記録に刻まれた罪
王立記録院の閲覧室に、静寂が戻っていた。
机の上に開かれた古い記録。
『記録保持者が自らの罪を認めた場合、起点の再設定は停止される』
その一文を、私は何度も読み返していた。
罪。
私がノアとエミリアに対して犯した過ちを指しているのだろうか。
それとも、もっと古い何か。
「……この記録、年代が不自然ですね」
ノアの声に、私は顔を上げた。
彼は頁の隅に記された管理番号を指している。
「この資料は、王国成立以前のものとして登録されています。しかし、記録形式は現在の王立記録院で使われている分類方式に近い」
「後世に書き直されたということ?」
「可能性はあります。ただし、単なる写しでは説明できません」
エミリアが記録に手を近づけた。
すると、紙面に淡い光が浮かび上がった。
「……また、反応しています」
彼女の指先に、枝分かれした線の紋様が現れる。
私は思わず立ち上がった。
「エミリア、手を離して!」
彼女は驚き、すぐに指を引いた。
光は消えた。
しかし、彼女の表情は変わらない。
「大丈夫です。痛みはありません」
「痛みがなくても、危険かもしれないわ」
言いかけて、私は口を閉じた。
また、命令しようとしていた。
エミリアは私の顔を見て、静かに言った。
「……心配してくださっているのですね」
「ええ。でも、あなたがどうするかは、あなた自身が決めてほしい」
彼女は小さく頷いた。
「ありがとうございます」
ノアが記録を慎重に閉じた。
「この資料を調べ続けるのは危険かもしれません。別の記録から、同じ内容が確認できないか探しましょう」
私は頷いた。
「そうしましょう」
その時、閲覧室の入口で、誰かが私たちを見ていることに気づいた。
黒い外套。
顔を隠す深いフード。
私は立ち上がった。
「……あなた」
黒衣の人物は、ゆっくりとこちらへ近づいてきた。
「候補一」
低い声。
以前、王宮地下で聞いた声と同じだった。
ノアが私の前に立つ。
「何者ですか?」
「お前たちが知る必要はない」
黒衣の人物は机の上の記録を見つめた。
「その資料を閉じろ。これ以上、読むな」
私は彼を睨んだ。
「また、何も教えずに止めるつもり?」
「その記録は、お前の罪を示すものではない」
私は息を呑んだ。
「……どういう意味?」
「記録が示す罪は、個人の過ちではない。機構そのものが犯した過ちだ」
ノアが眉を寄せる。
「機構が、罪を犯した?」
「永遠記憶機構は、記憶を保存するために作られた。だが、ある時から、保存と選別を混同するようになった」
黒衣の人物は続けた。
「記憶を失った者を救うために、別の記憶を犠牲にした。記録を修正するために、存在そのものを消した」
エミリアが顔を青ざめさせた。
「……それは、私たちにも起こるのですか?」
「すでに起きている」
その言葉に、私は手帳を握り締めた。
何度も巻き戻された人生。
失われた記憶。
私ではない誰かの経験。
すべてが、機構の誤作動なのだろうか。
「……ならば、停止させればいい」
私は言った。
「機構を止めれば、選別も巻き戻しも終わるのでしょう?」
黒衣の人物は、首を横に振った。
「停止させれば、保存されている記録がすべて失われる」
「……何ですって?」
「お前が繰り返してきた人生だけではない。機構に保存された、無数の人間の記憶も」
閲覧室が静まり返った。
ノアが低く尋ねる。
「それらの記憶は、現在の人間のものなのですか?」
「一部はそうだ。だが、すでに亡くなった者の記憶も含まれている」
私は、言葉を失った。
機構を止めれば、すべてが終わる。
そう思っていた。
しかし、それは同時に、誰かの存在を消すことになるのかもしれない。
「……他に方法は?」
黒衣の人物は答えなかった。
その沈黙に、私は苛立った。
「あなたたちは、いつもそう。危険を告げるだけで、何も教えない」
「教えれば、お前は選ぶ」
「それの何が問題なの?」
黒衣の人物は、私を見つめた。
「お前は、すでに一度選んだ」
胸の奥が、凍りついた。
地下保全室。
私の最後の選択。
ノアとエミリアの手を取ろうとした瞬間。
そして、すべてが崩れた。
「……あの時のことを、知っているの?」
「記録は残っている」
私は唇を噛んだ。
「……私の罪は、私が決めたことよ」
「違う」
黒衣の人物の声が、初めて強く響いた。
「お前が犯した過ちは、選択そのものではない。選択をする前に、他者の意思を奪ったことだ」
私は、動けなかった。
ノアが静かに口を開いた。
「……それは、私たちにも言えることかもしれません」
私は彼を見た。
「ノア?」
「私たちも、あなたに何を抱えているのか聞こうとせず、あなたの行動だけを見ていました」
エミリアも頷いた。
「私も、ヴィオレッタ様を理解したいと思いながら、あなたが話せない理由を考えていませんでした」
私は、二人を見つめた。
彼らは私を責めていない。
私の罪をなかったことにしようとしているわけでもない。
ただ、私と向き合おうとしている。
それが、ひどく苦しかった。
黒衣の人物は、机の上に小さな金属片を置いた。
枝分かれした線と、中央に小さな穴。
これまで見つけてきた金属片と同じ意匠だった。
「第七の記録へ進むための鍵だ」
「……どこにあるの?」
「王宮地下の最深部。だが、そこへ至るには、記録保持者三名の同意が必要になる」
私はノアとエミリアを見た。
「……同意?」
「誰か一人の意思では、開かない」
黒衣の人物は、静かに告げた。
「今度こそ、お前たち自身で選べ」
その言葉を残し、彼は閲覧室を去った。
私は机の上の金属片を見つめた。
ノアが言った。
「……どうしますか?」
私は、すぐには答えなかった。
以前の私なら、迷わず地下へ向かっただろう。
だが、今は違う。
「……まず、二人の意見を聞きたい」
エミリアが微笑んだ。
「私は、進みたいです」
ノアも頷く。
「私も。ただし、準備を整えてからにしましょう」
私は小さく息を吐いた。
「……分かったわ」
その瞬間、手帳が青白く光った。
『第七の記録、開放条件を更新』
『記録保持者三名の意思確認』
『起点の再設定、停止可能性を検出』
私は、その文字を見つめた。
停止可能性。
まだ、確実ではない。
それでも。
初めて、終わりへの道が見えた気がした。
私は金属片を手に取った。
冷たい感触。
その奥に、微かな振動が伝わってくる。
まるで、遠い過去から誰かが呼びかけているようだった。
「……待っていて」
私は静かに呟いた。
「今度こそ、真実を見つけるわ」




