静かな朝⓶
薄暗い一室だった。
窓から差し込む朝の光が細い筋となって床を照らし、部屋の中に静かな陰影を落としている。
その中央で、ディルクは腕を組んだまま黙って話を聞いていた。
向かいに立つユージンはいつもの冷静な口調を崩さず、これまでの経緯を一つひとつ説明していく。
レオン達が旅を続ける理由。
魔鉱岩の存在。
そして――ケンジャという、常識では測れない存在について。
話し終えると、部屋には重い沈黙が落ちた。
誰も口を開かない。
ディルクはしばらく目を閉じて考え込み、やがて低く唸るように息を漏らした。
「ふむ……」
その声音には困惑と警戒、そしてわずかな興味が混じっていた。
「もしそれが事実なら……そいつは王国が厳重に保護すべき存在になるな」
ゆっくりと視線が動く。
その先にいたのは、壁にもたれながら退屈そうに欠伸を噛み殺しているケンジャだった。
「どのみち魔物が国内を自由に歩き回れるはずもない」
鋭い視線がケンジャを射抜く。
それは敵意ではない。
だが、信頼とも程遠い。
魔獣を見定める召喚士の目だった。
部屋の空気がぴんと張り詰める。
レオンは一歩前へ出た。
「こいつは必要なんだ」
迷いのない声。
ディルクを真っ直ぐ見据える。
「魔鉱岩を取りに行くために」
一瞬言葉を切り、静かに頭を下げた。
「頼む。このことは黙っていてほしい」
再び沈黙。
重苦しい空気が流れる。
数秒だったのか、それとももっと長かったのか。
誰にも分からない。
やがてディルクは小さく息を吐いた。
「……仕方ない」
その一言に、張り詰めていた空気がわずかに緩む。
ディルクはケンジャへ視線を向けたまま続けた。
「そいつは私の契約魔獣として国に登録してやる」
あまりにもあっさりと言われた言葉だった。
だが、その判断がどれほど危険なものか、この場にいる誰もが理解していた。
「貴様らで責任を持って管理しろ」
レオンの目が僅かに見開く。
「教官……」
ユージンはすぐさま一歩前へ出た。
「ありがとうございます!」
深々と頭を下げる。
ディルクは面倒そうに手を振った。
「礼はいい。問題を起こすなよ」
その横で。
当の本人――いや本魔物は頬をぽりぽりと掻いていた。
「いやぁ……なんか俺、捨て犬が拾われたみたいな扱いされてません?」
場違いな一言だった。
一瞬の静寂。
そしてユージンが呆れた顔をし、レオンも思わず肩の力を抜く。
張り詰めていた空気は、その一言で少しだけ和らいだ。
◇◇◇
隣の部屋は静寂に包まれていた。
窓から差し込む柔らかな光が、白いシーツの上を照らしている。
ベッドの上ではミレアが静かに眠っていた。
規則正しい呼吸。
だが、その表情には未だ疲労の色が濃く残っている。
その傍ら。
一脚の椅子に腰掛けたニクスは、じっと彼女を見つめていた。
「……無茶しやがって」
ぽつりと漏れる言葉。
視線が落ちる。
膝の上で握り締められた拳。
その指先は微かに震えていた。
あの時の光景が脳裏から離れない。
仲間を守るために限界を超えたミレアの姿。
消えそうなほど弱々しかった呼吸。
失うかもしれないという恐怖。
それらが今も胸の奥に残っていた。
その時だった。
「ニクスにだけは……言われたくないな……」
かすれた声が静寂を破る。
ニクスの肩が大きく跳ねた。
「っ!」
勢いよく顔を上げる。
ベッドの上。
ミレアの瞼がゆっくりと開いていた。
まだ焦点は定まっていない。
それでも確かに意識は戻っている。
ミレアは弱々しく微笑むと、そっと左手を布団の外へ伸ばした。
細い指先がニクスの手に触れる。
温かい。
生きている。
その事実だけで胸が熱くなった。
「ミレア!」
ニクスが思わず身を乗り出した。
すると。
その声に反応したかのように扉が勢いよく開く。
「起きたか!」
飛び込んできたのはアッシュだった。
後ろにはリシェルの姿もある。
アッシュはベッドの傍まで来ると腕を組み、いつものようにぶっきらぼうに言った。
「……心配したじゃねぇか」
だが、その瞳には隠しきれない安堵が浮かんでいた。
リシェルも胸に手を当て、小さく息を吐く。
「本当に……よかった」
その声は心の底からのものだった。
ミレアは三人の顔を順番に見つめる。
そして少しだけ申し訳なさそうに笑った。
「みんな……心配させて、ごめん……」
まだ声に力はない。
けれど、その言葉は確かに届いた。
しばらく沈黙が流れた後、ミレアはふと思い出したように尋ねる。
「他のみんなは……? あの後、どうなったの……?」
アッシュが答える。
「全員無事だ」
短く。
だが力強く。
「お前とレオン達のお陰でな」
その言葉を聞いた瞬間。
ミレアの表情がゆっくりと緩んだ。
肩から力が抜ける。
「そっか……」
安堵の息が漏れる。
「よかった……」
本当に、それだけだった。
けれどその一言には、仲間を想う彼女の全てが込められていた。
誰も何も言わなかった。
言葉は必要なかった。
生きて再び顔を合わせられた。
それだけで十分だったからだ。
穏やかな陽光が差し込む病室。
張り詰めていた戦いの日々が嘘だったかのように、そこには静かな平穏が戻っていた。




