ケツァルコアトル 魔導書
魔導書店の扉を開けた瞬間。
空気が、わずかに変わった。
外の喧騒が嘘のように静まり返り、紙とインク、そして微かに漂う魔力の気配が空間を満たしている。
「……いい匂いだな」
ニクスが鼻を鳴らした。
「分かるのか、それ」
「なんとなくだよ。こういう場所、嫌いじゃねぇんだよ」
棚には、大小さまざまな本が整然と並んでいる。
どれも一見すると普通の書物だが――どこか“違う”。
「……全部、魔導書か」
レオンが小さく呟く。
「はい」
答えたのはミレアだった。
「魔導書は、教国が発行している特殊な書物です」
そのまま、説明を続ける。
「一線を退いた魔導士、あるいは死亡した魔導士から“魔力の一端”を抽出し、本の中に封じ込める技術で作られています」
「魔力を……本に?」
「はい。そして使用者がそれに触れ、自身の魔力を流し込むことで――」
ミレアは一冊の本に軽く手をかざす。
「その魔導書に封じられた魔法を、一時的に再現・使用することが可能になります」
「……なるほどな」
レオンは感心したように棚を見渡した。
「じゃあ、誰でも強い魔法が使えるってことか?」
「いいえ」
即答だった。
「使用できるのは、自分の適性属性に対応した魔法のみです」
「属性……」
「適性外の魔導書は反応しません。最悪の場合、魔力暴走の危険もあります」
「便利だけど万能じゃねぇってわけか」
「はい」
そのやり取りの横で――
「あ〜これも違うな」
ニクスはすでに別のことをしていた。
棚に並ぶ本へ、片っ端から手をかざしている。
まるで品定めでもするかのように。
「……何やってんだ?」
レオンが不思議そうにに聞く。
「適性チェック」
ニクスは軽く手を振る。
「反応するやつ探してんだよ。相性いい魔導書なら、ちょっとした戦力になるしな」
「そうですね」
ミレアも同じように、本へ手をかざし始めた。
二人の動きは無駄がない。
まるで作業のように、次々と棚を流していく。
レオンはそんな二人の後ろを、気のない様子でついて歩いた。
(……正直、俺にはあんまり関係ないな)
魔法を“使う”感覚が、自分にはまだ薄い。
だからこそ、どこか他人事のように見えていた。
――その時。
ふわり、と。
一冊の本が、淡く光を帯びた。
「……!」
ミレアの手の先。
棚の奥に収まっていた、やや古びた一冊。
「おい、今光ったぞ」
ニクスがすぐに食いつく。
「適性反応……なんの魔法だろ…?」
ミレアは静かにその本を取り出した。
表紙には簡素な装飾と、見慣れない術式紋様。
ゆっくりと開く。
ページに刻まれていたのは――
「……リンク魔法?」
レオンが思わず呟いた。
「へぇ、そっち系か」
ニクスが覗き込む。
その時、奥から声がかかった。
「お目が高いですね」
振り返ると、年配の店主が立っていた。
柔らかな笑みを浮かべている。
「それは少々珍しい類の魔導書でして」
「珍しい?」
ニクスが眉を上げる。
「はい。“リンク系”は、一般的な攻撃魔法とは違い、基礎に探知魔法を必要とします」
店主はゆっくりと説明する。
「対象の位置や状態を把握し、それを“繋ぐ”ことで効果を発揮する魔法です」
「……だから探知がベースなのか」
レオンが小さく呟く。
「その通りです。適性がなければ、まず扱えません」
店主の視線が、ミレアに向く。
「お嬢さんのような方には、非常に相性が良いでしょう」
ミレアは無言でページを追っていた。
術式、構造、流れ。
すべてを確認するように。
(……リンク魔法)
レオンの脳裏に、ある光景がよぎる。
――ゼルガリアでの戦い。
アルケイア軍が使用していた、連携強化の魔法。
位置情報を共有し、動きを同期させるあの戦術。
(あれと、同じ奴か……)
無意識に、表情がわずかに引き締まる。
「どうする?」
ニクスが横から聞く。
「……購入します」
ミレアは迷いなく答えた。
「判断早いな」
「有用性が高いと判断しました」
それだけだった。
店主が満足そうに頷く。
「ありがとうございます。ではこちらへ」
簡単な手続きを終え、ミレアは魔導書を受け取った。
それを大切にしまい込む。
「よし、満足したか?」
レオンが軽く言う。
「まあな。収穫ありってことで」
ニクスが肩を回す。
三人はそのまま店を後にした。
再び、外の喧騒へと戻る。
一方その頃。
剣士ギルドの奥。
静かな一室。
通信機の前に、ファルガは立っていた。
淡く光る魔法陣が、音声を伝える。
短いやり取り。
無駄のない報告。
そして――
「……あぁ」
低く、短く返す。
「……わかった」
それだけだった。
光が消える。
通信が、切れた。
沈黙。
ほんの数秒。
ファルガは動かない。
やがて。
わずかに視線を落とし――
「…………バカヤロウ」
誰に向けたのかも分からない一言が、静かに零れた。




