2-送別会
~続き~
家にたどり着くとまたも仕事が待っている。溜まっている汚れものを選別して洗濯機にほり込んでボタンを押す。洗濯自体は簡単だが、干すのが面倒だ。溜め込んでしまうと狭いベランダには干しきれなくなるので出来るだけ毎日こまめに洗うようにしている。もっともいまは夫婦二人だけだから、そんなに溜まるものでもないのだが。しかし夏場は汗をかくし、下着だけでなくタオルや夫のワイシャツも毎日替えるのでそれなりの量にはなる。白物と色物は分けるので最低二回は洗濯機を回す。これを仕掛けておいてその間に夕食の準備に取り掛かる。だが、今日の夫は飲み会だと言っていたので、自分ひとりだけの夕食などたいしたものは作らない。昨夜の残りものとつくだ煮と漬物。これだけあれば充分だ。味噌汁だけは欲しいなと思って、大根を少しだけ短冊にして鍋に入れた。
ささやかな夕食を摂ってテレビを眺めてくつろいでいると、玄関で鍵を開ける音がした。善人のご帰還だ。二つ違いの夫は名前のとおり善人そのもので五七歳になるまで嘘のひとつも言ったことがないのではないかというほど真っ当な人で、それが故に課長職になるまでに人一倍時間がかかり、このまま定年退職を迎えることになるだろう。
部屋着に着替えた夫が食卓の椅子に腰をおろした。営業部から業務進行部に配置換えがあって、現場に出ることが増えた夫は、慣れない夏の日差しを浴びて白い肌が焼けて赤くなっている。その上にお酒が入ってますます赤くなった顔でお茶が飲みたいと言った。
「で、どうだったの? 送別会は」
熱いお茶を注ぎながら聞いてみた。
「ああ、まぁ、あれじゃなんだか寂しいな」
今日で定年退職だという先輩の送別会があったのだ。ごく親しい同僚や部下などの有志が集まって、安い居酒屋でささやかに送り出す会が行われた。昔は定年といえば職場で花束が贈られたり、盛大な祝賀会が催されたりするイメージだったが、最近ではそのようなものはないのだという。夫の会社がそうなだけなのかどうかわからないが、もう何年もそういう場面を見たことがないという。
「不景気だしな」
それだけではない。早期退職だとか、逆に定年時期の延長だとか、組織のルールがさまざまに変わって一律に何かをするようなことが現状にそぐわなくなってきたのだ。それにしても人間の心というものはそう変わるものではないわけで、お疲れさまもご苦労さまも言われずに辞めていくというのはどうにも気持が落ち着かないような気がするだろうなと夫はまるで自分のことのように言った。実際、何年もしないうちに順番が回ってくることが分かっているから他人ごとではないのだろう。
「田辺さんが……今日の主役だけどな……言ってたよ。昔だったらこれで楽隠居ってもんだろうけど、いまはそうはいかんって」
「だって六十って言ってもまだまだ若いものねえ」
「というよりも、うちと一緒で田辺さんとこも家のローンが残ってるらしいし、何歳まで生きるかわからないからな」
うちくらいの小さな会社だと、退職金も知れているから定年後の生活なんてなにも保障されてないもんな。早く次の仕事を見つけて働き先を確保しなきゃならんのに、そうやすやすと割のいい仕事なんて見つからんとか言ってたわ。夫はずずっとお茶をすすった。
「田辺さんは、営業の第一線でバリバリ働くやり手だったのに、五十を過ぎたあたりで転勤があってな、本社に帰ってきたら急に老けてたって言うんだ。気がつかなかったけど、そういえば辞めていく姿は妙に縮こまって、顔の皺も一層増えてて、あの田辺さん、よく見たら老人めいた感じに思えたよ」
「そりゃぁ六十にもなればもう老人と言われても文句はいえないでしょうに」
「そうかなぁ。俺だってあと三年で還暦だぜ。ちっとも老人って気がしないけどな」
「そうねぇ。それは私だって同じだわ」
お茶、お代わりくれよと言われるまで湯呑が空になっていることに気がつかなかった。
~続く~




