第二の人生
――……は?
思考が、そこで完全に停止した。
目の前の状況が理解できない。
いや、理解を拒んでいると言った方が正しい。
だが、数秒ほどの空白の後、意識はゆっくりと現実へ引き戻されていく。
(……待て。落ち着け)
混乱していないと言えば嘘になる。
しかし、状況そのものは認識できていた。
見知らぬ女。
その腕に抱かれている自分。
力の入らない身体。
そして、視界の端――鏡に映った、赤子の姿。
(……つまり)
一つずつ整理する。
(……死んで、生まれ変わった?)
常識で考えれば有り得ない。
有り得ないはずなのに――それ以外の説明が見つからなかった。
しばらく沈黙し。
(……まぁ、いいか)
私は、意外なほどあっさりとそれを受け入れた。
深く考えたところで答えが出るわけでもない。
ならば、今は生きるしかない。
(きっと神さまが、あまりにも哀れな私に、もう一度機会をくれたんだろう)
当時の私は、本気でそんな風に考えていた。
だからこそ決めたのだ。
――次こそは。
人生を、無駄にしないと。
それからの日々は、穏やかだった。
赤子として生まれ。
幼子となり。
少年へ成長し。
やがて大人になる。
学び。
働き。
人と関わり。
前の人生では見過ごしていた“当たり前”を、一つずつ大切に積み重ねていった。
朝の光。
温かな食事。
誰かと笑い合う時間。
そんな些細なものが、かけがえのない幸福なのだと知った。
やがて私は家庭を持った。
伴侶ができ。
子が生まれ。
その子が成長し、また新たな命へ繋がっていく。
賑やかな食卓。
絶えない笑い声。
増えていく“守りたいもの”。
幸せだった。
確かに、幸せだったのだ。
そして、長い時が流れる。
気づけば私は老人になっていた。
身体は思うように動かず、視界は霞み、声も弱々しい。
それでも――不思議と、不満は何一つなかった。
むしろ、胸の内は穏やかな充足感で満たされていた。
「……ありがとう」
ベッドの上で、私は静かに呟く。
周囲には、大勢の家族がいた。
子供たち。
孫たち。
さらにその先の世代まで。
涙を流す者。
手を握る者。
静かに祈る者。
皆が、そこにいる。
(……あぁ)
心の中で、小さく息を吐く。
(いい人生だった)
後悔はない。
あの時、終わるはずだった自分に、もう一度生きる機会を与えてくれた“何か”へ、自然と感謝が込み上げてくる。
(……神さま、か)
かすかに笑う。
(……ありがとう)
その感謝を最後に、意識はゆっくりと薄れていった。
静かに。
穏やかに。
まるで眠るように――私は死んだ。
――終わった。
そう、思った。
次に目を覚ました時。
世界は、暗かった。
冷たい空気が肌を刺す。
耳を叩くのは、激しい雨音。
どしゃ降りだった。
視界はぼやけ、身体は上手く動かない。
(……は?)
その瞬間、胸の奥に強烈な既視感が走る。
嫌な予感がした。
とても、嫌な予感が。
「……捨て子、ですか……」
低く落ち着いた声が、雨音の向こうから響く。
視界に人影が差した。
次の瞬間、ふわりと身体が持ち上げられる。
「……なんて可哀想な子でしょう」
司祭だった。
雨に濡れながらも、その男は優しくこちらを抱き上げている。
表情には、はっきりとした憐憫の色。
(……いや、待て)
理解が追いつかない。
いや、本当は理解している。
理解したくないだけだ。
そして――私は気づいてしまった。
自分の身体が、またしても小さいことに。
赤子の身体だということに。
「……はぁ!?」
叫んだ。
つもりだった。
「おぎゃあああああっ!!」
現実に出たのは、盛大な泣き声だけだった。
(いやいやいやいや待て待て待て!!)
頭の中で絶叫する。
(なんでだ!? 終わっただろ!? 今めちゃくちゃ綺麗に終わっただろ!?)
さっきの感動的な最期は何だったのか。
満ち足りた余生は。
あの完璧な締めくくりは。
(ふざけるな!!)
だが、どれだけ抗議しようと、現実の身体は赤子でしかない。
怒声も否定も、全部ただの泣き声に変換されていく。
「大丈夫ですよ、ほら……」
司祭が優しくあやす。
最悪だった。
(……嘘だろ)
呆然と呟く。
そして、理解してしまう。
これは偶然じゃない。
一度きりでもない。
終わりですらない。
――続いているのだ。
人生が。
延々と。
(……三度目かよ)
その結論に辿り着いた瞬間。
思考は静かに停止した。
――こうして私は。
三度目の人生を迎えることになった




