ファルガの紹介
朝の空気は、やけに澄んでいた。
吐き出した息が白くなるほどではない。だが肌を撫でる風には、どこか張り詰めた冷たさがあった。
ルミナリアの街並みはいつもと変わらない。
石造りの建物。朝支度を始める商人たち。遠くから聞こえる鐘の音。
それなのに――今日は妙に遠く感じる。
石畳を踏みしめる足音だけが、不自然なほど耳に響いていた。
「……ここで合ってるんですよね?」
周囲を見渡しながら、レイが小さく呟く。
城下の賑わいから少し離れた裏通り。
人通りも少なく、朝だというのに妙に静かだった。
「うん。ファルガさんの指定だ。間違いない」
隣を歩くユージンが静かに答える。
その声にも、どこか硬さが混じっていた。
レオンは前を見据えたまま歩く。
その後ろをアッシュが腕を組んで続き、ユージンの肩掛け鞄からは、時折もぞもぞとケンジャが動く気配がしていた。
誰も無駄口を叩かない。
その時だった。
「……来たか」
低く落ち着いた声が、静寂を裂く。
全員の視線が一斉に向く。
通りの奥。
古びた石壁にもたれるように、一人の女性が立っていた。
長い髪が朝風に揺れる。
鋭い眼差し。
隙のない立ち姿。
ただそこにいるだけで、周囲の空気が引き締まるような存在感だった。
「……あんただったか」
アッシュがわずかに目を細める。
女性――ヒルデは、静かに壁から背を離した。
「しばらくだな」
淡々とした声。
だが、その奥には微かに感情が滲んでいた。
ヒルデの視線が、ゆっくりとレオンたちへ向けられる。
「……君らが、シンの友人だね」
一瞬、空気が止まる。
誰もすぐには答えられなかった。
シンの名を聞くだけで、胸の奥に重いものが落ちる。
「……ああ」
短く返したのはレオンだった。
ヒルデは僅かに目を伏せる。
「彼の件には……私も責任がある」
静かな声だった。
だが、その一言は決して軽くない。
言い訳も誤魔化しもない。
ただ事実として、自分の責任を受け止めている声だった。
「宜しく頼む」
頭を下げるわけでもない。
それでも、その言葉には十分すぎるほどの重みがあった。
レイは唇を噛み締め、アッシュは気まずそうに視線を逸らす。
ユージンだけは何も言わず、静かにその空気を受け止めていた。
その中で、レオンだけが一歩前へ出る。
「……目的は同じだ」
それだけを言う。
余計な言葉はいらなかった。
シンを救いたい。
その想いだけは、ここにいる全員が同じだった。
ヒルデは小さく頷く。
「話は聞いている。向かう先はリュクシアだな」
「ああ」
「なら、時間は無駄にできない」
そう言って、ヒルデは踵を返した。
「まずはゼルガリアへ向かう。船を出すにも準備が必要だ」
その時、ユージンの鞄がごそごそと揺れる。
「船もそうだが問題はどうやって入るかだな」
ひょこりと顔を出したケンジャが、腕を組みながら言った。
ヒルデがその姿を見て、わずかに眉を動かす。
「……お前がファルガの言っていた珍獣か」
「ひどくない?」
即座に返すケンジャ。
一瞬だけ、空気が緩む。
だが、それもほんの僅かな時間だった。
これは遊びではない。
これから向かう先は未知の土地。
亜人族の国――リュクシア。
そして、その先にあるのはシンの未来を左右する希望。
魔鉱岩。
失われた足を取り戻すために必要な、唯一の可能性。
誰も、その重みを忘れてはいなかった。
「行こうか」
ヒルデが歩き出す。
レオンたちも無言でその背を追った。
振り返る者はいない。
少しずつ、ルミナリアの街並みが遠ざかっていく。
レオンは静かに前を見据える。
その先にあるのは、まだ見ぬ海。
そして未知の国。
――亜人の島リュクシア。
その入口へ繋がる道が、今まさに開かれようとしていた。




