#47 ようやく見つけた就職先
工場をクビになって三ヶ月後、僕はあるスーパーの面接に来ていた。
「……神山悟さん?」
マダムが分厚い唇で僕の新しい名前を口にして履歴書に目を通した。僕は斜めに浮き上がっている名札を見た。『青山』と書かれていた。マダムは黒髪のロングヘアで泣きぼくろが魅力的だった。年齢は四十代前半だろうか。エプロン越しからはみ出る乳肉が僕の色情をかきたたせた。
(よせ)
僕は自分を叱咤した。抑えきれない色欲のせいで工場を辞めさせられてしまっただろ。工場長の奥さんに手を出したばかりに。もちろん無理やりじゃないけど。
いや、行為の発端は今は関係ない。問題は初対面の相手に発情するのはよくないと言っているんだ。本当にどうしてしまったのだろう。高校生の時はそんなことは考えなかったのに。
なんてことを考えていると、青山店長は「高校生?」と尋ねた。
「いえ、高校中退です」
「そう。何か悪さしたの?」
「いえ……あの……諸事情で」
「ふーん、まぁ、ヤンチャするようには見えないよね」
青山店長はクスリと笑った。妖しい雰囲気が漂ってきて、思わずドキッとしてしまった。
「まぁ、いいわ。で……工場に一年ぐらい勤務……どうして辞めちゃったの?」
「あの……その……」
「諸々の事情?」
「そ、そうです」
僕は辿々しく答えると、青山店長は眉間に皺を寄せて頬杖をついた。
不採用者という三文字が頭の中で浮かんだ。これでもう十回目だ。やはり、高校中退と職歴が短いのは世間的に良くないのだろう。
『またネカフェ生活か』
僕は次の応募先を考えながら結果を待っていると、青山店長は「いいわ」と履歴書を置いた。
一瞬店長の言葉が気になってすぐには応えられなかった。
「……と申しますと?」
「採用するわ。明日から働ける?」
「も、もちろんです!」
僕の淀んだ黒雲に光が差し込んできた。椅子から立ち上がって何度も頭を下げた。青山店長は「いいのよ。なんかほっとけないし」と穏やかな顔で答えた。
「ありがとうございます! 助かります!」
「うんうん。あ、身分証明書と銀行口座が分かるものを持ってきてね。あと、印鑑も」
「はいっ!」
僕は深々と頭を下げると、軽やかな足取りで事務所を出た。
※
『下山智』から『神山悟』という名前になって以来、僕の人生は下り坂だった。それまでは叔母と美智子さんに養ってもらっていたが、例の事件が起きて関わりを持てなくなってしまった。
僕は自分一人で生計を立てなくてはならなくなった。工場で働いていた時は寮(五畳半で風呂とトイレ共同)があったから良かったが、今はネカフェで仕事を探している日々を過ごしていた。
当然ろくな経歴も社会経験もないのであらゆる職場から爪弾きにされてきたが、今回は運が良かった。青山店長は見た目は怖そうだったけど、良い人みたいで安心した。
早朝から夕方までのみっちり勤務。大変だが生きていくためには仕方ない。
普段はネカフェの無料カレーを食べて過ごすが、今日は奮発してスーパーのお惣菜を買おう。
時刻は夕方。そろそろ割引がされている頃だ。
僕はネカフェから程近いスーパーに入ってカゴを手に取った。お惣菜コーナーへと向かっていると親子連れが今日の晩御飯のことを楽しげに語っていた。
ふと脳裏に叔母と僕が互いに向き合って食事する光景が浮かんだ。が、すぐに振り払った。思い出してはいけない。あれは幻だったんだと言い聞かせながら。
忘れさせるために今日食べるものを考えながらお惣菜コーナーへと向かった。値引きするおばさんが明日廃棄されるであろう料理にシールを貼っていた。それを主婦やおばさんなどが取り合うように商品を手に取っていた。
僕も無くなる前に急いで向かった。だが、どれも取られてしまっていた。何かないかと探しているようやくシーツ付きのきんぴらごぼうが目に入った。
手に取ろうとした時、誰かの手と触れてしまった。反射的に引っ込んで相手の方を見た瞬間、ハッとした。
「……悟くん?」
「う、内田さん」
ショートボブの髪型、三十代後半なのにあどけなさが残る可愛い顔立ち、セーター越しでも分かるスタイルの良さ――工場長の妻の内田理央さんだ。
僕と内田さんは呆然と見つめ合っていると、中年のおばさんがきんぴらごぼうを取って行ってしまった。




