親子
病室の前で、レオンの足が止まった。
白い壁に囲まれた廊下は、異様なほど静かだった。窓から差し込む夕方の光だけが床を淡く照らし、誰一人として口を開こうとしない。
ここに来るまで、誰も何も聞かされていなかった。
ただ、“シンが重傷を負った”。
その事実だけを知らされ、急ぐように案内されてきた。
だが、扉の前に立った瞬間、全員がなんとなく理解してしまっていた。
この先には、見たくない現実があるのだと。
「……入るぞ」
レオンが短く告げる。
返事はなかった。
重苦しい沈黙の中、レオンはゆっくりと扉に手をかける。
静かな音を立てて、病室の扉が開いた。
最初に目に入ったのは、大きな窓だった。
白いカーテンが風に揺れ、柔らかな光が病室を満たしている。
そして、その中央。
ベッドの上に、小柄な人影があった。
「……シン」
誰かが、呟く。
ベッドにもたれていたシンが、ゆっくりと顔を上げた。
一瞬だけ、間が空く。
それから――
「……おう」
いつもと変わらない調子で笑った。
軽く手を上げ、気まずさを誤魔化すように口角を吊り上げる。
「悪ぃな。ドジっちまった」
その声は、あまりにも普段通りだった。
だからこそ。
誰もすぐには言葉を返せなかった。
視線が、自然と下へ落ちていく。
シーツに覆われた身体。
その先。
本来なら、そこにあるはずのもの。
――両足が、なかった。
途中で途切れた毛布の膨らみが、現実を容赦なく突き付けてくる。
「……は?」
かすれた声を漏らしたのはレオンだった。
ミレアは息を呑んだまま固まり、リシェルは目を見開いたまま動けない。
ニクスは奥歯を噛み締め、拳を震わせていた。
ユージンだけが静かに目を伏せる。
病室に重い沈黙が落ちた。
その空気を振り払うように、シンがわざと明るく笑う。
「そんな顔すんなって」
軽い口調。
いつもの調子。
けれど、その笑顔の奥にある痛みを、誰も見逃せなかった。
「生きてるだけマシだろ?」
冗談めかして言う声が、逆に胸を締め付ける。
誰も、何を言えばいいのかわからなかった。
――その時。
コツ、と廊下から足音が響いた。
全員が振り向く。
開いたままの扉の向こう。
そこに立っていたのは、一人の男だった。
「……」
ファルガ。
シンの父であり、ゴールドランクの剣士。
彼は何も言わない。
ただ真っ直ぐに病室へ入り、ゆっくりと歩いてくる。
その姿を見た瞬間、シンの表情がわずかに揺れた。
「……チッ」
わざとらしく舌打ちし、顔を背ける。
目を合わせようとしない。
先ほどまで無理に作っていた軽口も消えていた。
ファルガは立ち止まらない。
ベッドの横まで来ると、一瞬だけシンの失った足へ視線を落とす。
その瞳に浮かんだ感情は、誰にも読み取れなかった。
だが次の瞬間。
ファルガは無言のまま腕を伸ばした。
「――っ!?」
強く、引き寄せる。
シンの身体が、父の胸へ叩きつけられるように抱き締められた。
突然のことにシンが目を見開く。
逃げる暇もなかった。
「……バカ息子が」
低く、押し殺した声だった。
怒鳴っているわけじゃない。
責めているわけでもない。
それでも、その一言には押し潰されそうなほどの感情が詰まっていた。
「……っ……!」
シンの顔が歪む。
歯を食いしばり、必死に何かを堪えようとする。
だが――耐え切れなかった。
「……ごめ……っ……」
掠れた声が漏れる。
「……ごめん、親父……!」
震える声。
子供みたいに泣きじゃくる声だった。
ずっと無理に笑っていた感情が、一気に溢れ出す。
ファルガは何も言わない。
ただ黙ったまま、息子を抱き締め続けていた。
その姿を見て、ユージンが静かに息を吐く。
「……行こう」
小さな声だった。
誰も反論しない。
レオンは一瞬だけシンを見つめ、それから静かに背を向けた。
ミレア、ニクス、リシェルも続く。
そっと病室を後にする。
静かに扉が閉まり――部屋には二人だけが残された。
……いや。
正確には、“二人と一匹”だった。
ベッドの足元。
そこに、小さな白い影がちょこんと座っている。
ケンジャだった。
じぃーっと、真剣な目で見つめている。
シンの――無くなった足を。
「……は?」
涙を浮かべていたシンが顔を上げる。
「うわっ!? なんだこいつ!?」
今さら気付いたらしい。
ケンジャは無言のまま観察を続けていた。
興味深そうに。
まるで珍しい研究対象でも見るかのように。
「……おい」
ファルガが呆れた声を漏らす。
「空気読めよ」
ケンジャは首を傾げた。
「なぜだ?」
悪びれる様子は一切ない。
その瞬間だった。
バンッ!! と勢いよく扉が開く。
「ちょっと待てコラァ!!」
ニクスが飛び込んできた。
一目散にケンジャへ向かい、その首根っこをひっ掴む。
「勝手に入り込んでんじゃねぇよ!!」
「離せ。まだ観察の途中だ」
「うるせぇ!!」
ずるずると引きずられていく白い毛玉。
ケンジャは抵抗こそしないが、不満そうに呟く。
「未完成だな」
「何がだよ!!」
病室に騒がしい声が響く。
先ほどまでの重苦しい空気が、少しだけ和らいでいく。
その光景を見ながら。
ファルガの腕は、まだシンを離していなかった。
シンもまた、何も言わない。
ただ静かに、父の胸へ身を預け続けていた。




