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Samsara~愛の輪廻~Ⅲ  作者: 二条順子
27/27

27.旅路の果てに(2)

亜希はサウス・ステーションの構内にいた。

ここから最終のアムトラックに乗れば、朝にはワシントンに到着する。

ちょうど一年前、成田の出発ロビーで同じ想いを胸に同じ目的地を目指していた。

発車のアナウンスが構内に流れ、旅行者や家族連れ、外国人観光客たちの群れに

紛れて夜行列車に乗り込んだ。

列車が静かに動き出した。車窓にもたれ暗闇に点在する街の灯りに想いを馳せ

ながら、健介と暮らした地ボストンに別れを告げた。



息を切らしてホームに駆け付けた健介の目の前を、一足違いでワシントン行の

最終列車が走り去った。が、彼の顔には絶望の色も迷いもなかった。

(朝一番に乗れば、列車がワシントンに着くまでに追いつける…)

アムトラックの時刻表を手に取るとタクシーをローガン空港に走らせた。

最終便が飛び立った後の空港ロビーはひっそりと静まり返り、時間がゆっくりと

流れている。もどかしそうに何度も腕時計に目を遣りながら、健介は夜が明ける

のをじっと待った。心の中は一刻も早くめぐみに逢いたいという想いで溢れている。

渡す機会を失ったまま、大事にしまってあったポケットの中の小さな箱をぎゅっと

握りしめた。



車窓のカーテン越しに朝の光が漏れてきた。

あと一時間足らずで終着駅のユニオン・ステーションに到着する。

車内アナウンスが次の停車駅を告げると、大きなスーツケースを抱え乗客たちが

降り支度をはじめた。メリーランド州にあるボルティモア国際空港に隣接する

この駅からは、アメリカ国内やヨーロッパへの空の便を利用する客が乗降する。

亜希の周りにいた賑やかな若者の一団がいなくなると車内は急に閑散とした。


発車のベルが鳴り列車は再び静かに動き出した。

亜希は懐かしそうに窓の外に目を遣った。朝日を浴びてキラキラと輝く飛行機が

一機、青空の中に舞い上がると鮮やかな機影を残しみるみる内に白い雲のかなた

へと消えて行く。

六年前、音大を中退し日本を逃れるように新天地を求めこの空港に降り立った。

思えばそれが、愛と哀しみの旅路のはじまりだった。そして、旅路の果てに

今再びこの地に戻ってきたのも何かの因縁かもしれない。


亜希はシートに深くもたれ静かに目を閉じた。

クライスラーの『愛の喜び』の躍動感溢れる優美な旋律が、数々の想い出と伴に

頭の中を駆け巡る。

(タク、耕平さん、木戸君、ケン… ありがとう、私を愛してくれたやさしい

男たち…)

列車はレールの上を滑るように徐々にスピードを上げて行く。その心地よい振動が

亜希を微睡の世界へと誘って行った。



* * * * * * * 



発車寸前のアムトラックに飛び乗った健介は息を弾ませている。

飛行機の到着が遅れ、危うくまた乗りそびれるところだった。

呼吸を整えると、一両目から一人一人乗客の顔を確認するようにめぐみを探し

はじめた。ターミナル駅のユニオン・ステーションまで列車はあと二駅に停車

する。次の駅までには彼女を見つけ出したい。だが、三両目を過ぎてもめぐみの

姿はなかった。彼女がこの列車に乗っているというのはあくまで推測であって、

もしかしたら乗っていないかもしれない・・・

健介は次第に焦りと不安を覚えるようになった。

祈るような思いで最後部の車両に入ると、乗客の数はまばらで空席が目立つ。

健介は言いようもない絶望感に襲われた。が、気を取り直して中ほどまで進むと、

急に彼の足が止まった。

最後列の座席で車窓に寄りかかるように眠っているのは、まぎれもなくめぐみで

ある。幸い隣の席には誰も座っていない。健介は彼女の横にそっと腰を下ろした。


あの日、ERから廻されてきためぐみに初めて出逢った日もこんな風に彼女の

寝顔をじっとみつめていた。まるで日本人形のような清楚な美しさに、はっと

息を呑んだのが、つい昨日の事のように思える。あれから一年、彼女は自分の

中で徐々に大きな位置を占めるようになり、いつしかかけがえのない存在と

なっていった。健介は、めぐみの額にかかる前髪にそっと触れた。



心地良い微睡から覚めると、目の前に優しく微笑む健介の顔があった。

「ケン?… どうして、ここに……」

夢の続きを見ているようで頭の中は朦朧としている。


「高村先生から何もかも聞いたよ。ごめん、あんな酷いことを言って…」

「ううん、私のほうこそ、記憶が戻ったこと、あなたに黙っていて…」

めぐみは静かに首を左右に振った。


「俺は… 君のことが好きで好きでたまらない。ショパンとシューベルトの

区別も、カリフォルニアワインとボジョレ・ヌーボーの違いも分からないような

男だけど… どうか、俺と結婚してください!」

健介のあまりに真剣な表情と突拍子もないプロポーズの言葉とのミスマッチが

可笑しくて、思わずくすっと笑った。が、同時に嬉しくて嬉しくて涙が溢れ

そうになった。


「私も… ベートーベンしか知らなくても、ワインの味なんか分からなくても

ポンコツの日本車を愛し、ブランド物のスーツよりも白衣の似合うあなたが、

大好きです!」

めぐみの即答に健介の顔に笑顔が戻った。

二人は愛を確かめ合うように長い抱擁を交わした。

愛する人の生身のぬくもりが互いの肌を通してひしひしと伝わってくる。

めぐみは大きな胸の中で健介の愛を確信し、彼を愛している自分を実感して

いた。



闇の中を走り続けた夜行列車は長い旅を終え、ようやく終着駅に到着した。

厳しい冬の寒さに耐えたワシントンの桜は、暖かい四月の陽光を享けて見事に

美しい花を咲かせている。ポトマック川の両岸は例年にもまして鮮やかな春色に

染められていた。




ー了ー

Samsara ~愛の輪廻~Ⅳ につづく・・・

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