#52 スーパーにふさわしくない客
ギリギリ二分前に打刻を切った僕は胃の中から食べたものをぶちまけそうなほど苦しくなりながらエプロンを付けた。
すると、増田さんが事務所に入ってきた。
「……あ」
「……どうも」
また気まずい空気が流れ、僕は手早く着替えを済まして事務所を出た。増田さんとは目も合わせなかった。
大量に食べたせいと食後の猛ダッシュのせいか、何度もゲップと胃の中から込み上げてくる胃液に耐えながら作業をした。
僕の脳内では甘田店長の姿を思い浮かべていた。確かに口と店内は悪いが、料理の味と店主の容姿は素晴らしかった。おそらく二度と行きたくないのは店主の態度の他に料理のボリュームがありすぎたのだろう。
幸い僕は大食いだったからよかったが、もし普通の人が注文したら食べきれないだろう。あの店主のことだ。間違いなく残すのは許してくれない。
それにしても甘田店主の巨乳ーーいや、これ以上は考えないようにしよう。変に意識しては駄目なんだ。また訪れる時に食欲が変に誤作動を起こして食べれなくなってしまったら二度と入店を許してもらえない。
そんなのは嫌だ。あの店主とは今後とも良好な関係でいたい。
「置いてないってどういうことなの?!」
そう思っていると、どこからともなく大音声が店内に響き渡った。今日はやけに怒る人と遭遇するなと思いながら様子を付けた伺うと、精肉コーナーの近くで柳さんがクレーマーの応対をしていた。
そのクレーマーはこの庶民的なスーパーに不釣り合いなほど豪奢な格好をしていた。シックな黒のドレスにハイヒールを履いていた。白のジャケットを袖を通さずに肩にかけ、胸元にはルビーの宝石が煌めいていた。
華奢な身体だったが、谷間は深かった。美容にかなりお金を使っているのか、周りの庶民マダム達が浮き立つほど輝いていた。
血のように赤い口紅を使い、それとほぼ同じ色のネイルと両手と両足に塗っていた。黒髪のロングへアをなびかせ、大きめのサングラスを付けていた。
間違いなくセレブなのは言うまでもなかった。カゴは持っていないので、入店してすぐに精肉コーナーに向かったのだろう。
「生ハムがこれしかないってどういうこと?」
セレブは両手に二つの生ハムのパッケージを持っていた。どちらも大手メーカーから製造されたもので、庶民からしたら手に取るのを迷ってしまう所だが、彼女からしたら何の感情も抱かずにカゴに放り込めるのだろう。
「はい、あの、ですから、お客様のお求めになるようなものは当店には置いていなくて……」
柳さんはペコペコと頭を下げていた。昼休憩の時に僕を邪険に見るような怖い雰囲気は微塵もなかった。
「だったら今すぐ他の店に買いに行ってきなさい」
「いえ、あの、お客様。そういったサービスは行っていなくて……」
「はぁ? あなた店員でしょ? お客様のご要望になんでもお答えするのが店員の務めじゃないの?」
なんて時代錯誤の人なんだ。いや、正確にはセレブの世界に慣れすぎて庶民の感覚が分からないのかもしれない。
そもそもなぜこんな所に買い物に来たのかは謎だが、これ以上見ていられない。
僕は覚悟を決めてセレブクレーマーの所に近づいた。
「お客様、いかがされましたか?」
僕は冷静にセレブに話しかけた。クレーマーは「はぁ?」と睨むように僕を見たが、この店の従業員だと分かると柳さんに言ったような事を聞いてきた。
「ここにはこの生ハムしか置いてないの?」
「あいにく当店にはスライスパックされたものしか置いておりません。原木をお探しでしたら専門店に行かれた方が確実かと」
セレブクレーマーは黙って僕を注視していた。もしかしてさらに起こらせてしまったかなと思い、不安になった。
「あなた……まぁ、いいわ。あなたの言うとおり、専門店に向かう事にするわ」
が、クレーマーは素直に僕に生ハムを返すと、そのまま入り口へと向かってしまった。自動ドアが開いた瞬間、リムジンかと思われる車と秘書らしき者がいたので、あのクレーマーが本物の金持ちだということが分かった。
僕は柳さんの方を見た。彼女は眉間に皺を寄せて僕を睨んでいた。
「あの……大丈夫ですか?」
僕が尋ねるが、柳さんは「別に」と素っ気ない態度で去って行ってしまった。




