不意に低く通る声が響く。
「レオン殿!」
二人は同時に振り返った。
そこには一人のリザードマン兵が立っていた。
兵士はレオンの姿を確認すると、安堵したように深く一礼する。
「お戻りになられていたのですね」
「あぁ。どうした?」
兵士は周囲を一度見回すと、表情を引き締めた。
「……もしお時間を頂けるのでしたら、王女殿下がお会いしたいとのことです」
その一言で、穏やかな夕暮れの空気は静かに次の出来事へと移り変わっていった。




