#53 パートさんと夜の食事
気づけばもう勤務終了の打刻をしていた。
「……ふぅ」
もう全身に泥が覆い被さったように疲れてしまった。特に夕方の納品の多さには目を丸くした。
(早く帰ろう)
そう思ってエプロンをたたんでいると、背後からドアを開ける音がした。振り返ると、増田さんだった。
「あ、神山くん。お疲れ様」
「お疲れ様です」
僕はあえて素っ気ない態度を取って急いで事務所から出ようとした。
「待って」
だけど、急に腕を掴まれてしまった。振りほどこうとしたが、不意に香ってきたパンのような甘い香りに止まってしまった。
「何ですか? 僕はその……」
「今日よかったら一緒にご飯食べない?」
まさかの食事の誘いにすぐには答えられなかった。けど、お腹が代わりにイエスと応えた。増田さんはクスッと微笑んだ。
「近くに良いお店があるの」
*
場所はスーパーから少し離れた場所にある居酒屋だった。チェーン店ではなく昔から経営している店だった。店内は昭和臭漂うポスターや常連のボトルが並んでいた。赤ら顔をした中年から老人までがやかましくカウンターを占拠していた。
僕と増田さんは奥の座敷に案内された。おばさんの従業員とは顔馴染みらしく僕を見ると「もしかして息子さん?」と聞いていた。
増田さんはすぐに「同じ職場で働いている方です」と答えると、おばさんは「へぇー! 可愛い顔してけっこう年取ってるんだね!」と褒め言葉なのか分からない事を言ってから注文を聞いた。
増田さんは梅サワー、僕はオレンジジュース、枝豆と焼き鳥を何本か頼んだ。
「ここの焼き鳥、絶品だよ。あのスーパーとは比べものにならないくらい」
増田さんは冗談混じりにそう言った。僕は「あぁ、はぁ」とフワフワした感じで返した。
わりと早く飲み物とおつまみが同時に到着して僕と増田さんは乾杯した。
「神山くんはお酒飲まないの?」
「まだ未成年なので」
「あ、あー! そっか、そっか。ごめんね」
「いえ、全然」
その後も増田さんは僕にいくつか質問したが、淡々と返しただけで特に会話が弾む事はなかった。
気まずい中、僕は焼き鳥を一口食べた。信じられないくらいおいしかった。
「どう? 絶品でしょ?」
増田さんが僕の反応に嬉しそうな顔をした。僕は相槌で返すとあっという間に食べた。もう一本行きたかったが増田さんの分を残さないといけないと思い、手を止めた。
「いいよ、いいよ! お腹ペコペコなんでしょ? じゃんじゃん食べて!」
増田さんは枝豆をつまみながら晴れやかにそう促すので、遠慮バクバク食べた。
*
それがキッカケとなって、ぼくは増田さんに話しかけるようになった。増田さんは嬉しそうに自分の事を話してくれた。
彼女はシングルマザーで小さい娘を育てていたらしいが、事故に遭って亡くなってしまったこと。最近高校二年生の姪っ子を引き取ったこと。けど、心を塞いでしまっていてうまくコミュニケーションが取れていないことなどを話した。
僕は不思議でしょうがなかった。まだ遭ってわずかな自分にこんな秘密を打ち明けてくれるなんて。
「あの、増田さん。どうしてそんな話を?」
「え?……さぁ? なんか分かんないけど、神山くんの前だと全部話しちゃうんだよね」
増田さんはそう言って三杯目の梅サワーを飲んだ。すると、身体が火照って来たのか、ワイシャツの首もとから数個ぐらい外した。その際、彼女の隠しきれない深い谷間が目に入ってしまった。思わず見てしまった。
「……あ、ごめん」
増田さんはすぐに気がついて元に戻した。また常連さんの馬鹿みたいにデカい笑い声しか聞こえなくなった。
けど、せっかく和んだのにまたズルズルと沈黙が続くのは嫌だったので僕から話しかけた。
「増田さん、あ、あの時はありがとうございました」
「ん? あの時って?」
「えっと、あの……僕がしていた時……ばったり出くわして、店長が来て、覆い被さってくれた……」
「あー! あれね」
増田さんは思い出したように何度も頷きながら一口飲んだ。
「ビックリしたよ。まさか……ねぇ」
「ごめんなさい。もう二度とあんな事はしません」
「そりゃそうだよ。でも、私で良かったね。柳さんだったら終わってたよ」
「は、はい。そうでしたね」
ふとなぜあの時処理してくれたのか気になった。
「増田さん、あの時どうして、その……手伝ってくれたんですか?」
「ん? てつだ……あぁ」
増田さんは僕が何を聞きたいのか分かったみたいで、そうねと呟いた後、枝豆を数粒食べた。
「……私も溜まってたのかな」
増田さんが真顔でそう言ったので、胸が高鳴った。増田さんと四川が合い見つめ合った。逸らしたかったが、金縛りにあったかのように動かなかった。
「……神山くんさ」
「は、はい?」
酒のせいなのか妙にねっとりとした言い方で聞いてきた。僕も酔っていないのに声が裏返ってしまった。
「この後付き合える? 寄りたい所あるんだ」
「え、はい。ぜ、ぜひ……」
「ほんと? 嬉しいなぁ」
僕の返事に増田さんは嬉しそうに枝豆を食べた。艶めかしく豆を出して口の中に入れる所作に怪しい妄想を掻き立てられた。
増田さんと一緒に居酒屋を出た。増田さんは酔いが回っているらしく、僕に寄りかかってきた。その際、彼女のたわわな胸が頭にあたって、変な気分になった。何回もフニフニあたっていると、酒を飲んでもいないのに顔が火照ってしまった。
ふと『寄りたい所があるの』という言葉を思い出した。あの時の赤らんだ顔と艶っぽい声色が脳裏を過ぎっていく。
寄りたい所ってまさか……いや、それはない。僕の勝手な妄想だ。
増田さんに聞きたかったが、あえて聞かない事にした。
「増田さん、タクシーで帰りましょう」
「……いや。まだ寄りたい所があるの」
寄りたい……またその言葉に胸がドクンと鳴った。
「二次会ですか? どこのお店がいいんですか?」
「……そこの店の角を曲がって」
増田さんに言われた通りに進んでみると、路地裏にネオンで輝いた看板をみつけた。
「あの、ここって……」
「入って」
囁くように押し付ける胸に僕の心は揺らいだ。足が勝手に動き出し、意識は朦朧し、気づけば受付から鍵をもらっていた。
そして、部屋に入室するや否や、増田さんは僕の唇を無理やり奪った。




