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巻き戻しの代償

黒衣の人物は、机の上に小さな金属片を置いた。


それは、枝分かれした線と小さな穴が刻まれた、見覚えのある形状の金属片だった。


旧倉庫。 エーベルハルト家の温室。 北方観測所。


これまで私たちが発見してきたものと、よく似ている。


ただし、中央に刻まれた線だけが異なっていた。


「……これは?」


ノアが尋ねた。


「永遠記憶機構の制御片だ」


黒衣の人物が答える。


「機構の一部を制御するために使用されていた。お前たちが見つけたものは、すべてこれと同じ構造の部品だ」


私は金属片を見つめた。


「つまり、これらを集めれば機構を操作できる?」


「操作できる可能性はある。だが、すべての部品が揃っているわけではない」


「残りはどこに?」


「失われた」


あまりにも簡潔な答えだった。


私は眉を寄せる。


「……あなたは、何を知っているの?」


黒衣の人物は、しばらく沈黙した。


やがて、ゆっくりと口を開く。


「巻き戻しは、時間そのものを戻しているわけではない」


その言葉に、私たちは息を止めた。


「機構が保存している記録の起点を、再設定している。お前たちの意識は、修正後の記録に接続される」


「では、私たちが経験した人生は……」


エミリアの声が震えた。


「すべて、記録の中に保存されているのですか?」


「完全ではない。記録が損傷すれば、記憶も欠落する。別の記録が混ざることもある」


私は目を閉じた。


前世の記憶。


繰り返した人生。


私ではない誰かの経験。


それらが混ざっているという可能性は、以前から考えていた。


しかし、今の説明は、それ以上に残酷だった。


「……私が何度も死んだことも?」


「記録には残っている」


「ノアやエミリアが死んだことも?」


「残っている」


私は金属片を握り締めた。


「ならば、二人の記憶を戻すことはできるの?」


黒衣の人物は、即座に答えなかった。


「記録を接続すれば、可能性はある。しかし、それは同時に、彼らへ過去の死を再体験させる危険を伴う」


エミリアが小さく息を呑んだ。


ノアは、机の上の金属片を見つめている。


「……つまり、私たちは知らないままでいる方が安全だということですか?」


「そうだ」


私は、思わず笑った。


「また、それなのね」


黒衣の人物が私を見る。


「何も知らないままでいろ。危険だから近づくな。そう言って、私たちを遠ざける」


私は金属片を机に戻した。


「もう、そんな忠告には従わないわ」


「ヴィオレッタ様」


ノアが静かに呼んだ。


私は彼を見た。


「……どうしたの?」


「この金属片を、もう少し調べてみませんか?」


私は頷いた。


「ええ」


エミリアも、金属片に目を向ける。


「私の魔力が反応するかもしれません。ただし、危険があるなら、事前に相談したいです」


その言葉に、私は微かに笑った。


「そうね。私も、あなたの意見を聞きたいわ」


黒衣の人物が、低い声で告げる。


「お前たちは、まだ理解していない」


「何を?」


「機構が巻き戻しを行う理由だ」


私は彼を見つめた。


「……理由?」


「記録が損傷した時、機構は修正を試みる。しかし、現在の機構は、修正ではなく選別を行っている」


ノアが眉を寄せる。


「それは、誰かが機構の目的を変更したということですか?」


「可能性はある」


「誰が?」


黒衣の人物は答えなかった。


その代わり、金属片を指差した。


「この部品に刻まれた線を見ろ」


私は視線を落とした。


枝分かれした線の中央。


小さな円がある。


その円の内側に、細い文字が刻まれていた。


『起点保持者』


私は息を呑んだ。


「……起点保持者?」


「機構の巻き戻しが行われる際、基準となる記録を保持する者だ」


「それが、私?」


黒衣の人物は、ゆっくりと頷いた。


「お前は、単なる候補一ではない」


胸の奥が冷たくなった。


「……どういう意味?」


「お前の記録は、機構が最初に修正を行う際の起点として登録されている」


私は、言葉を失った。


ノアが静かに尋ねる。


「それは、彼女が巻き戻しを引き起こしているということですか?」


「違う。彼女は巻き戻しを引き起こしているのではない。巻き戻しの基準にされている」


私は金属片を見つめた。


何度も同じ朝に戻る。


何度も同じ場所で目覚める。


それは、私が何かをしているからではない。


機構が、私を起点として記録を再設定しているから。


「……ならば、起点を変更すればいい」


私の言葉に、黒衣の人物が顔を上げた。


「何?」


「私以外の誰かを起点にすれば、巻き戻しは止まるのでしょう?」


「簡単ではない」


「でも、可能性はある」


私は金属片を机に置いた。


「私はもう、自分だけが起点であることを受け入れたくない」


エミリアが私を見た。


「ヴィオレッタ様……」


「私が起点である限り、私の記憶だけが残り続ける。そして、私の選択によって、あなたたちの記録まで修正される」


私は二人を見つめた。


「それは、間違っているわ」


ノアは静かに頷いた。


「……その可能性を調べましょう」


黒衣の人物は、しばらく私たちを見つめていた。


やがて、彼は一歩後退した。


「お前たちが起点を変更しようとするなら、機構は抵抗するだろう」


「それでも、進むわ」


「その先に、救いがあるとは限らない」


私は、目を逸らさなかった。


「救いがあるかどうかは、私たちが決めることよ」


黒衣の人物は、何も言わなかった。


そして、静かに閲覧室を出ていった。


残された私たちは、机の上の金属片を見つめていた。


ノアが、ふと口を開く。


「……起点保持者、ですか」


「ええ」


「もし、起点を変更できるなら」


彼は私を見た。


「あなたの記憶も、失われる可能性があります」


私は小さく笑った。


「……それでもいいわ」


本心だった。


何度も繰り返した死の記憶。


自分が犯した過ち。


彼らを失う恐怖。


それらを抱え続けることが、どれほど苦しいのか。


私は知っている。


けれど。


「ただし、私の記憶を失うことが、あなたたちを救うことになるのなら」


私は、二人の手を見た。


「その選択を、今度は一人で決めない」


ノアが頷いた。


エミリアも、静かに微笑んだ。


その瞬間。


机の上の金属片が、青白く輝いた。


『起点保持者、再確認』


『記録変更の申請を検出』


『第七の記録、接続を開始』


私たちの足元に、淡い光が広がる。


私は息を呑んだ。


そして、手帳の最後の頁に、新たな文字が浮かび上がった。


『起点変更には、起点保持者自身の消失が必要である』


私は、その文字を見つめた。


……私自身の消失。


その意味を理解した瞬間、背筋が凍りついた。


起点を変更するためには、私が消えなければならない。


だが、消えるというのは、記憶を失うことなのか。


それとも。


私という存在そのものが、記録から消されることなのか。


答えは、まだ分からなかった。


ただ、手帳の文字は、静かに光り続けていた。


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