魔鉱岩探索⑧
奈落の縁を、レオン達はゆっくりと登っていた。
一歩。
また一歩。
崩れかけた岩場に足を掛け、慎重に体を引き上げる。
誰も無駄な言葉は発しない。
喋る余裕がないというのもあるが、ほんの僅かな気の緩みが命取りになる場所だと理解していたからだ。
下方から吹き上がっていた灼熱の風は、徐々にその勢いを失っていく。
代わりに肌へ触れ始めたのは、洞窟本来の冷たい空気だった。
火口のような熱気に晒され続けた体には、その冷気が思いのほか堪える。
「……っくしゅ」
不意にレイが小さなくしゃみを漏らした。
肩がびくりと震える。
髪は汗で張り付き、服も湿っている。
熱さの中で流れ続けた汗が、今度は容赦なく体温を奪い始めていた。
それに気付いたユージンは足を止めると、自分のコートを脱いだ。
「ほら」
差し出されたコートに、レイが目を丸くする。
「えっ……でも……」
「いいから」
ユージンは苦笑した。
「僕は回復魔法で多少どうにでもなるし」
そう言って半ば強引にレイの肩へ掛ける。
レイは一瞬迷った後、そっと裾を握った。
「……ありがとうございます」
その様子を見ていたアッシュが、疲れ切った顔のまま笑う。
「お前ら元気だな……」
「アッシュがボロボロ過ぎるんですよ」
「うるせぇ……」
返事はしたものの、その声には覇気がなかった。
全員が限界だった。
足は鉛のように重い。
腕には力が入らない。
全身の筋肉が悲鳴を上げ、呼吸をするだけでも疲労が増していく。
それでも立ち止まれない。
足を滑らせれば、そのまま奈落の底まで真っ逆さまだ。
「……あと少しだ」
先頭を進むレオンが顔を上げる。
視線の先。
ようやく見えてきた。
降りてきた時の入口。
岩壁の向こうに揺れるランタンの灯り。
見慣れたはずの光が、今は何よりも頼もしく見えた。
そして――。
最後の段差を乗り越えた瞬間。
レオン達はようやく奈落から脱出した。
「っはぁぁぁ……」
アッシュがその場へ崩れ落ちるように腰を下ろした。
岩壁へ背中を預け、天井を見上げる。
「生きて帰ってこれた……」
心の底から漏れた言葉だった。
ヒルデも近くの壁にもたれ掛かる。
「……流石に疲れたな」
普段は滅多に弱音を吐かない彼女ですら、隠しきれない疲労を滲ませていた。
レイも静かに腰を下ろし、ユージンは苦笑しながら肩を回す。
「今までで一番過酷な探索だったかも……」
「否定できねぇな……」
アッシュが目を閉じたまま答える。
レオンも剣を傍らへ置き、大きく息を吐いた。
肺に冷たい空気が流れ込む。
その時だった。
カチッ。
小さな音と共に、ケンジャが義手を開く。
中から取り出したのは、一つの赤い魔石だった。
「……?」
レオンが首を傾げる。
何をする気なのか理解できない。
だが、ヒルデだけは察したらしい。
「……少し待っていろ」
そう言うと背負っていた荷物を漁り始めた。
取り出したのは、小枝を束ねたものだった。
洞窟へ入る前、周辺で集めておいた物だ。
ヒルデは慣れた手付きでそれらを床へ並べ、簡単な焚き火の形を作る。
「準備いいぞ」
ケンジャが頷き、赤い魔石へ魔力を流し込んだ。
ぽう――。
淡い赤光が魔石から広がる。
次の瞬間。
小枝の先へ火が移った。
ぱちり、と小さな音を立てて炎が生まれる。
やがてそれは穏やかな焚き火となり、冷え始めていた洞窟を優しく照らした。
「おぉ……」
アッシュが感心したように声を漏らす。
「便利だなお前の魔石」
ケンジャは得意げに胸を張った。
「探索のために私だって準備していたからな」
「……珍しく役に立ってんな」
「お前は一言余計だな」
ケンジャが頬を膨らませる。
そのやり取りに、誰からともなく小さな笑いが漏れた。
張り詰めていた空気が少しだけ和らぐ。
レイは焚き火へそっと両手をかざした。
「……暖かい」
冷え切っていた指先へ、じんわりと熱が戻っていく。
その感覚に、自然と肩の力が抜けた。
ユージンも炎を眺めながら息を吐く。
「さっきまで地獄みたいに暑かったのに、今度は火が恋しくなるなんてね」
「だからって、あそこには二度と戻りたくねぇがな……」
アッシュが仰向けに寝転がる。
誰も否定しなかった。
しばらくの間、洞窟には焚き火の音だけが響いていた。
ぱちっ。
ぱちり。
静かな音が耳に心地良い。
疲労で重かった心が、少しずつ解けていく。
生きて帰ってきた。
ようやく、その実感が湧いてきていた。
やがてレオンが、焚き火の向こうを見つめながら小さく呟く。
「……取れて良かったな」
その言葉に、皆の視線が自然と一つの場所へ集まった。
傍らに置かれた魔鉱岩。
無色透明の鉱石は、焚き火の灯りを受けて静かに輝いている。
その輝きのために。
命を懸けた。
何度も死にかけた。
それでも持ち帰った価値があるものだった。
ケンジャが静かに頷く。
「あぁ……これならシンの義肢も作れる」
その言葉を聞いた瞬間。
レオンの表情が少しだけ柔らかくなった。
仲間の顔が脳裏に浮かぶ。
いつも騒がしい声。
そして失った両足。
レオンは焚き火の向こうに視線を向けたまま、小さく笑った。
「待ってろよ、シン……」
揺れる炎が、その言葉に応えるように静かに踊った。
奈落の底から持ち帰った希望は、確かに彼らの手の中にあった。




