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森の中

森の中は、異様なほど静まり返っていた。

 木々の隙間を吹き抜ける風だけが、ざわりと葉を揺らし、その音だけが耳に残る。

 ニクスは眉をひそめながら足を止めた。

「……変だな」

 視線の先。

 地面が大きく抉れている。

 まるで巨大な何かが叩きつけられたかのような跡だった。

 さらに周囲へ目を向ける。

 木々には深く刻まれた爪痕が残り、別の場所では太い幹が黒く焼け焦げていた。

「戦闘痕……ですね」

 ミレアが静かに呟く。

 しかも一箇所ではない。

 見渡す限り、あちこちに同じような痕跡が散らばっていた。

 リシェルも周囲を見回しながら口を開く。

「……王都から、そんなに離れていない」

 短い言葉だったが、その意味は重い。

 ゼルガリア王都近郊。

 本来であれば人や魔物の動きは厳しく管理されている地域だ。

 そこでこれほど大規模な戦闘が起きていた。

 それだけで異常事態と言えた。

 ニクスは舌打ち混じりに周囲へ視線を巡らせる。

「それだけじゃねぇ」

 二人が顔を向ける。

 ニクスは険しい表情のまま続けた。

「静かすぎる」

 鳥のさえずりは聞こえない。

 虫の羽音すらない。

 森であるにも関わらず、生き物の気配がまるで存在しなかった。

 その不自然さを、三人とも理解していた。

「……探知します」

 ミレアが一歩前へ出る。

 目を閉じ、静かに片手をかざした。

 淡い魔力が指先から広がる。

 波紋のように森の奥へと溶け込み、周囲を探っていく。

 数秒。

 やがて――

「……!」

 ミレアが勢いよく目を開いた。

「この先に魔力反応があります……!」

 その声には緊張が滲んでいた。

「反応は二つ。一つは非常に大きいです……おそらく魔物」

 ニクスとリシェルが視線を交わす。

 言葉はいらなかった。

「……行くぞ」

「うん」

 三人は同時に地面を蹴った。

 ミレアの示した方向へ一直線に駆け出す。

 ――その少し先。

 森の中を、一つの小さな影が必死に走っていた。

「はぁ……っ、はぁ……っ……!」

 兎の亜人だった。

 長い耳を揺らしながら、荒い息を吐く。

 その腕には細長い包みが抱えられている。

 傷だらけの身体で、それだけは決して落とすまいと強く抱き締めていた。

 だが。

 背後から迫る気配は容赦なく距離を詰めてくる。

 ――バキィッ!!

 大木がへし折れる音。

 地面を震わせる重い足音。

 背筋を凍らせる殺気。

「っ……!」

 振り返る余裕などない。

 ただ前へ。

 ただ逃げる。

 しかし疲労は既に限界だった。

「きゃっ――!?」

 足がもつれた。

 身体が大きく傾き、そのまま地面へ投げ出される。

 土と落ち葉が舞った。

「あっ……!」

 腕から包みが離れる。

 ころころと転がり、少し離れた場所で止まった。

 兎の亜人は必死に手を伸ばす。

 あと少し。

 指先が届く。

 その瞬間――

 視界が暗くなった。

 巨大な影が覆い被さる。

 恐る恐る顔を上げる。

 そこにいたのは。

 巨大な蜘蛛だった。

 黒々とした外殻。

 不気味に光る複眼。

 鋭い牙の先からは粘ついた液体が滴っている。

 逃げ場はない。

 身体が動かない。

 喉も声を失っていた。

 脳裏に浮かぶのは、ただ一つ。

 ――死。

 その言葉が頭を過った瞬間だった。

 轟音が森を裂いた。

 ――ゴォォォォッ!!

 灼熱の炎が一直線に駆け抜ける。

 次の瞬間。

 巨大蜘蛛の身体が爆炎に呑み込まれた。

 激しく燃え上がり、断末魔を上げる暇すらなく焼き尽くされる。

 黒い身体は炭となって崩れ落ちた。

 残ったのは焦げた臭いだけ。

 静寂が戻る。

「……なんでこんなとこまで魔物が出てるんだよ」

 聞き慣れない声に、兎の亜人は顔を上げた。

 そこには三人の人影が立っていた。

 先頭を歩く赤髪の少年。

 その後ろには青髪の少女と、銀髪の少女。

 ニクスは焼け焦げた魔物の死骸を見下ろしながら肩を竦める。

「面倒なことになってんな」

「……戦争の影響」

 リシェルが短く答えた。

「生息地を追われた魔物が、ここまで流れてきた」

「その可能性は高いと思います……」

 ミレアも頷く。

 兎の亜人はその言葉を聞いて、はっと我に返った。

「っ!」

 慌てて立ち上がる。

 転がっていた包みへ駆け寄り、震える手で紐を解いた。

 中から現れたのは一本の剣。

 それを掴み取ると、三人へ向けて構える。

「……っ……!」

 だが剣先は揺れていた。

 手も震えている。

 腰も引けていた。

 まともな戦闘経験などないことは一目で分かる。

 それでも彼女は剣を下ろさなかった。

 守らなければならない何かがあるのだろう。

 ニクスはその様子を見て、小さくため息を吐いた。

「おいおい……」

 そして両手を上げる。

「安心しろ」

 敵意がないことを示すように。

「別にあんたを襲うつもりはねぇよ」

 ミレアが前へ出た。

 警戒心を刺激しないよう、穏やかな声で語りかける。

「私たちはゼルガリアからの救援要請を受けて来ました」

 一拍置く。

「ルミナリア王国魔法学園の生徒です」

 真っ直ぐに相手を見つめる。

「……民間の方、ですよね?」

 兎の亜人は三人を見つめ返した。

 服装。

 身に纏う雰囲気。

 そして胸元に刻まれた紋章。

 どこかで見た記憶があった。

 いや――違う。

 見たのではない。

 知っている。

 彼女の脳裏に、一人の少年の姿が浮かんだ。

 震える唇がゆっくりと動く。

「……その服……」

 三人が顔を見合わせる。

 兎の亜人は信じられないものを見るような目で呟いた。

「……レオンさんと……同じ……」

 その瞬間。

 三人の表情が変わった。

 思いもよらない名前が、この森の奥で告げられたのだった。

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