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抜け殻  作者: 桃空文伽
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1-タカラモノ

 地下鉄を降りてしばらく歩くと公園の脇に出る。公園を横切るとわずかだけれどもショートカット出来るので、いつもそのようにして家に向かう。日暮れ前の公園は人もまばらでのんびりした雰囲気であふれていて、異次元の時間の動きに影響されたかのように足取りが急に緩やかになるのと同時に、昼間あくせくパートで働いている自分が馬鹿らしい存在のように思えて腹が立ってくる。こんな時間に犬の散歩をしている人っていったいどうやって暮らしているのかなぁ。年寄りは隠居生活を楽しんでいるのだろうし、奥さんは専業主婦なのだろうと想像がつく。だが、こっちの茶色い小さな犬を連れた男はなんなのだ。平日に休暇を取ったのだろうか。それともプー太郎? 人のことなどどうでもいいことなのに、幸せそうにのんびりしている御仁を目にすると、意地悪のひとつもしてやりたいような気持になるのは、やはりわたしが捻くれているからなのだろう。

 じゃり。

 ズックの底でなにか繊細なものが砕ける音がした。なに? プラスチックのかけらでも踏んだ? 靴底の感触は心地いいものではなく、壊してはいけないなにかを踏みつぶして取り返しのつかないことをしたような気分になって、横隔膜のあたりの空気がすぅっと抜けた。慌てて足を上げてみるとなんてことはない、蝉の抜け殻だった。

 公園には春になると一面が薄いピンクに塗り替えられるほどの桜の樹々が並んでおり、夏には蝉の大合唱になる。当然、季節外れの地中には蝉の幼生が常に潜んでいて、時期が来ると地面から這い出して樹木をたどり冬の衣を脱ぎ捨てて蝉になるのだが、その脱ぎ捨てた殻が無人のまま樹皮にしがみついているところを風に飛ばされて地面の真ん中に落ち捨てられていることがままあるのだ。踏みつけた抜け殻は案外丈夫なもので、踏まれてもばらばらになってしまうことはなく、少しへこんで少し欠けたくらいで、ほぼ元のまま蝉の幼生の姿を保っていた。

 この茶色い小さな物体をわたしは集めていたことがある。なにを考えていたのだろう。子供というものはいろんなことに興味を持って、気にいったものや気になったものを手にしたがる。さらに気にいればもっとたくさん手に入れたくなる。わたしは夏休みの虫採りのときに見つけた蝉の抜け殻を、最初は不気味な死んだ虫だと思っていたが、大人に教えられてそれが抜け殻であることを知り、急に興味を持つようになった。夏中かかって大きな瓶いっぱいの抜け殻を集めた。瓶は蜂蜜かなにかが入っていたガラスの瓶で、ねじ式の鉄蓋がついていた。瓶の底に抜け殻が二つ三つ入っているうちは蝉の姿だったけれども、大きな瓶の半分くらいに抜け殻が溜まってくるとそれは蝉の抜け殻なのか、それとも別のなんだかわからないものなのか、奇妙なものに見えるようになった。瓶を見つけた母がそんな気持ちの悪いもの捨てなさいと言ったが、わたしはますます意地になって抜け殻を集め続けた。八月のはじめごろには遂に瓶は抜け殻でいっぱいになってもうこれ以上は入らないという状態になった。しばらく勉強机の上に瓶を飾って毎日眺めていたが、そんなもの早く捨ててしまいなさい、お父さんに言いつけるよという母の言葉に負けて、机の上から撤退させた。しかし意地になって集めたものをわたしが捨てるはずがない。抜け殻が詰まった瓶を丁寧に新聞紙でくるんで勉強机の下の段ボール箱に隠した。

 子供は目の前から姿を消したもののことはすぐに忘れてしまう。抜け殻の瓶のことなどすっかり忘れてしまっていた。大学卒業を控えた年の暮れ、実家に帰省した折に親から言われて高校生まで使っていた自室の大掃除をした。子供のときから置きっぱなしのいらない物を処分しろということだった。改めて見る勉強部屋は懐かしいものがいっぱいで、なかなか捨てるには至らない。この人形はあのときに買ったもの、このたまごっちは誕生日にもらったもの、教科書は落書きだらけでいつこのマンガを描いたか覚えている。けど、これは捨てるしかないな、置いていても仕方がない、そう思えるものが出てくるまで部屋の中を掘り返し、こんな風に片づけものは遅々として進んでいった。机の足元に長い間置きっぱなしになっていた段ボールの中には、修学旅行で買った浅草のぺナントや奈良の遠足で買った太い鉛筆やお土産でもらった竹の笛などが入った紙袋と、全巻集めた漫画シリーズ全十巻、記念コインが何枚も入った貯金箱などが並んでいたが、その横に新聞紙で包まれた瓶が入っていた。新聞紙を開いてみると瓶の底三分の一くらいに茶色い粉が入っていて、これはいったいなんじゃと思った。振ってみるとさらさらと砂よりも軽い感じで音もしない。ベージュよりは少し濃い茶色の粉を、なんで瓶に詰めて大事そうに持っていたのか。しばらくそれがなんなのか想像もつかなかった。が、外した新聞紙にセロテープが剥がれた小さな白いラベルが貼りついているのを発見して、それはきっと瓶につけられていたラベルなのだろうと思って見ると「せみ」と書いてあって、ああ、これはあのときの蝉の抜け殻なんだとようやく気がついた。小学生の情熱がこもった思い出は、たった十年余りで粉々になってしまうんだなぁと思った。蓋を開けてみようかと思ったが、抜け殻の粉だと知ったとたんにますます不気味になってそのまま廃棄処分にした。

 そんなわけで踏みつぶした抜け殻を持って帰ろうなんて思わなかったのだが、乾いた壊れやすいもののイメージは、突然思い出した子供時分の思い出と共に頭の中のどこかに置き留めたままになった。

                      ~続く~

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