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行き先

甲板へ出た瞬間、潮の香りを含んだ風がレオンの頬を撫でた。

大きく息を吸い込めば、どこまでも広がる海の匂いが肺の奥まで満ちていく。

振り返る。

つい先ほどまでいたゼルガリアの港は、すでに遠く後方へと離れていた。

賑やかな街並みも今では小さな影に過ぎず、船が進むたびに輪郭は曖昧になっていく。

やがてそれすらも青の彼方へ溶けるように消えていった。

残されたのは――海。

どこまでも続く蒼。

空と海の境界すら分からなくなるほど広大な世界が、視界いっぱいに広がっていた。

「……すごいな」

思わず漏れたレオンの言葉は、風に乗って消えていく。

隣ではユージンが穏やかに目を細めていた。

その表情はどこか安堵しているようにも見える。

ヒルデは手すりに身を預け、銀色の髪を風になびかせながら空を見上げている。

アッシュは腕を組み、

「これだよなぁ」

とでも言いたげに鼻を鳴らした。

レイはそんな仲間達の様子を見ながら、静かに海を見つめている。

穏やかな風が帆を大きく膨らませた。

頭上では海鳥が鳴き声を響かせながら円を描いている。

平和だった。

つい数日前まで巨大な魔物との戦いに身を投じていたとは思えないほどに。

その時だった。

水面が不意に煌めく。

ぱしゃり、と小さな音。

次の瞬間、無数の魚が群れをなして海面から飛び出した。

太陽の光を受けた鱗が宝石のように輝き、銀色の軌跡を描いて再び海へと消えていく。

「……綺麗です」

レイが感嘆の息を漏らした。

そして小さく微笑む。

「平和、ですね」

「あぁ」

アッシュも海を眺めながら頷いた。

「数日前まで戦場だったなんて信じられねぇくらいにな」

誰もが同じ気持ちだった。

束の間とはいえ、こうして穏やかな時間を過ごせていることがどこか嬉しかった。

そんな空気を破るように、低い声が横から飛んできた。

「ん?」

全員が振り向く。

そこには船員の一人――ウェルフがいた。

荷物を運んでいたらしい彼は、レオン達の横を通り過ぎようとしていたが、何かを思い出したように足を止める。

そしてユージンの足元に置かれていた鞄へ視線を向けた。

「……そろそろ出してやってもいいんじゃねぇか?」

「え?」

ユージンが目を瞬かせる。

その直後だった。

――もぞ。

鞄が揺れた。

全員の視線が一斉に集まる。

もぞもぞ。

さらに揺れる。

レオンの頬が引きつった。

「……まさか」

嫌な予感が脳裏をよぎる。

ぱたん。

留め具が勝手に外れた。

次の瞬間。

「ぷはぁぁぁぁぁっ!!」

勢いよく飛び出した小さな影が甲板へ着地する。

ころりと一回転したあと、ぐいっと身体を伸ばし、大きく背伸びをした。

「狭かったのじゃぁぁぁぁ……!」

ケンジャだった。

しばし沈黙。

風の音だけが響く。

「…………」

「…………」

「…………」

そして。

「なんだ、精霊と一緒だったのか」

最初に口を開いたのはウェルフだった。

驚く様子は微塵もない。

「あ?」

今度はレオン達の方が驚く番だった。

ウェルフは不思議そうに首を傾げる。

「訳ありみてぇだったから黙ってたが」

「……最初から気づいてたのか?」

レオンが呆れたように尋ねる。

するとウェルフは鼻で笑った。

「当たり前だろ」

そう言って自分の鼻を指差す。

「狼人の鼻をなめるなよ?」

「あ……」

ユージンが納得したように声を漏らす。

確かに獣人の嗅覚なら誤魔化せるはずがない。

だが、それならば――

「魔物がいるのに驚かないんだな」

ユージンの問いに、ウェルフは肩を竦めた。

「あぁ?」

まるで当然のことを聞かれたかのような反応だった。

「あんたらの国じゃ珍しいんだろうがな」

ウェルフは海を見ながら続ける。

「リュクシアじゃ、友好的な魔物なんて別に珍しくもねぇ」

「……!」

レオンが目を見開いた。

「それって……」

「あんた、リュクシア出身なのか?」

問いかけると、ウェルフは呆れたように笑う。

「おいおい」

そして盛大にため息を吐いた。

「お前、何も知らねぇでリュクシア行こうとしてんのか?」

「うっ……」

図星だった。

レオンは返す言葉を失う。

その様子にアッシュが吹き出し、ヒルデも小さく肩を震わせる。

ウェルフはやれやれと首を振った。

「ゼルガリアにいる亜人の大半はリュクシア出身なんだよ」

風が少しだけ強く吹く。

帆が大きく鳴った。

「辺境の島から出て一旗上げようって奴もいる。家族のために稼ぎに来てる奴もいる。単純に外の世界に憧れて旅してる奴もな」

「なるほどな」

アッシュが腕を組みながら頷く。

「だからゼルガリアには亜人が多かったのか」

「そういうこった」

そこでレイがおずおずと手を挙げた。

「あの……」

「ん?」

「リュクシアとは、どのような国なのでしょうか?」

その問いにウェルフは少し考え込む。

そして海の彼方を見ながら口を開いた。

「まぁ簡単に言えば、リヴァリアの保護下にある加盟国だな」

「保護下……」

「基本的には他国との関わりを避けてる」

そこでウェルフの声音がわずかに低くなった。

「理由は魔石だ」

空気が少しだけ引き締まる。

「魔石?」

「そうだ。どこの国だって欲しがる」

ウェルフは苦笑した。

「だが、その魔石を一番多く産出するのがリュクシアなんだよ」

誰も口を挟まない。

「ほぼ独占状態だ。だから狙われる」

風が吹く。

遠くで波が砕ける音が聞こえた。

「放っときゃ国ごと食い潰される可能性だってある」

「……」

「だから条件付きで各国に魔石を流してる。その代わり、リヴァリアに守ってもらってるってわけだ」

レオン達は黙って耳を傾けていた。

これから向かう国の話。

まだ見ぬ土地の話。

知らない世界の話。

ウェルフは話を締めくくるように肩を竦めた。

「まぁ、そんなところだな」

そして何気なく付け加える。

「ここからなら半月もありゃ着く」

「……は?」

レオンの間の抜けた声が響いた。

「半月?」

「長ぇな!?」

アッシュも思わず声を上げる。

ウェルフは腹を抱えて笑った。

「海をなめんなよ」

その笑い声が甲板に響く。

レオン達は顔を見合わせた。

そして再び海へ視線を向ける。

果てしなく続く水平線。

その向こうには――

リュクシア。

亜人達の故郷。

豊富な魔石を抱え、世界から狙われながらも生き続ける国。

まだ見ぬ景色。

まだ知らぬ出会い。

そして、新たな冒険が待っている。

船は風を受けながら進む。

広大な海原を越えて。

彼らを、次なる舞台へと運ぶために。

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