表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
130/164

親子

病室の前で、レオンの足が止まった。

 白い壁に囲まれた廊下は、異様なほど静かだった。窓から差し込む夕方の光だけが床を淡く照らし、誰一人として口を開こうとしない。

 ここに来るまで、誰も何も聞かされていなかった。

 ただ、“シンが重傷を負った”。

 その事実だけを知らされ、急ぐように案内されてきた。

 だが、扉の前に立った瞬間、全員がなんとなく理解してしまっていた。

 この先には、見たくない現実があるのだと。

「……入るぞ」

 レオンが短く告げる。

 返事はなかった。

 重苦しい沈黙の中、レオンはゆっくりと扉に手をかける。

 静かな音を立てて、病室の扉が開いた。

 最初に目に入ったのは、大きな窓だった。

 白いカーテンが風に揺れ、柔らかな光が病室を満たしている。

 そして、その中央。

 ベッドの上に、小柄な人影があった。

「……シン」

 誰かが、呟く。

 ベッドにもたれていたシンが、ゆっくりと顔を上げた。

 一瞬だけ、間が空く。

 それから――

「……おう」

 いつもと変わらない調子で笑った。

 軽く手を上げ、気まずさを誤魔化すように口角を吊り上げる。

「悪ぃな。ドジっちまった」

 その声は、あまりにも普段通りだった。

 だからこそ。

 誰もすぐには言葉を返せなかった。

 視線が、自然と下へ落ちていく。

 シーツに覆われた身体。

 その先。

 本来なら、そこにあるはずのもの。

 ――両足が、なかった。

 途中で途切れた毛布の膨らみが、現実を容赦なく突き付けてくる。

「……は?」

 かすれた声を漏らしたのはレオンだった。

 ミレアは息を呑んだまま固まり、リシェルは目を見開いたまま動けない。

 ニクスは奥歯を噛み締め、拳を震わせていた。

 ユージンだけが静かに目を伏せる。

 病室に重い沈黙が落ちた。

 その空気を振り払うように、シンがわざと明るく笑う。

「そんな顔すんなって」

 軽い口調。

 いつもの調子。

 けれど、その笑顔の奥にある痛みを、誰も見逃せなかった。

「生きてるだけマシだろ?」

 冗談めかして言う声が、逆に胸を締め付ける。

 誰も、何を言えばいいのかわからなかった。

 ――その時。

 コツ、と廊下から足音が響いた。

 全員が振り向く。

 開いたままの扉の向こう。

 そこに立っていたのは、一人の男だった。

「……」

 ファルガ。

 シンの父であり、ゴールドランクの剣士。

 彼は何も言わない。

 ただ真っ直ぐに病室へ入り、ゆっくりと歩いてくる。

 その姿を見た瞬間、シンの表情がわずかに揺れた。

「……チッ」

 わざとらしく舌打ちし、顔を背ける。

 目を合わせようとしない。

 先ほどまで無理に作っていた軽口も消えていた。

 ファルガは立ち止まらない。

 ベッドの横まで来ると、一瞬だけシンの失った足へ視線を落とす。

 その瞳に浮かんだ感情は、誰にも読み取れなかった。

 だが次の瞬間。

 ファルガは無言のまま腕を伸ばした。

「――っ!?」

 強く、引き寄せる。

 シンの身体が、父の胸へ叩きつけられるように抱き締められた。

 突然のことにシンが目を見開く。

 逃げる暇もなかった。

「……バカ息子が」

 低く、押し殺した声だった。

 怒鳴っているわけじゃない。

 責めているわけでもない。

 それでも、その一言には押し潰されそうなほどの感情が詰まっていた。

「……っ……!」

 シンの顔が歪む。

 歯を食いしばり、必死に何かを堪えようとする。

 だが――耐え切れなかった。

「……ごめ……っ……」

 掠れた声が漏れる。

「……ごめん、親父……!」

 震える声。

 子供みたいに泣きじゃくる声だった。

 ずっと無理に笑っていた感情が、一気に溢れ出す。

 ファルガは何も言わない。

 ただ黙ったまま、息子を抱き締め続けていた。

 その姿を見て、ユージンが静かに息を吐く。

「……行こう」

 小さな声だった。

 誰も反論しない。

 レオンは一瞬だけシンを見つめ、それから静かに背を向けた。

 ミレア、ニクス、リシェルも続く。

 そっと病室を後にする。

 静かに扉が閉まり――部屋には二人だけが残された。

 ……いや。

 正確には、“二人と一匹”だった。

 ベッドの足元。

 そこに、小さな白い影がちょこんと座っている。

 ケンジャだった。

 じぃーっと、真剣な目で見つめている。

 シンの――無くなった足を。

「……は?」

 涙を浮かべていたシンが顔を上げる。

「うわっ!? なんだこいつ!?」

 今さら気付いたらしい。

 ケンジャは無言のまま観察を続けていた。

 興味深そうに。

 まるで珍しい研究対象でも見るかのように。

「……おい」

 ファルガが呆れた声を漏らす。

「空気読めよ」

 ケンジャは首を傾げた。

「なぜだ?」

 悪びれる様子は一切ない。

 その瞬間だった。

 バンッ!! と勢いよく扉が開く。

「ちょっと待てコラァ!!」

 ニクスが飛び込んできた。

 一目散にケンジャへ向かい、その首根っこをひっ掴む。

「勝手に入り込んでんじゃねぇよ!!」

「離せ。まだ観察の途中だ」

「うるせぇ!!」

 ずるずると引きずられていく白い毛玉。

 ケンジャは抵抗こそしないが、不満そうに呟く。

「未完成だな」

「何がだよ!!」

 病室に騒がしい声が響く。

 先ほどまでの重苦しい空気が、少しだけ和らいでいく。

 その光景を見ながら。

 ファルガの腕は、まだシンを離していなかった。

 シンもまた、何も言わない。

 ただ静かに、父の胸へ身を預け続けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ