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叔母ラヴァー  作者: 黒風月
さとる編
20/55

#20 トラウマは消えない

 翌朝部屋を出ると、すぐ近くに叔母が立っていた。見慣れているはずのエプロン姿が昨日の一夜のせいで、艶かしく映っていた。


「智、おはよう。なかなか起きないから呼びに行こうと思ってたのよ」

「おはよう! うん、ありがとう。昨日色々運動したから疲れちゃったのかな……アハハ」


 僕は若干昨日起きた事をほのめかしたが、叔母はまるで忘れたかのように「早く食べちゃいなさい」と冷静な声で背を向けた。


 甘々な夜の叔母とは違って少し肩を落としたが、気持ちを切り替えて食卓に向かった。


 朝ごはんはご飯と味噌汁、玉子焼きと納豆だった。ふと僕と叔母の二人分にしかない事に気づいた。


「美智子さんのは?」


 さりげなく聞いてみると、叔母は「知りません」と眉間に皺を寄せてご飯を頬張っていた。まだ昨日の事について怒っているらしい。


 僕は納豆をかき混ぜながら今日は学校だなと思いつつ登校への不安を抱えていた。でも、大丈夫。先生が付き添いで来てくれるって言っているし、アイツも出てこないだろう。でも、下校が……いや、まぁ、うーん、誰かと誘って帰るしかないか。


「智、かき混ぜ過ぎよ」

「え? うわわっ!」


 登下校についてアレコレと考えていたせいか、納豆がいつの間にか泡みたいになっていた。


「……智、大丈夫?」


 叔母は心配そうな表情で見ていた。僕はあまり不安にさせる訳にはいかないと「平気、平気! 先生が一緒に学校まで来てくれるから問題なし!」と泡納豆にご飯をかけた。


「……そっか」


 叔母は口角を上げたが、まだ不安の(かげ)りは残っていた。


*


 朝食を終え、歯磨きなどの身支度を済ませると、チャイムが鳴った。僕の全身は硬直し、視線を右往左往させていた。それに気づいた叔母が「待ってて」と言って廊下に向かった。


 すると、すぐに山岸先生の声が聞こえたので、僕はホッと胸を撫で下ろして鞄を持った。玄関前にはジャージを着た先生が立っていた。


「おはよう、下山(しもやま)

「おはようございます。先生」


 僕は靴を履くと、叔母の方を向いた。


「それじゃあ、行ってきます」

「行ってらっしゃい。気をつけてね」


 叔母は軽く手を振っていたが、不安を押し殺しているような貼り付けた笑顔だった。僕はそれ以上に明るい顔で手を振り返した。


 しかし、ドアが閉まると、途端に緊張感がはしった。やはり、エレベーターを見るとあの時のトラウマが脳裏を過ぎって心臓が握り締められたように苦しくなった。


「心配するな。先生がついている」


 山岸先生が僕の頭を撫でてくれたおかげで、少し和らいだ。チーンとお(りん)みたいに鳴り響くドアに若干肩を飛び上がらせた。


 鼓動を早くさせながらエレベーターに乗り、すぐに降りられるように前の方に行こうとした。が、当然朝の通勤時間なので、次から次へと色んな人が乗ってきて、自然と隅の方に追いやられてしまった。


 僕は逆に安堵していた。中年のサラリーマンや学生達が紛れていたので、スカスカよりも恐怖が無くて安心した。それに山岸先生が僕を人混みから護るように向かい合ってくれた。当然狭い空間なので密着する訳だが、前屈みになっているからか、ちょうど先生の胸の位置に僕の顔があたっていた。


 ジャージ越しだから体型がぼやけていて、よく分からないけど、平均よりも大きめなのが頬から伝う触感や温もりで分かった。僕は恐怖から高揚感で鼓動が速くなっていった。


 乗る前は一刻も早く降りたかったが、今はほんの少しだけでも長くこのまま居たかった。


 そんな複雑な心情を抱きながらエレベーターは一階に到着した。大勢の人達が雪崩のように出る中、山岸先生は最後の一人まで降りるのを確認した後、「いくぞ」と身体から離れた。僕は「はい」とうわ言のように呟きながら外に出た。


 頬には先生の滑らかなジャージから伝わってきた温もりが残っていて、湯船に浸かったかのようにポカポカしていた。



 登校中は問題はなかった。巡回するパトカーや自転車に乗った警官が多かったような気がした。


 先生と並行して歩いた。僕はエレベーターの時の密着のせいか、変にドキドキしていた。


「下山、最近ちゃんと寝られているか?」

「……え? は、はい。ぐっすり寝ています」

「そうか。それは良かった」


 山岸先生はそう区切って沈黙した。が、すぐに「このまま何事もなく終わるといいな」と独り言のように呟いた。答えていいのかどうか分からなかったが、このまま沈黙が続くのも気まずいので、「そうですね」と相槌をうった。


 そうこうしているうちに、正門が近づいてきた。山岸先生は「じゃあ、また教室でな」と早歩きで生徒達の中に紛れていった。僕は少し寂しさを感じながら無事に辿り着いた事に安堵した。


(でも、このままずっとこうしている訳にはいかない)


 僕はトラウマを克服するにはどうしたらいいか考えながら正門を通った。



 あれこれと考えた結果、なるべく一人でいるように心がけた。でも、普段と何も変わらないけど、出来るだけ人気(ひとけ)が少なそうな所に行った。


 一番人がいなかったのは校舎の裏だった。陽の光も届かない薄暗い場所で、草木もあまり生えていなかった。僕は昼休みにそこを通ってご飯を食べる事にした。


 叔母が作ってくれた手作り弁当を食べていたが、たちまち不安が押し寄せてきた。遠くから生徒達の楽しげな声が遥か遠くから聞こえてくるような気がした。


 頭の中では赤髪の女性が浮かんでいたが、僕は必死に押し殺して玉子焼きを口に入れた。全く味がしなかったが、美味しいと自己暗示をかけて飲み込んだ。ウインナーを持とうとしたら、手が震えてしまいポロッと落ちてしまった。


 身体が極寒にいるかのように震えていた。僕の息遣いが速くなっていくのが分かった。しかし、乗り越えないと永遠に付き添いになっしまうぞと自分を鼓舞してウインナーを突き刺して放り込んだ。


 無理やり噛んで飲み込んだ時、足音が聞こえてきた。僕の全身が逆立っていくのが分かった。神経が異様に昂り、聴覚が肉食動物に怯える小動物みたいに研ぎ澄まされていた。


 足音は近づいてきた。こんな校舎裏に一体何のようだと思いながら辺りを見渡して隠れそうな場所を探した。


 すると、体育倉庫を見つけたのでお弁当を持ったまま小走りで向かって影に隠れた。何やら話し声が聞こえてきた。声の高さからして二人とも女性みたいだった。


 一体誰だろうと思って覗き込むと、目を見張った。校舎裏にやってきたのは、山岸先生と秋武(あむ)先輩だったからだ。


(何しにここへ?)


 僕は恐る恐る見守っていると、二人は仲睦(なかむつ)まじそうに話していた。


「……で、なんでこんな所に連れて来たんだ」


 山岸先生が腕を組んで聞くと、秋武(あむ)先輩は「分かっているくせに」とあざとい笑みを浮かべた。


 先輩と先生が向かい合っていた。それは教師と生徒という関係では出せないような甘い雰囲気に包まれていた。僕は直感して『二人はできている』と(さと)った。


 が、それは僕の思い込みに過ぎなかった。


「先生、さとるくんのこと、好きなの?」

 

 秋武(あむ)先輩が闇のように光を失った瞳で見つめていた。僕はこんな表情をする先輩を見たのは初めてだった。

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