降下
洞窟の奥へ進むにつれ、空気は肌を刺すほど冷たくなっていった。
足元の小石を踏む音だけが、静寂に包まれた空間へ響く。
コツ……コツ……
ジャリ……ジャリ……
頼れる明かりは、レイが手にしたランタン一つ。
その淡い光を先頭のアッシュが導き、後ろをレオン、ユージン、ヒルデが続く。ユージンの背負う鞄の中では、ケンジャが顔を引っ込めたまま静かにしていた。
やがて――
「……止まれ」
先頭を歩いていたアッシュが手を上げる。
全員が足を止めた。
「どうした?」
レオンが顔を上げた瞬間。
「うわっ……!」
思わず声が漏れた。
目の前で通路が途切れていた。
いや、途切れているという表現では足りない。
大地そのものが抉り取られたかのように、巨大な穴がぽっかりと口を開けていた。
レイが無言でランタンを下へ向ける。
灯りは暗闇の中へ吸い込まれていき――それきりだった。
底が見えない。
どこまで続いているのかも分からない。
「……なんだこれ」
アッシュが眉をひそめる。
ユージンも眼鏡の奥の目を険しくした。
「かなり深いですね……」
レオンは慎重に穴の縁へ近づき、恐る恐る覗き込む。
見えるのは、ただ闇。
世界の底へ繋がっているのではないかと思うほど、不気味で底知れない暗黒だった。
「……ケンジャ。もしかしてここを降りるのか?」
ユージンの背中の鞄が、もぞもぞと動く。
ひょこっと顔を出したケンジャは、穴を一瞥すると、あっさり頷いた。
「あぁ。ここ以外、道がなかったろ?」
「……」
「……」
「……」
「……」
重苦しい沈黙が流れる。
レイが壁際へランタンを向けた。
「……一応、道はあります」
照らされた先には、岩壁に沿うように細い足場が続いていた。
幅は人一人がやっと通れる程度。
一歩踏み外せば、そのまま闇の底へ真っ逆さまだ。
ユージンが乾いた笑みを浮かべた。
「……魔物に襲われたら、ひとたまりもありませんね」
「だな」
アッシュも真顔で頷く。
再び沈黙。
そして。
ゆっくりと。
全員の視線が、一斉にケンジャへ向いた。
「……?」
嫌な予感。
ケンジャの頬がぴくりと引き攣る。
ヒルデが淡々と頷いた。
「準備できた」
「おーし。ゆっくり降ろすぞー」
アッシュがロープを手に笑う。
「……え?」
ギシ……
ギシ……
縄の擦れる音。
ゆっくりと穴の中へ伸びていく一本のロープ。
その先には――
「ちょっ!? 待っ――!?」
ぐるぐる巻きにされたケンジャがぶら下がっていた。
完全に荷物扱いである。
ユージンとレイは申し訳なさそうに視線を逸らした。
「ご、ごめんねケンジャ……」
「すみません……一番軽いので……」
「いや理屈は分かるけどさぁ!?」
じわじわと闇へ飲み込まれていくケンジャ。
その表情は、次第に虚ろになっていった。
(……え?)
(……嘘でしょ?)
(俺、賢者だよ?)
(人類の叡智だよ?)
(それが今……)
(荷物!?)
(荷物扱い!?)
数百年という長い時を生きてきた賢者の心が、静かに傷つく。
しばらくして、下の方からケンジャの声が聞こえてきた。
「おーい、ケンジャー! 魔物は居そうかー?」
レオンの声だった。
ケンジャは無表情のまま答える。
「う~ん……大丈夫~……」
一拍置いて。
「悪魔しか居ないよ~……」
「お、なんか言ってるぞ」
「元気そうだな」
「良かったですね」
「安心した」
「誰も心配してねぇ!!」
ケンジャの絶叫が洞窟に虚しく反響した。
やがてロープが引き上げられ、涙目になったケンジャをユージンがそっと鞄へ戻す。
「ほんとごめんね……」
「……覚えてろよ」
「物騒だな」
レオンが苦笑した。
しかし、その笑みもすぐに消える。
全員の視線が再び奈落へ向けられた。
岩壁沿いに続く細い足場。
底知れぬ闇。
下から吹き上がる冷たい風が、不気味な唸り声のように耳を撫でる。
アッシュが先頭に立ち、腰の剣を確かめた。
「落ちんなよ、お前ら」
「そっちこそ」
レオンが小さく笑う。
その後ろにレイ、ユージン、ヒルデが続く。
ランタンの灯りだけを頼りに。
五人と一匹――いや、一人の賢者は。
奈落の縁をなぞるように、一歩ずつ慎重に闇の底へと降り始めた。
そして誰も知らない。
この先で待つものが、彼らの想像を遥かに超える存在であることを――。




