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上陸

――数日後。

船はなおも大海原を進み続けていた。

空は青い。

海も青い。

雲一つない晴天が広がっている。

出航したばかりの頃なら誰もが感嘆の声を漏らしていただろう。

だが今となっては違う。

誰も空を見上げない。

誰も海を眺めない。

耳に入るのは単調な波音だけ。

寄せては返す波。

船底を叩く水音。

絶え間なく続く揺れ。

それらは少しずつ、確実に人の精神を削っていく。

甲板の隅に腰掛けていたレオンは、小さく息を吐いた。

「……はぁ」

何度目かも分からないため息だった。

その時。

「……レオン、食事をお持ちしました」

静かな声が聞こえる。

振り返ると、レイが小さな袋を抱えて立っていた。

「ありがとう」

受け取ろうとして、レオンの手が止まる。

袋の中に入っていたのは乾パンだった。

それもかなり年季の入った代物だ。

黒ずんでいる。

ひび割れている。

妙に湿気を吸っている。

出航の日に振る舞われた豪華な料理を思い出すと涙が出そうになる。

レオンはしばらく無言で見つめ――

「……蛆が湧いてるな」

ぽつりと呟いた。

乾パンの隙間から顔を出していた白い虫を指先で摘み上げる。

そのまま海へ放る。

小さな水音が聞こえた。

そして何事もなかったかのように乾パンを齧る。

ガリッ。

石でも噛んだかのような硬さだった。

味もしない。

口の中の水分だけが奪われていく。

「……まずい」

「今さらですね」

レイが即答した。

レオンは反論できなかった。

周囲へ視線を向ける。

船員たちも似たようなものだった。

壁にもたれかかりながら干し肉を齧る者。

甲板に寝転がっている者。

ぼんやり海を眺めている者。

誰もが疲れ切っていた。

伸びた髭。

乱れた髪。

目の下の隈。

波が大きく揺れるたびに誰かが小さく呻き声を漏らす。

長い航海だった。

想像以上に。

「……いつになったら着くんだ」

レオンは呟く。

誰も答えない。

もはや全員が同じことを考えていたからだ。

そんな時だった。

見張り台の上。

望遠鏡を覗いていたウェルフの身体がぴたりと止まる。

「……っ」

次の瞬間。

甲板中に響き渡る大声が炸裂した。

「見えたぞーーーッ!!」

その声に全員が反応する。

死んでいたような船員たちの目が一斉に見張り台へ向いた。

「島だァァァッ!!」

その言葉を聞いた瞬間だった。

甲板の空気が一変する。

「なに!?」

「本当か!?」

「やっとかよ!!」

船員たちが立ち上がる。

レオン達も慌てて船縁へ駆け寄った。

ウェルフが指差す先。

水平線の向こう。

霞の中に――確かに影があった。

「……!」

最初は小さな黒い点にしか見えなかった。

だが船が進むにつれ、その輪郭は徐々に鮮明になっていく。

深い緑。

切り立った岩壁。

空へ向かって伸びる巨大な断崖。

島だった。

間違いなく。

「見えてきましたね……」

レイが小さく呟く。

その横でユージンも安堵したように笑った。

船員たちから歓声が上がる。

「着いた……」

「助かった……」

「もう船は嫌だ……」

「酒だ……」

「飯だ……」

「ベッドだ……」

「最後だけ欲望が隠れてねぇぞ」

ウェルフが笑う。

だがその笑い声さえ、どこか疲れていた。

それでも。

全員の顔には久しぶりに生気が戻っていた。

船はゆっくりと速度を落としていく。

やがて島の近海へ到達すると、ウェルフが大きく腕を振り上げた。

「錨を下ろせぇッ!!」

号令が飛ぶ。

船員たちが一斉に動き出した。

重い鎖が軋む音。

巨大な錨が海へ沈んでいく。

ガラガラガラ――。

やがて船体が大きく揺れた。

続いて陸へ渡るための板が設置される。

「降りるぞ」

ウェルフが振り返る。

レオン達は荷物を持ち、それぞれ船を降りていった。

そして――

久しぶりの大地に足を付ける。

その瞬間。

「……っ」

レオンの身体がぐらりと揺れた。

思わず一歩よろける。

「うおっ……」

地面が揺れている。

そう錯覚した。

しかし違う。

揺れているのは自分の感覚だ。

何日も船の上で過ごしたせいで身体がまだ波の動きを覚えている。

平衡感覚が完全に狂っていた。

「大丈夫ですか?」

レイが心配そうに声を掛ける。

「……なんとか」

苦笑しながら答えるレオン。

すると今度は隣で。

「……っ」

ユージンの身体がぐらりと傾いた。

「おっと」

レオンが咄嗟に肩を支える。

ユージンは恥ずかしそうに笑った。

「はは……」

「まだ揺れてる感じがするよ」

「俺もだ」

レオンは苦笑する。

そしてゆっくりと顔を上げた。

潮の香りを含んだ風が吹く。

聞き慣れない鳥の鳴き声。

遠くから聞こえてくる人々の話し声。

そのどれもが新鮮だった。

目の前には見知らぬ島が広がっている。

未知の土地。

未知の文化。

未知の出会い。

そして――未知の冒険。

レオンは静かに呟いた。

「……遂に来たな」

誰も答えなかった。

だが全員が同じ気持ちだった。

長い旅路の果てに辿り着いた場所。

ここから新たな物語が始まる。

亜人の国。

海の向こうの楽園。

リュクシア。

彼らはまだ知らない。

この島で待ち受ける出会いと運命が、自分たちの未来を大きく変えることになるのを。

新たな旅の幕が、今まさに上がろうとしていた。

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