新たな記録の始まり
王城地下、最深部。
第七の記録を示す水晶が、静かな光を放っていた。
その輝きは、先ほどまでのものとは明らかに違っている。青白い光の中に、淡い金色が混じり、まるで呼吸するように明滅していた。
ヴィオレッタ・ヴァレンシュタインは、胸元に手を添えた。
心臓が速い。
恐怖なのか、期待なのか、それとも過去の死の記憶が身体に残した反応なのか。
彼女自身にも判別できなかった。
「……これで、本当に変わるのかしら」
小さく呟く。
隣に立つノア・ヴァルケインが、水晶を見つめたまま答えた。
「少なくとも、今までと同じことを繰り返すつもりはないんだろう?」
「ええ。もう、誰かの未来を私の判断だけで決めるつもりはないわ」
「なら、最初の一歩としては十分だ」
エミリア・ローゼンは二人の間で、そっと手を握り締めていた。
「私たち、これからも一緒に調べていけるんですよね?」
「もちろんよ」
ヴィオレッタは彼女の方を向いた。
「ただし、危険があると分かったら、あなたにもノアにも相談する。勝手に突っ走らない。……努力するわ」
「最後の部分、少し不安ですね」
ノアが淡々と指摘する。
「あなたに言われると、妙に腹が立つわね」
「信頼の証だと思っておこう」
エミリアが小さく笑った。
その瞬間。
水晶の光が、急激に強まった。
三人の足元に、複雑な魔法陣が浮かび上がる。円環の内側に刻まれた文字が次々と回転し、見たことのない記号へと変化していった。
『第七記録――再構成開始』
無機質な声が地下空間に響く。
ヴィオレッタは目を細めた。
「再構成……?」
『記録保持者三名の意思を確認』
『起点保持者、ヴィオレッタ・ヴァレンシュタイン』
『候補者第二、ノア・ヴァルケイン』
『候補者第三、エミリア・ローゼン』
『記録の分離処理を開始します』
光が三人を包み込んだ。
ヴィオレッタは反射的にノアとエミリアの手を掴む。
「二人とも!」
「ここにいる!」
ノアの声。
「私も、離れません!」
エミリアの声。
その二つが聞こえた瞬間、ヴィオレッタの胸にあった恐怖が、ほんの少しだけ和らいだ。
しかし。
『警告』
光の中で、声が途切れた。
『歴史記録に重大な矛盾を検出』
『王国公式記録と第七記録の内容が一致しません』
ヴィオレッタの表情が変わる。
「……何ですって?」
水晶の表面に、文字が浮かび上がった。
『王国建国史』
『第一王朝の崩壊』
『古代魔術戦争』
そして、その下に。
『記録改竄の可能性』
ノアが目を見開いた。
「歴史そのものが……書き換えられている?」
「いいえ」
ヴィオレッタは水晶へ一歩近づいた。
「書き換えられたのではないわ。複数の異なる記録が、同じ歴史として保存されているのよ」
彼女の脳裏に、かつて見た古文書の断片が蘇る。
異なる年代。
矛盾する人物名。
存在したはずのない王族。
そして、記録から完全に消された都市。
今までそれらは、単なる資料の誤記や古代文明の混乱として扱われていた。
しかし、もし。
もし、王国の歴史そのものが、誰かによって選別されていたのなら。
「……誰かが、過去を都合よく残している」
エミリアが不安そうに尋ねた。
「それって、今の王族も関係しているのでしょうか?」
「まだ分からないわ」
ヴィオレッタは首を横に振った。
「だからこそ、確かめる必要がある」
その瞬間、魔法陣の光が消えた。
地下空間に静寂が戻る。
水晶は以前よりも小さな光を放っていた。だが、その表面には新しい文字が刻まれている。
『第七記録、分離処理完了』
『起点保持者の権限を一部解放』
『新規能力――記録解析』
ヴィオレッタは息を止めた。
「能力……?」
水晶の前に立つ彼女の右手が、淡い紫色に輝き始める。
その光は、これまで彼女が見てきた魔術とは違った。
炎でも、氷でも、雷でもない。
文字のような細かな光の粒が、彼女の指先に集まっている。
「これは……」
ヴィオレッタは手を掲げた。
視界の中に、地下空間を構成する魔力の流れが浮かび上がる。
壁に刻まれた古代文字。
水晶の内部に流れる魔力。
そして、空間の奥に隠された、目に見えない何か。
それらが、まるで記録された文章のように読み取れる。
『記録解析』
『対象の魔術構造を視認可能』
『使用者の精神負荷に応じて解析精度が変動』
「……なるほど」
ヴィオレッタは指先の光を見つめた。
「万能ではないけれど、悪くないわね」
「今、何が見えているんだ?」
ノアが尋ねる。
「この部屋の魔術構造。それから……」
彼女は地下空間の奥へ視線を向けた。
「ここに、まだ何か隠されている」
その言葉に、ノアとエミリアの表情が引き締まる。
だが、ヴィオレッタはすぐに続けた。
「今すぐ調べるつもりはないわ。まずは地上へ戻りましょう。記録の矛盾について、王立記録院で確認する必要がある」
「珍しいな。君が急がないとは」
「急いだ結果、何度も死んでいるのよ。学習くらいするわ」
「……それは、そうだな」
ノアは何も言わず、彼女の隣に立った。
エミリアも頷く。
三人は地下空間を後にした。
しかし、彼らが去った後。
水晶の奥に、ほんの一瞬だけ別の文字が浮かび上がった。
『記録保持者の自立を確認』
『旧管理者の権限が低下しています』
そして。
『警告――歴史修正者が活動を開始しました』
誰も、その文字を見ることはなかった。
王城の外。
夕暮れの空を、一羽の黒い鳥が横切る。
その鳥の足には、小さな金属製の筒が結び付けられていた。
筒の中に収められていたのは、王国の公式歴史書から抹消された一枚の文書。
そこには、現在の王家の祖先とされる人物の名前が記されていた。
そして、その名前の横には。
『本来、この王は存在しなかった』
そう書かれていた。




