蜘蛛を埋める土
卜部季武の放った強弓の矢が、鋭く風を切り裂いた。
逃げ出そうとしていた生き残りの土蜘蛛。
その背中に、寸分の狂いもなく矢が突き刺さる。
異形は悲鳴をあげる暇すらなく、そのまま泥の地面へと激しく突っ伏し、二度と動かなくなった。
「……見事だ、季武。これで全て片付いたな」
源頼光が声をかけると、季武は感情の薄い顔のまま、愛弓を再び山伏の衣の下へと滑り込ませた。
「はっ。我らの正体が『清和源氏の討伐隊』だと山頂の鬼どもに知られれば、潜入作戦はその時点で瓦解しますから。一人たりとも生かして返すわけにはいきません」
冷徹だが、至極もっともな判断だった。
この大江山は、いまや都の常識が一切通用しない、完全なる敵地なのだ。
「しかしどうしましょう頼光様。この死体の山、放っておいたらすぐに他の鬼どもに見つかります。」
引きちぎった山伏の衣の袖を結び直しながら、藤原保昌が周囲を見回して言った。
保昌の懸念通り、あたりには渡辺綱の『髭切』に一刀両断された首領の死体をはじめ、何体もの土蜘蛛の骸が転がっている。
「保昌の言う通りだ。鬼の斥候がここを通りかかれば、何者かが侵入したとすぐに察知されるだろう」
頼光は転がっている土蜘蛛の死体を見つめ、静かに指示を出した。
「貞光。お前の術で、この死体どもを元の『穴ぐら』へ叩き込め。土を被せて、最初から何もなかったように見せかけるんだ」
「御意にございます、頼光様」
隠密行動と呪術に長けた碓井貞光が、静かに一歩前に出た。衣の下から素早く数枚の呪符を取り出すと、土蜘蛛たちが這い出てきた暗い穴ぐらに向けて投げ入れる。
「――隠。その姿、土の底へ還れ」
貞光が低く呟き、指先で印を結んだ瞬間、周囲の泥がまるで生き物のように蠢き始めた。
転がっていた土蜘蛛の死体たちが、吸い込まれるように次々と穴の中へと滑り落ちていく。
そして、崩れた土がその上を完全に覆い尽くし、元通りの平坦な地面へと戻っていった。
「ふぅ……。綱が流した血も、土の匂いで綺麗に消せました。これなら、よほどの鼻利きが来ない限りは露見しないでしょう」
貞光が額の汗を拭いながら、頼光に向かって静かに深く一礼する。
「上出来だ。行くぞ。一刻も早くこの場を離れる」
頼光たちは再び、山伏の白い衣を深く被り直し、霧の立ち込める険しい山道を歩き出した。
土蜘蛛の襲撃から、さらに奥へと進むこと小一時間。山道は徐々にその傾斜を増し、周囲の木々はもはや一本も生きていないかのように、完全に枯れ果てて黒く炭化していた。
そして、彼らの行く手を阻むのは、自然の山道だけではなかった。
「……ごほっ、ごほっ! なんだ、この空気は……胸が焼けるようだぞ」
保昌が苦しそうに胸を押さえ、激しく咳き込んだ。
異変に気づき、頼光はすぐに全員の足を止めさせる。いつの間にか、周囲を満たしていた白い霧は消え去り、代わりに『どす黒い紫色の煙』が、地面の裂け目からじわじわと湧き出していたのだ。
「頼光様、全員呼吸を浅くしてください! これはただの煙ではありません……大江山の奥から吹き出す、強力な『瘴気』です!」
の綱が、鋭い声で頼光に進言し、自らの衣の布で口元を覆った。
大江山の主・酒呑童子が放つ、人間を蝕む猛毒の空気。ついに頼光たちは、並の人間であれば足を踏み一歩入れただけで肉が腐り落ちると言われる、鬼の領域の『本番』へと足を踏み入れてしまったのだ。




