静かな朝
見知らぬ天井だった。
ゆっくりと瞼を開く。
視界に映ったのは白い天井と、窓から差し込む柔らかな朝の光だった。
しばらくの間、レオンは何も考えずに天井を見つめていた。
意識は徐々に覚醒していく。
そして――。
(……生きてる)
その事実を認識した瞬間、昨夜の記憶が脳裏を駆け巡った。
押し寄せる魔物の群れ。
大地を揺らす轟音。
空を裂く閃光。
命を懸けた死闘。
そして最後に放った一撃。
どれも鮮烈な記憶のはずなのに、こうして静かな朝を迎えていると、まるで遠い夢の出来事だったかのように感じられる。
レオンはゆっくりと顔を横へ向けた。
窓の向こうにはゼルガリアの街並みが広がっている。
街のあちこちにはまだ戦いの爪痕が残っていた。
崩れた建物。
積み上げられた瓦礫。
しかし同時に、人々は前を向いて動いていた。
瓦礫を運ぶ者。
壊れた家を修復する者。
負傷者の手当てをする者。
失われた日常を取り戻そうと、誰もが懸命に働いている。
その光景を見て、レオンは小さく息を吐いた。
戦いは終わったのだ。
「目が覚めたかい?」
穏やかな声が聞こえた。
聞き慣れた声にレオンが振り向く。
そこにいたのはユージンだった。
椅子に腰掛け、相変わらずの優しい笑みを浮かべている。
「あぁ……」
返事をしようとした、その時だった。
ユージンの隣にいる存在が目に入る。
至近距離。
異様なほど近い距離。
じーっと。
まるで珍しい生き物でも観察するかのように、こちらを凝視している。
「うぉおっ!?」
思わず飛び起きかけるレオン。
その相手は――ケンジャだった。
ケンジャはレオンの反応など気にした様子もなく、顎に手を添えながら考え込んでいる。
「……ふむ」
何かを分析するような声。
「どうしたの? ケンジャ?」
ユージンが首を傾げる。
「……!」
ケンジャが僅かに肩を震わせた。
一瞬だけ何かを口にしかける。
しかし。
「……いや、別に?」
そう言って視線を逸らした。
明らかに何かを考えていた。
だが追及する前に――。
ガチャリ。
部屋の扉が開く。
「おぉ……起きたか」
最初に入ってきたのはアッシュだった。
その後ろからヒルデ。
そして最後にディルクが姿を現す。
三人の姿を見て、レオンは少しだけ肩の力を抜いた。
「調子はどうだ、レオン」
ヒルデが腕を組みながら尋ねる。
レオンは軽く肩や腕を動かしてみた。
まだ全身に鈍い痛みは残っている。
だが動けないほどではない。
「……大丈夫だ」
「本当?」
ユージンが半眼になる。
「まぁ少し痛むけどな」
「その少しが問題なんだけどね」
呆れたようにユージンは肩をすくめた。
「身体の傷は治療しておいたけど、魔力の消耗まではすぐには戻らないんだ。しばらくは安静にしててよ?」
「分かったよ」
珍しく素直に頷くレオン。
その様子にユージンは少し安心したようだった。
するとディルクが一歩前へ出る。
歴戦の召喚士はレオンたちを見渡し、静かに口を開いた。
「……今回は本当に助かった」
短い言葉。
だが、その声には確かな重みがあった。
ゼルガリアを守り切れたのは、間違いなくレオンたちの力があったからだ。
ディルクは小さく目を細める。
「礼を言う」
レオンたちは顔を見合わせた。
まさかディルクからそんな言葉が出るとは思っていなかったのだ。
しかしディルクはすぐに表情を引き締める。
「ところで――」
一拍置く。
「お前たちは何故ここにいた?」
当然の疑問だった。
本来、彼らはこの街にいるはずの人間ではない。
レオンとユージンは互いに顔を見合わせる。
「……説明するよ」
そう言ってユージンが前に出た。
シンの負傷。
治療に必要な魔鉱岩。
リュクシアへ向かう理由。
道中で起きた出来事。
そしてケンジャとの出会い。
ユージンは順を追って説明していく。
ディルクは一度も口を挟まず、黙って聞いていた。
やがて話が終わると、腕を組みながら小さく唸る。
「……なるほどな」
その視線がレオンたちへ向けられる。
「ファルガからは鉱石採掘の件しか聞いていなかった」
ディルクはため息混じりに続けた。
「まさか目的地がリュクシアだったとはな」
「僕たちもまさかこんなことになるとは思ってなかったよ」
ユージンが苦笑する。
「本当に、運が良いのか悪いのか……」
部屋に短い沈黙が落ちた。
誰もが昨夜の激戦を思い返していた。
まだ戦場の空気が身体の奥に残っている。
その時だった。
ディルクの視線がゆっくりと横へ移る。
「……それで?」
低い声。
「そこにいるのは何だ?」
全員の視線が一斉に向く。
その先にいたのは――。
当然のように部屋に馴染み、当然のようにそこへ立っているケンジャだった。
「……あ」
レオンの口から間の抜けた声が漏れる。
忘れていた。
完全に。
一番説明しなければならない存在を。
どう説明する?
何と説明する?
部屋の空気が一瞬で固まった。
ユージンが小さく息を吸い込む。
「……彼はケンジャ」
慎重に言葉を選びながら口を開く。
「僕たちが道中で出会った……その、特別な存在です」
曖昧な説明だった。
だが他に言いようがない。
視線がケンジャへ集中する。
当の本人は相変わらず無表情だった。
しかし、その瞳だけは違う。
まるでこの場にいながら、この場ではないどこか遠くを見つめているような――。
そんな不思議な色を宿していた。
窓の外では復興作業に励む人々の声が聞こえる。
戦いを乗り越えた街に、新しい朝が訪れていた。
だが同時に。
レオンたちの旅もまた、新たな局面へと進もうとしていた。




