↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
93/95

消失という名の救済

『起点変更には、起点保持者自身の消失が必要である』


手帳に刻まれた文字を、私は見つめ続けていた。


消失。


その二文字が、頭の中で何度も繰り返される。


「……ヴィオレッタ様」


エミリアの声が聞こえた。


私は手帳を閉じた。


「大丈夫よ」


そう答えたものの、声はひどく掠れていた。


ノアが机の上の金属片を手に取る。


「この記述だけでは、消失の意味が分かりません。起点保持者の記録が消えるのか、それとも本人の存在が失われるのか」


「どちらにしても、私が原因なのでしょうね」


「そうとは限りません」


彼は即座に否定した。


「機構が提示した条件です。まだ、その条件が正しいとは確認できていない」


私は彼を見つめた。


以前なら、その言葉を聞いても信じられなかっただろう。


今も、完全には信じられない。


けれど、彼が私の言葉を否定するためではなく、私自身を守るために話していることは分かった。


「……そうね。まずは、調べましょう」


私は机に広げられた古代の記録を手に取った。


「起点変更に関する資料を探すわ。機構の初期設計についても確認したい」


エミリアが頷く。


「私も、古い魔力記録を調べます。これまでの反応と比較できるかもしれません」


ノアは金属片を机に戻した。


「では、私は管理番号と移管記録を調べます。起点保持者という概念が、いつから記録されているのかを確認しましょう」


三人で調査を始めた。


それは、以前の私たちとは違う光景だった。


私は情報を隠していない。 彼らの判断を奪っていない。


少なくとも、今は。


しかし、心の奥には、別の感情が残っていた。


もし、私が消えることで巻き戻しが止まるのなら。


それは、救済なのだろうか。


それとも、逃げ道なのだろうか。


私は、答えを出せなかった。


◇


夕刻。


ノアが、一冊の古い記録を持ってきた。


「見つかりました」


「何を?」


「永遠記憶機構の初期設計に関する資料です」


私は彼の手から記録を受け取った。


古びた羊皮紙には、複雑な魔法陣と説明文が記されている。


その中に、一つの記述があった。


『起点保持者は、記録の安定化を担う存在である』


私は眉を寄せた。


「安定化……?」


ノアが説明する。


「機構が記録を修正する際、基準となる記憶が必要だったようです。その役割を担うのが、起点保持者だった」


「では、私が消えれば、機構は安定するの?」


「その可能性はあります。ただし、別の記述もあります」


彼は頁をめくった。


そこには、さらに古い文字が記されていた。


『起点保持者の記録が損傷した場合、機構は代替起点を選定する』


私は息を呑んだ。


「……代替起点?」


「つまり、あなたが消失したとしても、機構が別の起点保持者を選ぶ可能性がある」


エミリアが顔を上げた。


「それでは、巻き戻しが止まらないかもしれないということですか?」


「ええ。起点を変更するだけでは、問題の根本的な解決にはならない」


私は記録を見つめた。


起点保持者の消失。


代替起点の選定。


そして、繰り返される記録の修正。


「……機構は、誰かを起点にし続ける必要があるのね」


ノアが頷いた。


「少なくとも、現在の設計では」


私は手帳を取り出した。


その表紙に、指先を触れる。


青白い光が浮かび上がった。


『起点保持者、記録の理解を確認』


『第七の記録、接続条件を更新』


その下に、新たな文字が現れた。


『起点変更の代替条件』


私は息を止めた。


文字は、ゆっくりと刻まれていく。


『起点保持者が、他者の記録を自身のものとして扱うことを放棄した場合』


『記録の分離が可能となる』


「……これは」


ノアが手帳を覗き込んだ。


「他者の記録を、自分のものとして扱うことを放棄する……?」


エミリアが静かに呟く。


「ヴィオレッタ様が、私たちの未来を決めないということですか?」


私は、言葉を失った。


自分のものとして扱う。


私が、何度もしてきたこと。


ノアが死ぬ記録。 エミリアが失われる記録。


それらを、私だけが覚えている。


私はその記憶を根拠に、二人の未来を決めようとしてきた。


危険だから。 死ぬから。 私が知っているから。


だから、私の言うことを聞いてほしい。


それは、彼らの記録を私のものとして扱うことだったのかもしれない。


「……そういうことなのね」


私は手帳を閉じた。


「私が、彼らの未来を所有しようとすることをやめればいい」


ノアは、静かに私を見た。


「ですが、それは簡単なことではありません」


「ええ」


私は頷いた。


「私が何度も見てきた死を、忘れることはできない」


エミリアが私の手を握った。


「忘れなくても、いいのではありませんか?」


私は顔を上げた。


「……え?」


「ヴィオレッタ様が経験したことを、無理に消す必要はないと思います」


彼女は、優しく微笑んだ。


「ただ、その記憶だけで、私たちの未来を決めないでほしいんです」


胸の奥が、静かに痛んだ。


それは、私がずっと聞きたかった言葉だった。


そして、私がずっと拒んできた言葉でもあった。


「……ありがとう」


私は、彼女の手を握り返した。


◇


その夜。


王宮地下の最深部で、古代の機構が再び起動した。


青白い光が、無数の石柱を照らす。


中央の巨大な記録装置。


そこに刻まれた三つの名前が、同時に輝いた。


ヴィオレッタ・ヴァレンシュタイン。


エミリア・ローゼン。


ノア・ヴァルケイン。


その下に、新たな文字が浮かび上がる。


『起点保持者、記録の分離を開始』


『第七の記録、開放準備』


『代替起点の選定を停止』


そして、最後に。


『記録保持者三名の意思を確認する』


地下の暗闇で、誰かが静かに呟いた。


「……ようやく、ここまで来たか」


その声は、かつて私が聞いたものと同じだった。


しかし、その人物が誰なのか。


私は、まだ知らなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。