2-9 ティータイム
それから数分後、キーテスが白いトレーを両手に持って応接スペースに戻ってきた。
彼はトレーをテーブルに置き、二人分のティーカップと小皿を慎重に並べていく。
ティーカップの中には鮮やかな赤色の茶が注がれていて、ほのかに湯気が立っている。小皿の上には茶色のクッキーらしき小さな焼き菓子が数枚盛り付けられていた。
キーテスは準備を終えると、堅枠大と向かい合って座った。
「ふふ、待たせたの。では、天地の恵みに感謝して、いただくとしようか」
キーテスはそう言って顔と胸の前で右手を縦に切り、ティーカップと受け皿を手に取って茶を飲み始めた。
背筋を伸ばして茶を味わうその姿は美しかった。
「ふむ、我ながら良い出来だ……どうした? カタワクも飲むといい」
「その、本当に頂いてもよろしいのですか?」
堅枠大は膝に両手を押し付ける。
良い香りのする茶や菓子を目の前にしても、彼の緊張はほぐれなかった。むしろ、国王が嗜むほどのものを出されたことでより委縮してしまっていた。
キーテスはティーカップを持ったまま微笑む。
「いいに決まっているだろう。一番良い茶葉を使ったのだ。冷める前に飲んでしまわんともったいないぞ」
「わかりました……では、天地の恵みに感謝して、いただきます」
堅枠大は自信なさげに手を縦に切り、キーテスの真似をしながらティーカップと受け皿を持った。
まずは茶の匂いを嗅いでみる。見た目通り、紅茶のようだ。
彼はおそるおそる一口飲む。
その瞬間、堅枠大の目が見開いた。
(う、美味い! なんだこの香りは! 飲んだ瞬間、柔らかで芳醇な香りに鼻腔が満たされて! 舌触りも良くて、ほどよい苦みと甘みが共存してる!)
今まで味わったことの無いほどの美味さに、堅枠大は我を忘れた。彼は所作もへったくれもなくなり、そのまま一気に茶を半分飲んでしまった。
キーテスはその様子を見て、愉快そうに口元を大きく上げた。
「焼き菓子も遠慮なく食べるがよい。腕の良い料理人が作った、この国最高峰の茶菓子だぞ?」
国王はそう言うとティーカップを置いた。彼はクッキーを一枚摘まんで口の中へと運び、咀嚼しながら頬を緩ませる。
その美味しそうな顔に、堅枠大は唾を呑んだ。
彼はキーテスの真似をして、小さな焼き菓子を口に放り込んだ。
そしてまた、彼は目を見開いた。
(ん!? なんだこの美味いクッキーは! 硬いかと思ったのに、噛んでみるとちょうどよくて、サクサクとした食感が堪らない! 甘さは控えめで、奥に隠れたバターやら卵やらその他のよくわからん素材の味が口の中いっぱいに広がる!)
これまでの人生で一番美味しいのではないかと思うほどのクッキーだった。
口の中の物を呑み込んだ直後、堅枠大の右手が焼き菓子に向けてひとりでに動く。そのまま、彼はもう一枚食べてしまった。
そこから、堅枠大は止まらなかった。
国王キーテスの前だという事を忘れ、彼は紅茶とクッキーを交互に味わう。菓子の甘みと紅茶のほのかな苦みが互いを引き立て合い、彼の口内は味覚の天国へと変貌した。
彼が気づいたときには、ティーカップと小皿は空になっていた。
「美味かった~」
堅枠大は物足りなさを感じつつも、頬を緩ませて顔を上に向けた。天井を眺めながらティータイムの余韻に浸る。まさに至高の瞬間だった。
そんな彼を見て、キーテスは優雅に茶を飲みながら微笑む。
「ふふ、それはよかった」
やがて、キーテスも茶と菓子を嗜み終えた。
国王がティーカップと受け皿をテーブルに置く。
その音が耳に入り、堅枠大は我に返った。
「はっ!? し、失礼しました!」
彼は慌ててキーテスに顔を向け、背筋を伸ばす。
国王の前で食べ物に貪りついて自分の世界に入ってしまった、という不敬な行為を堅枠大は恥ずかしく思った。だが、キーテスにはそれを気にする様子など微塵も無かった。
「よいよい。なかなかの食べっぷりだった。余は嬉しいぞ」
国王はそう言って微笑む。
堅枠大はその言葉に安心しつつも、表情を引き締めようとした。しかし、自分で思っている以上に、彼の顔は緩んだままになっていた。
キーテスは満足気に口元を大きく上げる。
「ふむ、リラックスできたようでなにより。これで、ようやく落ち着いて話ができるというものだ」
彼は堅枠大の目を見つめ、穏やかな口調で話し始めた。
「もう一度、改めて自己紹介をしよう。余はキーテス=ヒューライ。ヒューライ国三代目の王。性別は男性。年齢は六十二。趣味はお忍びであらゆる場所に行くこと。そして、カタワクと同じ、特異体質持ちだ」
国王は淡々と自分のことを話す。
性別と年齢も驚くべきことだったが、それ以上に堅枠大を引きつけるものが言葉の最後にあった。
「キーテス様が、特異体質……?」
堅枠大は目を丸くして美少女姿の老人を眺める。
自分は氷結の特異体質、アスラは身体強化の特異体質。では、目の前の国王はいったいどのような体質なのだろうか。そんな疑問が、堅枠大の頭に浮かぶ。
キーテスは腰に両手を当てて胸を張り、堅枠大の抱えた疑問に答えるかのように口を開いた。
「そうだ。余の特異体質は不老。その名の通り、老けないのだ。この体質のおかげで、こうして若さを保ち続けられる。死ぬ寸前まで、ずっとこの姿だ」
「ふ、不老……そうだったのですね……」
堅枠大は言葉を失いそうになりながらも、相槌を打つ。
キーテスの口から告げられたことは、堅枠大にとって衝撃的なものだった。一昨日の魔法の授業で知った、ずっと若いままだという特異体質。その持ち主は、驚くべきことにヒューライ国の王だったのだ。
それならば、六十二歳であるはずのキーテスが外見的には十代後半の少女であることにも頷ける。いや、正確には少年なのだが。とにかく、国王の見た目のことについては考えないほうがいいと堅枠大は思った。
驚愕と納得が入り混じった堅枠大の顔を見ながら、キーテスは話を再開する。
「この体質は家系的なものだが、発現しない者のほうが多い。先祖代々、不老体質となった者がヒューライ族の族長を務めている。ゆえに、余の父も祖父も、余の後継者の次女も、ずっと若いままだ」
国王の口から、さらに驚きの事実が飛び出した。
つまり、現在のヒューライ国やその前身の国家は、不老の人物を中心に成り立っていたのだ。おそらく、キーテス以外の歴代族長も、飛び抜けて美しい容姿を持っていたのだろう。民衆からの支持が高いのも納得できる話だった。
キーテスは話を終えた後、わざとらしく大きな息を吐いた。
それを見て、堅枠大は自分が話す番だと悟った。彼は改めて背筋を伸ばし、キーテスの目に堂々とした視線を送った。
「わたくしは、カタワクと申します。身分は奴隷で、ジャーガン国内水運に勤務しています。年齢は三十一。趣味は……仕事仲間と飲むこと、です。昨日、特異体質に突然目覚めまして、左手だけに非常に強力な氷の力が宿っているようです」
堅枠大は国王と同じような事柄を話した。
キーテスは堅枠大の左手を一瞥し、視線を再び彼の目に戻す。
「ふむ。よろしくな、カタワク」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします……」
堅枠大はソファに座ったまま、上体を軽く前に倒した。
本来は立ち上がって礼をするところなのだろうが、そうすると国王を高い位置から見下すことにもなり、また相手に気を使わせてしまうことにもなりかねなかった。座ったままでいるのが最善策だと、堅枠大は考えた。
そんな彼の苦悩を知らないまま、キーテスは堅枠大の姿を興味深そうに眺める。
今の堅枠大は黒のスーツ姿。もとの現代日本ではありふれた格好なのだが、このヒューライ国では唯一無二の服装だった。
キーテスは堅枠大を頭頂から足先まで見た後、そのスーツ姿の彼に話しかけた。
「ところで、アスラから聞いた話なのだが……カタワクは異世界から来たという。それは本当なのか?」
国王は半信半疑な目を堅枠大に向ける。
疑われることにすっかり慣れてしまった堅枠大は、平然とした口調で答えた。
「ええ、本当の話です。この大陸も、この国も、そして魔法も、元の世界には存在しませんでした。ですから、わたくしは異世界から来たと断言してよいと存じます」
彼は何の気なしに話した。
だが、その話を聞いた瞬間にキーテスは目を輝かせた。
「やはり本当なのだな! ぜひとも聞かせてくれないか! そなたがもと居た世界のことを! 特に、魔法が存在しない世界がどのように発展したのかを!」
キーテスは身を乗り出し、堅枠大に顔を近づける。
堅枠大は国王の変貌ぶりにうろたえ、体をほんの少し引いてしまった。だが、その興味津々な様子に堅枠大は戸惑いながらも、国王が奴隷の自分に関係することを知ろうとする姿を堅枠大は嬉しく思った。
「わかりました。わたくしのわかる範囲でしたら、お話いたしましょう」
「頼むぞ! それと、その話し方はまどろっこしいから、もう少し柔らかく話すとよい。せっかくリラックスしていたのに、それでは台無しではないか」
キーテスは心底嬉しそうな顔をした後、頬を膨らませた。
その可愛らしい表情に堅枠大は笑ってしまいそうになった。それをなんとか堪えたものの、我慢したせいで引き攣った笑みを浮かべることになってしまった。
「そ、そうですか……では、俺がわかる範囲で、話します」
「うむ!」
堅枠大の若干くだけた言葉遣いに、キーテスは満面の笑みを浮かべる。美少女姿の国王はご満悦といった様子で身を引き、再びソファに腰を下ろした。
堅枠大は深呼吸を数回して、もと居た世界のことを話し始めた。
大きな爆発とともに世界が生まれたこと。いくつもの偶然から地球という世界が生まれたこと。そこで生命が生まれ、やがてヒトが出現し、人間になっていったこと。
人間は魔法の代わりに科学技術の進歩で飢えや病と闘い、文明を発展させてきたこと。その後、蒸気機関、電気、コンピューターなどの発明により、産業はさらに発展したこと。
その一方で、人間は戦争や内紛を繰り返しながら歩んできたこと。自分が死んだ時も、そういった争いは多く、それ以外の問題も山積みだということ。
それ以外には、日本史や世界史のあらすじ、あらゆる文化について話した。
堅枠大の話はたどたどしいものだったが、それでもキーテスは口を挟まず熱心に耳を傾けていた。




