髭切の太刀
「ギシャアアアアッ!!」
耳を聾する咆哮とともに、穴ぐらから這い出た土蜘蛛たちが一斉に躍りかかってきた。
手足の長い異形どもは、山道の泥をものともせず、四足歩行のような不気味な速度で距離を詰めてくる。
その手には、強靭な山の蔓や網が握られていた。
かつて重い鎧をまとった朝廷の兵たちを絡め取り、泥に引きずり落として屠ったという、土蜘蛛伝統の戦法だ。
「頼光殿、囲まれました! 衣の下の獲物、今こそ抜くべきか!」
藤原保昌が、背中に背負った山伏の箱――『笈』に手をかけながら私に叫ぶ。
「いや、まだ刀は抜くな! 都の武士だと察知されれば、酒呑童子に潜入がバレる!」
私は叫び返し、襲いかかる土蜘蛛の爪を身を翻して間一髪でかわした。
私たちが纏う山伏の白い衣。これには武具を隠すだけでなく、妖気をある程度遮断する結界の役割もある。
ここで下手に派手な武芸や太刀筋を見せれば、相手が鬼の偵察部隊でなくとも、都の精鋭が来たと一発で見破られてしまう。
「へっ、刀が使えねえなら、俺の出番だな!」
不敵に笑ったのは、坂田金時だった。
山伏の衣を乱暴に引きちぎり、その下に隠された鋼のような肉体を露わにする。
金時は、朝廷に仕える前は足柄山で熊と相撲をとっていたという、生粋の野生の傑物だ。
都の洗練された剣技ではなく、原始的な『怪力』。
それこそが、正体を隠したまま異形を圧倒する最大の武器だった。
「オラァッ!!」
金時は、網を構えて飛びかかってきた土蜘蛛の首根っこを、素手で鷲掴みにした。
そのまま信じられない剛力で振り回し、周囲から迫る別の土蜘蛛たちへと投げつける。
ズドォォォン!!
「ガハッ……!?」
人間離れした質量兵器と化した土蜘蛛の体が、仲間の群れを巻き込んで岩壁へと激突し、爆音を響かせた。
「おい金時、少しは手加減しろ。お前の力は目立ちすぎる」
冷徹な声と共に、一歩前に出たのは四天王筆頭・渡辺綱だ。
綱は背中の笈から、白い布に包まれた一振りの太刀を静かに引き抜いた。
その刀こそ、源氏の棟梁に代々受け継がれ、罪人の首を撥ねた際に顎の髭まで綺麗に切り落としたという伝説を持つ名刀――『髭切』。
「正体を見破られぬよう、一瞬で断つ。……それだけのことです」
綱は山伏の衣を着たまま、驚くほど静かに身を沈めた。
その構えには、都の武士特有の大袈裟な名乗りも、派手な大上段の構えもない。
ただ、暗殺の如き無駄のない、一撃必殺の居合いの体勢だ。
「小癪な人間め、八つ裂きにしてくれるわ!」
リーダー格と思しき巨大な土蜘蛛が、鋭い爪を突き立てて綱の頭上から襲いかかる。
だが、綱の姿がブレた。
――キィン。空気が凍りつくような硬質な音が響く。
次の瞬間、綱はすでに土蜘蛛の背後に立ち、静かに『髭切』を白い布へと戻していた。
「……あ、が……?」
宙に浮いたままの土蜘蛛は、何が起きたのかすら理解していなかった。
一瞬の遅れの後、その巨体が左右真っ二つに裂け、音もなく地面へと崩れ落ちる。
骨の硬さも、土蜘蛛が纏う妖気の防御も、源氏の宝刀の前には紙同然だった。
首領を一瞬で失った土蜘蛛の群れに、一気に動揺が走る。
「……ひ、髭切……まさか、清和源氏の……」
生き残った一匹が、綱の持つ刀の正体に気づき、恐怖に顔を歪ませた。
「綱、口封じだ! 逃がすな!」
私の鋭い言葉に応じ、今度は知略家の卜部季武が、衣の下から引き抜いた強弓に矢を番える。
逃げ出そうとした土蜘蛛の背中に向けて、放たれた矢が風を裂いた――。




